火曜会

火曜会は、言葉が帯びる身体性を押し隠すのではなく、それを多焦点的に押し広げることこそが研究行為ではないか考えています。また研究分野の境界は、分野の前提を再度議論する中で、連結器になるとも考えています。

『始まりの知』ハングル版への序

『始まりの知』ハングル版への序

冨山一郎

 

いま世界で起きている新型コロナウイルスをめぐる状況の中で求められているのは、正しい状況説明や、未来予測ではないと私は考えている。ウイルス問題とその解決、といってしまったときに見えなくなる問題、すなわちこの騒動の中でそこかしこに浮かび上がってきた、ウイルス問題に還元できない多くの困難を、見過ごすことなく考えていくことこそが重要であるように思う。それは世界に存在する差別や貧困、排外主義といえるのかもしれないし、これまで存在してきた問題が鋭角的に顕在化したといってもいいかもしれない。そしていずれにしても重要なのは、多く困難に直面した時には、すべてを説明し予測を立てる正しさに、とびついてはいけないということだろう。それは未来を単純化してはいけないということでもあり、単純な未来は、自らの存立要件として必ずその傍らに例外を作り上げるからだ。

国をはじめとする様々なカテゴリーで集計された感染状況や死者数。それ自体は事実確認といえるかもしれないが、こうした区分けされた危機の提示とともに醸成されていく危険部分を特定しようとする心性には、危機に際して自らの生を危険部分から予め分離しようとする態度がともなっている。またウイルスとともに密かに蔓延しているのは、「〇〇なら仕方がないが、私は〇〇ではない」というあの思考だ。この〇〇を予め排除する態度の延長線上に、問題解決の枠組みや未来が描かれようとしている。浮かび上がった多くの困難は、こうした解決や未来像において放置され、再度埋葬されることになるだろう。

危険部分を特定しようとする心性の底流にあるのは、不安である。この不安を糧に、全てを説明し予測を立てる正しさに飛びつくことになる。だが、そのような正しさはない。そして不安を押し隠しながら、ないことをあることとして無理にいいはろうとするとき、思考は停止していくことになる。それは藤田省三が、日本の戦後の失敗を、「何でも知って、なんでも説明してくれて、そして全体について何となく辻褄があっているようなリーダー」(久野収・鶴見俊輔・藤田省三『戦後日本の思想』<復刻版>岩波書店、2010年)を求めてしまったことだと指摘したことともかかわるだろう。

藤田が問題にしたのは、リーダーそれ自体というよりも、こうした無理をし続けるプロセスにおいて構成される集団性だ。すなわち社会は、「何となく辻褄があっているようなリーダー」とそれを求める人々において構成されることになってしまうのだ。そこには必ず、自らの存立要件として例外がつくられ、危機はこの例外に押し付けられた危険となったのち、「〇〇なら仕方がないが、私は〇〇ではない」という社会を生み出すことになる。しかしそれこそが危機ではないだろうか。それはまさしく今も続く天皇制にかかわることであり、その「辻褄」のなかで〇〇に嵌め込まれた人々の中に、沖縄もある。藤田はこうしたリーダーに群がる集団の在り方を、端的に「堕落」とよぶ。また堕落した集団は、正しさにそぐわない曖昧な言葉や異なる主張を排除する動きに向かうと藤田は指摘し、こうした排除を優生学的な「断種」と述べるのだ。

自らの生きている世界を考えることとは、「全体について何となく辻褄があっているようなリーダー」に飛びつくことではない。そして藤田がここでリーダーとよぶのは、不安を扇動し横領する政治家のことではない。また、無残なまでに無能な安倍晋三のことでもない。問題は、正しさに飛びつくという思考の身振りであり、最も重要なのは、困難な状況を前にして、正しいリーダーを探すのではなく、たとえすぐさま答えが見つからなくても、自律的に考え続けることである。安倍の無能ぶりを指弾するだけではダメなのだ。

考えるという当たり前の営みが、いま問われている。また藤田が、「何でも知って、なんでも説明してくれ」る存在として言及しているのは、正しい説明をしてくれる学知のことであり、研究者のことなのだ。知において問われているのは、答えや正しい説明ではなく、いかに考えるのかということであり、いかに自律的に考えるのかということこそが、いま求められていると私は思う。そしてその思考のスタイルが、そのまま「何となく辻褄があっているようなリーダー」を中心とした社会、すなわち特定の人々を存立要件として予め嵌め殺しにし続ける社会とは異なる未来を作り出していく実践に、結び付いていくのではないか。なぜならこの思考は、自律の「自」を作り上げる作業でもあるからだ。本書で考えたかったのも、予めの排除に抗していかに自律的に思考するのかということであり、こうした「自」を作り上げる作業を始めることだ。

本書の終章に登場する中井正一は、戦後直後、広島で山代巴とともに農村の民主化運動にとりくむ。その活動について中井は、死の一年前の1951年に書かれた「農村の思想」(『中井正一全集 第四巻』所収)において、社会を変える運動において重要なのは、「知識の多少、思想の寡多の問題ではなくして、契機と契機の構造」であると述べている。そこには誰かが指導者になって知識をあたえ、思想を啓蒙することによって構成されるのではない集団性が想定されている。こうした戦後の中井の言葉は、本書で取り上げた「委員会の論理」が、戦後直後の実践の中で語りなおされているといえるが、同時に山代巴が農村女性たちと作り上げた場と、中井の思考が重なりあった結果だと思う。

こうしたことについては、今後ゆっくりと考えてみたいが、中井も山代も、多くの死者と廃墟を前にして、正しい知識人や重要な思想家にではなく、一人ひとりが契機となって構成されていく社会のありかたに、未来を見出そうとしたのだろう。自律的ということばをつかうなら、そこでの「自」は、いわゆる個人のことではなく、あえていえば「私たち」ということであり、この「私たち」は、共通項でくくられるものでも、内と外の境界が定められるものでもなく、契機としての私と契機としての他者が構成していく運動としてある。このような「自」は、「〇〇ならしかたがない」として遺棄される他者を前提にした私や社会の在り方を、根底から変えていくのではないだろうか。

大学が閉鎖され、集まって議論をすることが禁じられている状況の中で、『通信』という媒体を始めた。基本的には一人ひとりが文章を読み、書き、それをまた読み、また書くということをつなげていくという簡単なものだが、継続していく中で、一つ一つの文章がお互いの次の文章の契機になり、多焦点的に連鎖していった。この連鎖の中で生まれた複数の思考は、重なり合いながらも決して一つにまとめることができないものであり、かつ現在進行形で増殖し続けている。そして何よりも重要なことは、こうした思考は、誰かが中心となって統括されるわけではなく、また序列がつけられるようなものでもないということだ。それぞれが軸となりお互いが契機となりながら拡張されていく思考の在り方を、『通信』を通して極めて具体的に知ることができたのである。

『通信』に寄せられた文章を読みながら、気が付いたことがある。それは言葉の始まる場の空気とでもいうべきことだ。それは、これまでの関係性を維持するのが困難になる中で、ひとりひとりが既存の社会から少し剥離し始めたときに生まれる空気感だ。寄せられた文章はこの空気感の中で生まれた。そんなことを考えているときに、松下竜一が住民運動の中で発刊していた『草の根通信』を考察した文章の中で堀川弘美さんが、次のように述べていることを思い出した。

 

問題意識の芽のようなものが生まれつつあるときに、それを共有する人や場所、議論できる場所がないとき、その違和感や問題意識の感覚は感覚のままに、言葉にされないままにその人の内側に放置されることになる。違和感や問題意識をそのままに引き受ける場所は、圧倒的に少ないのである。それらを口にできる場所自体少ない上に、口にできたとしても、その問題意識の根にあるものを明快な言葉で定義付けてしまうことで、一気に具体的行動へと直結させていく運動が待ち構えていたりする。少し立ち止まり、周囲を見渡し、考える場所が必要な時がある。そういう場所を見つけられないとき、その芽はやがて社会の主流的な流れの中でかき消されていくことになる、と私は考えている。(堀川弘美「『草の根通信』という場所―松下竜一における運動としての書き言葉―」)

 

私が『通信』から感じた空気感は、ここで堀川さんがいう、まだ見ぬ場所への希求なのかもしれない。言葉は言葉の在処とともに浮かび上がるのだ。『通信』はその言葉を空気感とともに丁寧に媒介する。それが、一人ひとりが契機になるということではないのだろうか。日本語版のあとがきでもふれたが、同書にかかわる文章は、韓国で考える場を作り上げてきた人々との出会いから生まれた。その一人、ソウルで「水平会(水曜平和の会)」を実践する沈雅亭さん会ったとき、雅亭さんが、議論において重要なのはそこが「安心して話ができる場」であるということだと話したことがある。「契機と契機の構造」には、こうした安心が必要なのだ。この安心は、言葉の場が他者を遺棄して成り立つことへの拒否であり、「〇〇ならしかたがないが、私は〇〇ではない」という安心と、真っ向から対峙するだろう。

いま、雑誌を作ろうとしている。中井たちの『土曜日』の特徴が、書き手と読み手が限りなく漸近していくところにあるとするなら、それはそれぞれが契機となって増殖していくようなことなのだろう。それぞれが契機になる「読む―書く」という営みを確保するような媒体を、作りたいと考えている。いいかえればそれは、「安心して話のできる場」を、媒介していくような雑誌だ。遺棄される他者を前提にしない「私たち」を、多焦点的に拡張していくために。雑誌名は、「MFE(Multifokaler Expansionismus=多焦点拡張)」だ。

本書がハングルに翻訳された意味は、私にとってとても大きい。それは、先ほども述べたように、本書の内容は、韓国での様々な議論の場との出会いにおいて生まれたものだということでもあるが、それだけではない。「始まりの知」をそこで出会った人々とともに、これからさらに進めていきたいと思うからだ。雑誌『MFE』も、その一つの試みである。すぐには実現しないだろうが、この雑誌では、ハングルと日本語の二言語構成を考えている。

最後に、翻訳者の沈正明さんに、あらためて感謝と同志としてのエールを記しておきたい。私の文章を、驚くべき読解力で内容にそくしながら訂正してくださった。文章もさらに読みやすくなり、より明確になったと想像している。翻訳というより、よりブラシュアップされたものが、このハングル版である。また、新たな雑誌に向けて動き出す中で、正明さんは圧倒的に重要な存在だ。共になんども議論を重ね、ようやくここまできたと思う。ありがとう。これからも共に。

 

2020年8月15日

冨山一郎