火曜会

火曜会は、言葉が帯びる身体性を押し隠すのではなく、それを多焦点的に押し広げることこそが研究行為ではないか考えています。また研究分野の境界は、分野の前提を再度議論する中で、連結器になるとも考えています。

ディスカッション・ペーパーのためにー「火曜会」という構想(2)

ディスカッション・ペーパーのために

 

2004/3/12

冨山一郎

 

 

昨年の秋からつづけてきたワークショップとその発信作業も、ディスカッション・ペーパーの刊行でひと段落します。たんなるレジメや個人がつくった草稿ではなく、また出来上がった抜き刷りの送付でもなく、議論の中で生み出されたペーパーに固めの紙の表紙をつけたディスカッション・ペーパーを、いよいよ刊行する事になりました。報告原稿を寄せていただいた人、コメントを買って出てくださった人、雑用を引き受けてくださった人、多くの人たちに支えられての刊行です。

このようなディスカッション・ペーパーに、これまでにも私は、いろんなところで出会いました。たとえば、I・ウォーラーステインのいるニューヨーク州立大ビンガムトン校のフェルナン・ブローデル・センターでは、ワークショップをするたびにこうしたものを不定期で刊行し人々に適宜配布して、コメントや議論を集約し、次の研究会やシンポジウムの活動につなげていくことをしています。このセンターのある中堅の研究者が、自分の今考えることを示すために、このディスカッション・ペーパーを持参してやってきた時を思い出します。それはネットで配布するのとはまた違う、議論の始まりでした。またオーストラリア国立大ではアジア研究をする院生たちが自主的にワークショップを開き、そこでの議論をディスカッション・ペーパーにして、関連する世界中の研究者に配布し、コメントを求めることを行っています。そこの院生と初めて対面したとき、もし気がついたことがあれば何でも教えて下さいといって、とても素敵な表紙のディスカッション・ペーパーを研究室においていきました。そしてブローデルセンターにしろ、オーストラリア国立大にしろ、どちらも、既存の研究評価機構(学会や査読システム)では自分たちのやっていることの面白さはわかるまいといった、気概に満ちあふれています。それがディスカッション・ペーパーです。

もちろん、既存のシステムだっていいところはあるし、「自分たちの面白さ」は、往々にして「自分たちだけが判る面白さ」という井の中の蛙になることもあるでしょう。またこうした動きを研究のアングラ化と揶揄する人もいます。でも、それでいいのです。重要なのはなによりも「気概」です。そして同時に忘れてならないのは、財政的にもあるいはまた政治的にも、公のメディアや商業ベースにアクセスできない連中が、このような手渡しのパンフを作成し自分たちの世界を作り上げてきたということです。研究という営みをしているのは、紀要のある大きな大学や、出版社とつるんだ学界なるものだけではありません。大学や学界以外の様々な場所で、おもしろい、そして学的に重要な議論がしっかりとなされているのです。ある友人のラテンアメリカ研究者がいっていたことですが、ラテンアメリカでは雑誌や大きなメディアに登場しない研究者たちが活動する空間は、一つは電脳空間、そしてもう一つはディスカッション・ペーパーなのです(電脳とパンフ。この両者の関係については、今後のためにもじっくり考えましょう)。この友人はグァテマラにいくたびに、個々の様々な場所に蓄積された、そしてそこでしか見ることの出来ないディスカッション・ペーパーを真っ先に手に入れようとします。それは単に資料集めとは根本的に異なります。議論を継続し、拡大させていくためのアクセスなのですから。

この友人は、えらそうな学会誌のみに目を配り、このディスカッション・ペーパーに向き合わないで研究をしている人たちを「スカ」だといいます。今、ディスカッション・ペーパーは日本でもきっと展開しているでしょうが、見えてきません。見えてこないこと自信、日本のアカデミズムが総じて「スカ」になってきているということなのでしょうか。そして私たちのやり方として、このディスカッション・ペーパーを採用しようと思っています。というのも私は、若い人たちに、学問分野のお墨付きが得られないと自分や他人の書いたものの評価が出来ない様な研究者になってほしくないのです。

最終的にいただいたペーパーに、私たちは表紙という顔をつけます。その顔にはこれまでの経緯、どのような人たちが議論に参加してきたのか、そして今後のためにコメントをペーパーの受け手に求めることなどが明示されることになります。そしてこのような顔のついたものを、私たちは多くの研究機関や、研究者に配布したいと考えています。場合によっては、学会に出向き、出店を開いて配ります。もちろん、ご自身でもそれをやっていただくわけですが、ペーパーの長期的保存と配布、そしてコメントの集約といった作業のセンターを形成したいと思っているのです。そして集まったコメントや議論は、継続的に執筆者に還元され、さらに、その展開を踏まえて新たな次のワークショップを企画していくことを考えています。これまでの「論文=一丁上がり」という認識では、あまりこうした配布業務や議論の集約、そして継続的な再組織化は重視されませんでした。学界なる制度に安住し、あたかも議論が蓄積され前に進んでいると思い込んでいたのではないでしょうか。すくなくとも、議論を維持するということ自身を自覚的に追及する必要があるのではないでしょうか。ディスカッション・ペーパーは、この議論空間の追求にそった発信のスタイルなのです。

したがってくりかえしますが、このペーパーを既存のメディアや雑誌に発表されることとも議論の成長の一つ出だと考えます。こうした議論の後に当該論文があるということだけをどこかにそっと触れておいていただければよいのです。ディスカッション・ペーパーはあくまでもプロセスの中にとどまり続けるものであって、終着駅に帰着することは永遠にありえないのです。

こうしたことを明示した「表紙=顔」を、作成しようと思います。いぶかしげに思っておられる方に対しては、まあやってみようじゃないか、としかいいようがありません。そんなギャンブルはいやだということでしたら、ぜひまた今度ね、と寂しげに呟くしかありません。なにせ、初めてのこころみなのですから。終わりなき議論のために、増殖する言説空間のために、そして私たちの言葉に乾杯!