火曜会

火曜会は、言葉が帯びる身体性を押し隠すのではなく、それを多焦点的に押し広げることこそが研究行為ではないか考えています。また研究分野の境界は、分野の前提を再度議論する中で、連結器になるとも考えています。

巻き込まれるということー「火曜会」という構想(7)

巻き込まれるということ

『R』Vol.4,韓国<スユ+ノモ>研究所、2012 年11 月10 日

 

冨山一郎

 

1既に他人事ではない

「傍らで起きていることだが、既に他人事ではない」。ここで考えたいのは、このフレーズが含意する時間や空間のありようと、社会を変えるための運動論的な可能性についてである。またこの問題は、私が『戦場の記憶』や『暴力の予感』で考えてきたことでもある[1]。自分のことではないのに、自分のことのように感じるということ。それが、自分という個の危機であることは、容易に想像がつくだろう。さらに、既に他人事ではないのだから、この危機は以前からずっと張り付いているということになる。ここでの要点は、潜在的に危機が存在するということではない。潜在的にあるものそれ自体が、隠された真実や本質ということではないのだ。まずもって重要なのは、この張り付いている潜在的な危機が、いつどこで姿を現し、感知され、現勢化するのかという問いである。

だがしかし、個の危機の現勢化にかかわる「いつ、どこで」という問いは、同時にこの問いを成り立たせている時間と空間の秩序の崩壊でもある。そこで感知された出来事は、既に起きていたことなのであり、したがって現勢化にかかわる知るという行為は、過去への問い直しでもある。またこの現勢化は、これまでの過去の延長線上に未来を想定することをゆるがし、次の瞬間にまったく別の未来が始まるのではないかという予感を醸成するだろう。過去や未来は時系列的な秩序を失い、個とそれを取り巻く秩序の双方を巻き込んだ現勢化という動態の中で、新たに浮びあがるのだ。それは、崩壊感と新たな未来への希望とが入り混じった事態ともいえるのかもしれない。

私は上記の本で、このような「傍らで起きていることだが、既に他人事ではない」という崩壊感のなかで沖縄を思考することの可能性を、考えようとしたのである。たとえば戦場を思考しているとき、この崩壊感に襲われたらどうだろうか。50年前の戦場が、自分のこととして看取されてしまったらどうだろうか。そこでの痛みや苦しみ、あるいは高揚感が、自らにかかわることとして突き刺さってきたらどうだろうか。私にとってこうした感触こそが、戦場を思考する出発点でもあった。「戦場の記憶」は、遠い過去の沖縄という限定された地理的場所にかかわることではない。私は『戦場の記憶』で、沖縄戦にかかわる記憶として取りまとめられている言葉たちが、過去という時間や特定化された場所を成り立たせている秩序を食い破りながら、私のすぐ傍らまでに迫ってくるということを思考しようとした。戦場は継続するのであり、平時の日常に拡張するのである。記憶とはこうした継続や拡張を思考する回路なのであり、それは同時に私の記憶として、私の身体に襲いかかる。

あるいはまた、伊波普猷の文章を読んだとき、彼の中にこうした崩壊あるいは危機にかかわる感知力が作動していることに気がついた。たとえば彼が沖縄は朝鮮や台湾ではないと語るとき、そこには傍らで起きている植民地支配の出来事を自分のことのように感じている伊波がいる。沖縄は朝鮮や台湾ではないという主張は、排外主義的ナショナリズムや帝国の中の階層化された差別構造というより、ここは植民地でありお前は被植民者なのだという隠された提言命令の中で怯えながら、その暴力を何とか回避しようとする臆病者の身振りなのだ。そしてこの伊波の言葉もまた、彼の生きた時代や沖縄という地理的場所をかいくくりながら、私のすぐ傍らにまで届く。彼が感知した暴力は、継続しているのであり、地理的範域に閉じ込めることもできない。沖縄を思考することとは、やはりこの継続と拡張を思考することなのだ。それはまた、「沖縄の痛み」「沖縄の歴史」「沖縄の思想」「沖縄の闘い」といった所有格において停止しない思考の可能性を、追求することでもある。

こうした所有格への疑念は、すべてが流動的で不確定であるという一般的考えに基づくものではない。私にとってその疑念は、「沖縄の歴史」、「沖縄の闘い」といった対象が研究と呼ばれる領域において確立してくる中で、ずっと感じていたことだ。それは、沖縄という対象を語れば語るほど、そこでおきている事態に巻き込まれたくないというメッセージを看取してしまうという言語感覚でもある。この、巻き込まれることを回避しようとする知るという行為が、知るべき対象を対象として固定化し外在化させていく。「沖縄の痛み」「沖縄の歴史」「沖縄の思想」がくりかえされる中で、語るものの個の危機は押し隠され、対象に巻き込まれることのない分析者が立ちあらわれる。

知るという行為が分析者の住む世界と知るべき対象の世界を区分し、巻き込まれることのない対象として構成していくという問題は、既にたとえば人類学をめぐって議論されてきたことだろう。我々とは違う他者を知るという人類学が前提としてきた問題だ。そこでは多くの場合、この区分は、植民地主義あるいは権力的な支配と被支配の関係として登場するだろう。また同じ問題は、「沖縄問題」を語る行為や連帯をめざす運動なかにもある。沖縄のようになりたくない、という訳だ。

別の知覚が必要だと考えた。それが、「傍らで起きているのだが、既に他人事ではない」ということだった。またこのフレーズが確保しているのは、あえていえば、何かの対象を知るという行為が、その対象に巻き込まれていくことでもあるという身体感覚だ。『戦場の記憶』や『暴力の予感』では、この感覚が帯電した思考を、新たな連累の可能性として考えてみようとしたのである。そして別の知覚を探そうとしたとき、その端緒は私にとって、一貫してフランツ・ファノンの中にあった。

 

2身構える

敵と味方が明確に区分され、植民者と被植民者が明確に区分されたファノンの『地に呪われたる者』において、知るという行為はこの暴力的な敵対関係を対象として承認することに留まるものではない。また巻き込まれるということは、明確に二つに分かれた陣営のどちらに加担するのかという選択の問題でもない。少なくともそれだけではない。結果的にどちらかに加担することになったとしても、巻き込まれるということは、二つの集団において構成される政治それ自体を成り立たせている前提を問題化するのだ。対立構造の政治自体は秩序なのであり、この秩序自体の土台を問う政治、すなわち対立の政治においては政治とは見なされない政治に、この巻き込まれるということはかかわっている。

確かに敵対関係に巻き込まれることは、敵と味方に区分された世界において、どちらの側に立つのかという政治に向かうかもしれない。しかしどちらに加担し、その結果どのような効果をあげるのかという効果の問題として、巻き込まれるということを考えるべきではないのだ。たとえそれが政治のリアリティだとしても、問われているのは、あらかじめ定義された力の効果ではなく、力を定義するベクトル場そのものなのだ。またそれは政治を、対立の解消あるいは片方が他方を打ち負かすことにおいて停止させないためでもある。ならば、巻き込まれるとはどういうことなのかが、改めて問わなければならない。『地に呪われたる者』から考える。

たとえば同書の第五章に所収されている「植民地戦争と精神障害」には、「13歳と14歳の二人のアルジェリア人少年による、遊び友だちのヨーロッパ人の殺害」という事例が登場する[2]。それは文字通り、敵対関係が具体的に登場する場面だ。「ある日、ぼくたちはあいつを殺すことに決めたんだ。ヨーロッパ人がアラブ人をみんな殺そうと思っているからさ」。そしてファノンは、こうしたアラブ人対ヨーロッパ人という対立構図に至る直前の状態に、日常的な個人という設定自体が問われる植民地状況を見出そうとする。それは敵対する共同体の名前を獲得する手前において生じている、個が日常の名前を失い匿名化していく事態である。アラブ人、アルジェリア人、ヨーロッパ人、フランス人という敵対関係を構成するナショナルな共同体にかかわる名前の手間には、まずは匿名化という日常世界の融解とでもいうべきプロセスが存在するのである[3]。

そして戦場においても精神科医として臨床に立ち続けたファノンは、この融解と敵対関係を構成する共同体との間の領域を、精神疾患の問題として確保しようとしている。巻き込まれるとは、少年が植民地戦争に兵士として加担することではない。いま注視しなければならないのは、この融解と共同体の間である。それは既に通り過ぎてしまった地点でもあり、精神疾患としてまずは領域化されている。

もう少しファノンに即して考えてみよう。同書の一章の「暴力」のところで、たとえばファノンが、「あらゆる攻撃に反駁すべく身構えていた(sur la defensive)農民大衆が、突然死の危険にさらされていると感じて、植民地主義の軍隊に猛然と抵抗する決意を固める」と述べる時、この身構えるということは、敵対関係の手間において既に生じている事態として想定されている。あえて図式的に描けば、日常は何もなく平穏なのであり、過去から連なったその平穏はその後も続くと想定されている。しかし人々は身構えているのだ。

この身構えるということを、植民者と被植民者の二つの対立する世界においてすぐさま了解してはならない。すなわち、平穏と考えているのは植民者であり、被植民者は来るべき闘いのために密かに準備をしているのだということが要点ではないのだ。この身構えるには、先ほど「植民地戦争と精神障害」において指摘した領域、すなわち事後的に病として見なされてしまう地点が含まれている。

身構えている身体は、平穏な日常からすれば常軌を逸した身体感覚であり、かかる感覚を抱え込むことは、やはり、個人にとって自分自身が平穏とされる日常の秩序から外れていく崩壊感を伴うだろう。そしてこの崩壊感の中で知覚されるのは、過去から未来へとつながる平穏な時系列的世界ではない。平穏な時期はすでに危機であり、その危機は既に始まっているのであり、そしてこの危機の現勢化の中で平穏とは異なる未来がうかびあがるということが、身構える身体において知覚されるのである。いいかえれば、個とそれを取り巻く秩序の双方を巻き込んだ危機の現勢化という動態の中に、身構えることはあるといえるだろう。と同時にそれは、崩壊の問題というだけではなく知覚に問題なのだ。だからこそこの身構えるということを、戦闘準備と勘違いするならば、次のファノンの言葉を聞き逃すことになるだろう。

 

この暴力とはそもそも何か。…(中略)…これは原住民大衆が、自分たちの解放は力によってなしとげられねばならず、またそれ以外にありえないと見なすところの直観である[4]。

 

ここでは暴力は力学的効果の問題ではなく、平穏な未来とは異なる別の未来を切り開く力への知覚のことである。そしてこの力に対する知覚は、身構えているという身体感覚とともにあるだろう。巻き込まれるとは、個の融解であり、平穏な日常からの離脱であり、身構えることであり、身構えた身体とともにある力への知覚にかかわっている。既に他人事ではない事態とは、平穏な状態でもなければ逆に敵と味方において描かれる戦闘状態でもなく、この身構えている事態のことであり、くりかえすがそこでなされる知覚は、別の未来をきり開く力への知覚なのだ。

 

3巻き込まれるー多焦点的拡張主義

傍らにいる者が、何もまだおきていない平穏な日常の中で、「世界は変えられる」と呟くとき、そこから何を聞き取ることになるのだろうか。ありえない妄想として一蹴すべきことなのか。それとも密かに準備された闘いへの自信に満ちた言葉として同意すべきなのか。いずれにしても、まずは冷静な力学的計算を前提にするのであり、その計算結果においてこの呟きはリアリティをもつことになる。

だがしかし、巻き込まれることとは、妄想を退ける常識的判断でも計画された闘いへの支持表明でもない。まずはそこで、既に身構えているという事態とともに、その「世界は変えられる」という言葉を受け取る必要があるだろう。いいかえれば「世界は変えられる」という言葉は、身体感覚を伴わない限り理解できないのであり、したがってわかるということは、知ろうとする行為者自身にこの身体感覚が見出されることでもあり、すなわち身構えることなのだ。このときこの行為者は、巻き込まれている。

知るという行為がいかにして身構えることにつながるのかについての法則的な説明は、できない。それは、理論的必然でもなければ計画的なものでもないだろう。またこの身構えるということは、見出される未来が同じ世界だということを保障するものでもなければ、痛みなり苦しみといった身体感覚を共有する共感の共同体でもない。重要なことは、別の未来というものを予感するという知覚の様態なのであり、その様態における知るという行為において知る対象に巻き込まれていくということなのだ。そしてこの巻き込まれていくプロセスは、世界が暫定的な存在であることを見出す中でうまれる未来への予感において、人々が連累していくということであり、それぞれの予感の中でいかなる未来を見出すのかということは別の問題である。未来のモデルの一致ではなく、今の世界を暫定的な存在として浮かび上がらす知覚において、人々は重なるのである。

そしてこの未来への予感を、すなわち身構えるという現勢化を、さらにすすめていくある種の共同作業、あるいはこの共同作業を進めるための知識が必要とされるだろう。そこでの第一の要点は、身構えているという知覚を確保し続けることであり、いいかえれば未来像の一致、綱領の一致に共同作業を置き換えないことが重要になると思われる。何度もくりかえすが、巻きこまれることと共同体が生まれることは、同じではないのだ。

この点と関連して、先ほど述べた精神疾患という領域の問題は重要である。身構えることは、現状から離脱することであり、現秩序において構成されている個が外へと融解し始めることである。そして秩序は、この融解を禁止し、病として隔離し、発せられる言葉を病状としてのみ意味化し、問答無用で処置するだろう[5]。したがって身構えることとは、排除されることであり、隔離されることであり、暴力を被ることである。また巻きこまれることとは、自らの内部に暴力を被る根拠を見出してしまうことでもあるだろう。暴力は予感され、まずはこの暴力に対しては闘わなければならない。だが、いかにして。あるいは端的に、いかなる組織あるいは運動形態で闘うのか。

1960年代後半に西ドイツのハイデルベルク大学医学部精神科の助手や患者を中心に生まれた社会主義患者同盟(Sozialistisches Patientenkollektiv=SPK)は、資本制にかかわる疎外を病という言葉で再設定しようとしていた。1970年代初頭、SPKは、西ドイツ赤軍に一方的にエールを送り、西ドイツ赤軍をめぐるすさまじい弾圧状況にすすんで巻き込まれ、「過激派」として圧殺された。「我々も過激派だ」。そしてこのSPKが残した文書には、多焦点的拡張主義(Multifokaler Expansionismus=MFE)という言葉がある。それは、精神病が体現する禁止の領域を人々が集まる場所(暖炉)に変えていく運動であり、焦点という言葉には、禁止と暖炉の二つの意味が重ねられている[6]。

この焦点には、秩序から排除や暴力を被るという受動性と、すすんで暖炉に集まるという能動性が入り混じっている。また同時、暖炉の場所が禁止領域を新たに生み出すなら、さらにその禁止を暖炉へと変えていくことになる。それは、禁止領域が生まれることを禁止するのではない。一般的モデルは存在しないのであり、あるべきモデルを前提に禁止の登場を禁止するとしたらそれはある種の統制でもある。禁止と暖炉が反復されながら焦点は複数になり拡張するのであり、多焦点的拡張主義の要点は、理想郷を作る為に計画したり調整したりあるいは統制したりするのではなく、禁止の領域を人々が集まる暖炉として不断に拡張していくところにある。

そしてこの禁止と暖炉が反復されていく拡張こそ、巻き込まれるということなのではないだろうか。巻き込まれるということは、この多焦点的拡張主義における禁止から暖炉への受動性と能動性が不可分に重なり合った展開なのである。禁止された場所にはじまった暖炉はやはり未来への力なのであり、その力を知覚しながら集まってくる者たちは身構えている。そしてさらに、SPKのようにこうした禁止の領域を精神病として受け止めたことからすぐさま提出される難題は、言葉の在り処にかかわることだろう。すなわち当然ながら禁止を生み出す現状の秩序において言葉は根幹を成す。身体とは物的な存在を直裁に述べたというより、この言葉の秩序の崩壊においてまずは見出されるだろう。そして、社会なるものの秩序はこの言葉の崩壊を禁止し、また病として処置するのだ。ならば巻き込まれながら、あるいは暖炉に集まりながら、身構えた人々はどのような言葉を話すのだろうか。知という問題が問われるのは、ここである[7]。

 

3廃墟から

過去や未来は時系列的な秩序を失い、個とそれを取り巻く秩序の双方を巻き込んだ危機の現勢化という動態の中で新たに浮びあがる未来は、確かに崩壊感と希望が入り混じった事態といえるのかもしれない。またこうした事態は、確かに日常からの個の融解ではあるのだが、同時にある日突然襲ってくる全的な崩壊からもそれは開始されるだろう。そしてこの崩壊に巻き込まれるということは、受動的であるだけではなく、能動的な始まりでもあり、崩壊が示す廃墟とは、救済の対象でも復興すべき場所でもなく、身構えた人々が集まりだす空間なのではないか。廃墟は復興するのではない。そこから新たに始まるのだ。そしてそれは既に始まっていたかも知れない。

本年の3月11日以降、日本で広く読まれ始めているレベッカ・ソルニットの議論は、非常事態を何かが生まれる事態としてとらえようとしている。非常事態(emergency)は解決されなければならない対象なのではなく、何かが現れ出る(emerge)空間なのだ[8]。だが同時に多くの場合、圧倒的な崩壊を前にして人々は慌てふためき、一刻も早い秩序の回復を求めることになるだろう。そして回復や復興の名の下に、禁止や隔離そして問答無用の暴力が登場する。たとえば2000年4月9日、陸上自衛隊練馬駐屯地において行われた創隊記念行事で、石原慎太郎東京都知事は以下の様に訓示した。

 

今日の東京をみますと、不法入国した多くの三国人、外国人が非常に凶悪な犯罪を繰り返している。もはや東京の犯罪の形は過去と違ってきた。こういう状況で、すごき大きな災害が起きた時には大きな大きな騒擾事件すらですね想定される、そういう現状であります。こういうことに対処するためには我々警察の力をもっても限りがある。だからこそ、そういう時に皆さんに出動願って、災害の救急だけではなしに、やはり治安の維持も一つ皆さんの大きな目的として遂行していただきたいということを期待しております[9]。

 

大きな災害という非常事態は、まず騒擾として語られ、その騒擾は「三国人」「外国人」対「日本人」の対立に置き換えられ、かかる後に「日本人」を守る治安維持軍としての自衛隊の出動を期待するこの石原の発言は、非常事態が一刻も早く解決しなければならない事態として持ち出される一つの典型である。乱暴にいえば、秩序が崩壊する非常事態は、問答無用の暴力を行使しても収拾すべき問題として設定され、秩序の回復が目指されるのである。

またこうした石原の軍事的メッセージとは異なるが、災害にかかかわって被災者とそうでないものを区分けし、境界を特定したうえで前者の救済を語ることも、秩序の崩壊という非常事態を二つの集団に分割したのちに秩序回復を主張する点で石原と似ているといえるだろう。隔離あるいは排除と救済の両者は、かかる意味で近傍にある。そして問題は、穏便な救済の政治にもなれば暴力的な隔離や排除にもなるこの区分けにある。人々が集まる場所には禁止の立て札が立てられ、何かが生まれる場所は救済すべき何もない場所としてあつかわれていく。非常事態は巻き込まれたくない場所として限定され、囲い込まれていくのだ。そしてこうした対象設定は、学的営みにおいてもあるだろう。

だが禁じられた領域は、解決しなければならない問題ではない。あるいは逆に、解決が求められている対象は、禁じられた場所ではなく、集まるべき暖炉なのだ。「傍らで起きていることだが、既に他人事ではない」。くりかえすが、禁止の領域は身構えた人々が集まる暖炉が生まれる場所でもあるのだ。

そもそも、現在拡大を続けている放射能汚染において境界線を引くことは不可能であり、またそれは今に始まった事態ではなく、既に様々な被曝や被曝労働は存在し続けた。また今後の被曝は、さらに拡大するだろう。危機は既に存在していたのであり、したがって現状復帰や回復は未来を語る言葉にはならない。今、一体どこを禁止するというのだ。あるいは、一体どこが安全だというのか。また、一体いつから危険だったのか。そして、いつになれば安全になるのか。一つ一つが生きることにかかわるせっぱ詰まった問いであるにもかかわらず、こうした問いが着地点を失ったまま、いま広がり続けている。私たちは、突然巻き込まれてしまったのだ。

「閾(liminality)」[10]。ソルニットは、既存の秩序が形を失い消尽する不確かな領域をこう呼ぶ。この領域においては、何が起きるかわからない。あるいは、何が既におきていたのかがわからない。そしてだからこそ、何でも可能なのである。「何が起きるかわからないという災害の警告は、なんでも可能だという革命の教えから、そんなにかけ離れてはいない」のだ[11]。非常事態とは、なんとしても解決しなければならない課題でもなければ、一刻も早く秩序を取り戻さなければならない混乱や対立でもないのだ。それは世界が暫定的な存在として浮かび上がる事態であり、そこで求められている知覚は、閾に留まり何が起きるかわからないという不安に耐えながら、そこから垣間見ることのできる未来を予感することではないのだろうか。

また閾の領域は、匿名化の領域である。廃墟の中で人は既存の所属集団において決定されることからはみ出し、既存の名前は次第に消えうせる。そしてこの誰でもないという中刷りの状態は、ファノンが注意深く立ち止まろうとしたように、あるいは石原が一気に通過するよう扇動しようとするように、敵対関係を構成するナショナルな共同体の始まりでもある。だが同時にそれは、ソルニットがいうように、誰でもありうるというザパティスタのスローガンでもあるのだ。「我々はみんなマルコスだ」[12]。この言葉による連累は、決してナショナルな共同体において停止することはないだろう。また分岐は、この匿名化と新しい共同体の名前の間にあるのであり、共同体の手前に留まり続けることにおいてこそ、いいかえれば閾を確保し続け、そこにはみ出し続けることによってこそ、非常事態を何かが始まる起点にすることができるのだ。突然巻き込まれてしまった人々は、「変わる可能性のある現在(a transformative present)」[13]を手に入れたのだ。

そしていま、非常事態を囲い込み、禁止を語る言葉は次から次へと国家の名の下に発せられている。その言葉の正しさを裏書するため、おおくの学者や知識人も動員されている。しかし他方で人々は、これまでの国家やマスコミあるいは大学において構成されてきた公的空間や公的知識に見切りをつけ始め、突然巻き込まれてしまった非常事態を知ろうとして、それぞれが独自なネットワークや場所を作り上げつつあるのだ。閾は広がりつつある。人々はすすんで禁止区域に入り込み、身構えながら暖炉の周りに集まり、廃墟の中から別の未来を見出そうとしている。

 

家を失った人々のテントや、ドアやシャッターや屋根材で間に合わせで作った変てこな仮設キッチンが町のあらゆるところに出現すると、陽気な気分が広がった。月に照らされたあの長い夜には、ギターやマンドリンの爪弾きがどのテントからか漂ってきた[14]。

 

1906年4月18日のサンフランシスコ大地震発生直後を、ソルニットはこのように描く。それは、見覚えのある焚き火を囲む風景だ。ソルニットはそれを、「たまり場(the gathering place)」ともよぶ。そしてこの既視感のある風景は、遅れてやってきた治安維持軍により、防災の名の下に焼き払われていく。人々は移動するように命令され、禁止に従わないものは暴徒と見なされ射殺されたのである。それはまさしく石原が準備していることでもある。

いま災害を肯定しようとしているのでもなければ、こうした焚き火の風景が何かしら平和的で争いのないユートピアであるといおうとしているのでもない。要点は、突然の現勢化に対してどこから思考を始めるべきなのかということであり、突然巻き込まれるということを「変わる可能性のある現在」として、いいかえれば禁止を暖炉として、確保し続けることなのだ。

禁止を語る言葉が機能不全に陥る中で、国家に残された手段は限定されつつある。石原の悪夢は、現実になるかもしれない。対立構造が持ち込まれ問答無用の暴力が登場するかもしれない。だが「我々はみなマルコスだ」。あるいはSPKに倣ってこういってもよい。「我々はみな過激派だ」。そして焚き火の風景を維持し続けることを、協働作業として思考し遂行しよう。それは「たまり場」を継続的に再現する試みであり、社会の変わる可能性を自らも巻き込まれながら思考する協働の場を作り上げることであり、言葉のもっとも正しい意味での実験であるだろう[15]。たかが焚き火、たかが歌、たかが踊りかもしれないが、しかし、起点はまちがいなくそこにある。

 

 

[1]この文章は、2011年2月25日に行なわれた、スユノモNにおけるこの二冊の本に対する合評会でのやりとりをふまえて書かれた。深い議論を提示してくださった討論者のチョン・ヘンボクさん、チェ・ジンソクさん、ならびにその場を準備していただいたスユノモNの皆さんに感謝します。

[2]フランツ・ファノン『地に呪われたる者』鈴木道彦・浦野衣子訳、みすず書房、1969年、155-157頁。

[3]このファノンの叙述に対して、ファノンの著作を現象学において検討しようとするゴードンは、敵対関係の登場というよりも既存の秩序からの離脱と匿名化というモーメントを指摘している。 Lewis R Gordon, Fanon and the Crisis of European Man, Routledge, 1995, p.81.

[4]ファノン『地に呪われたる者』(前掲)、45頁。

[5]精神病者とされた者への暴力を端的に示すロボトミー手術をめぐるカルテをもとに、長野英子は、手術の直前を次のように述べる。「手術前、手術台の上にて『どれ位切るんですか、かんべんして下さいよ、馬鹿になるんでしょ、殺されてしまうんじゃないですか、殺さないでください、お願いします、家に帰らせて下さい、先生、大丈夫でしょうか、死なないですか、先生、先生……』と克明に患者の声を書き取った上で、そのカルテには『情動的な訴えを繰り返す。優雅さが全然ない』と書かれていました。殺されようとしているときに、脳を切り取られようとしているときに、優雅な人間などいるか! このような命がけの訴えまで、『病状』『症状』として無効化され、とりあげられないのが私たち『精神病』者なのです」。長野英子『精神医療』現代書館、1990、4頁。

[6] SPK, SPK: Turn Illness into a Weapon, KRRIM-self-publisher for illness, 1993, p.74-76.

[7]それは、SPKが主張した人民大学ということとも関係するだろう。あるいは次に言及する3月11日以降の状況を、知識の問題として考えることとも無関係ではない。大量失業と大量避難民、そして潜在的被曝の拡大の中で、未来を予感する身構えとそれにかかわる知の在り処が問われていることは確かなのだ。あるいは精神医学を行使するファノンにとっての臨床とは何かということが、私にとっては考える端緒になる。たとえば「私が研究した状況はお気付きのとおり古典的なものではない。科学的客観性は私には禁じられたものだった。というのも、疎外された者、神経症患者は私の兄弟であり、姉妹であり、父であったからだ」とファノンがいうとき、そこからはファノン自身も患者であることが浮かび上がる。「傍らでおきているのだが、既に他人事ではない」のだ。あえていえば、彼は臨床において患者に巻き込まれ、そしてそれでも分析的な言葉のありかを探すのだ。それは客観性などという問題ではない。身構えた者たちこそが手に入れることできる分析的知性というものが、あるはずなのだ。学の真実性でもなく、正しい綱領や情勢分析でもなく、臨床において交わされるこの言葉の在り処こそが、多焦点的拡張主義を確保するのではないだろうか。

[8]Rebecca Solnit, A Paradise Built in Hell, Penguin Group, 2009,p.10.                                          日本語訳はレベッカ・ソルニット『災害ユートピア-なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか』(高月園子訳、亜紀書房、2010)。に基本的には従ったが、一部訳し変えたところもある。

[9]内海愛子・高橋哲哉・徐京植『石原都知事「三国人」発言の何が問題なのか』影書房、2000年、頁201。

[10]Solnit, op.cit., p.169.

[11]ibid., p.172.

[12]ibid., pp.178-179.

[13] ibid., p.203.

[14]ibid., p.5.

[15]空間を作る実験について、私は多くを「スユ+ノモ」から学んでいる。