火曜会通信(6)鶴見俊輔を読む
鶴見俊輔を読む(2015年11月4日)
冨山一郎
尹汝一さんが、鶴見俊輔が竹内好をどう読んだのか、番匠健一さんが、鶴見俊輔がジョージ・オーウェルをどう読んだのかについて、それぞれ話しました。それはまるで尹汝一さん番匠さん、鶴見さんと竹内さん、そしてオーウェルが、次第に円卓を組んでいくような議論の展開でした。さらにそこに、鶴見さんと共に活動してこられた福本俊夫さんも参加され、また竹内好さんの親族の方から文書が届けられるということが重なりました。
余りの多くのそして豊かな論点がだされ、一つの文章にするのは困難です。ただ多くの論点を通奏低音のように包み込む、鶴見さんの言葉への態度というものが浮かび上がったように思います。その言葉への態度は、私という存在への態度であると同時に、他者への態度でもあります。それは人につながる媒介としての言葉であり、その言葉が伝達を担う単なるメッセージではなく、言葉が人の間にあって体温を帯びていくような言語感覚でもあるでしょう。言葉を状況に置く、また語る者の脅えや怒りといった身体感覚と共に言葉を読み引用する。それはまた、自らの文章がそのような性格を帯びていくことでもあるでしょう。それはさらに、鶴見さんからやや無防備に提示されていく「仲間」、「民族」、「女」といった言葉が確保しようとしている言葉の状況を、どう私たちが読むのかという問いでもあるでしょう。そこには、いわゆる「従軍慰安婦問題」に対して鶴見さんがとり続けた位置の問題もあるかもしれません。これはいずれぜひ議論したいところです。
そしてこうした言葉への態度について、三つの重なる論点を、備忘録として記しておきたいと思います。余りまとまってはいませんが、忘れないうちに。
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一つは、言葉が熱を帯びる(あるいは帯電する)というような言葉への態度は、人の文章の読み方だけではなく、その人の日常的なこだわり、ゆずることのできない気持ち、大好きなもの、といった領域への態度にも繋がります。この言葉への態度において、鶴見さんは極めて先駆的にマンガをはじめいわゆる今日でいえばポピュラーカルチャーを重視したのでしょう。竹内好やオーウェルを読むことは、落語楽しむことであり、はやり歌を歌うことであり、『じゃりんこチエ』や『風の谷のナウシカ』(『昭和マンガのヒーローたち』)を読むことなのです。
さらにその態度には、やはり戦争体験とでもいうべき原点があるのかもしれません。そこでは言葉が停止する、あるいは饒舌な言葉が状況を覆っていくのです。その中での言葉の在処を確保することから、鶴見さんの戦後が始まったといえるのでしょう。初期の文章が「お守り言葉」からはじまっているのは、やはり重要です。言葉なのです。それは、話しているのに話しているとはみなされない戒厳状況を確認しながら、言葉を再開するといってもいいかもしれません。このあたりは中井正一の戦時期の態度とも重なるものがあるように思います。また、平野克弥さんがその時指摘したように、この鶴見の原点は、スチュワート・ホールの研究を考える上で何を主張しても封殺されていくサッチャーリズムの嵐が重要であることと、通じるものがあるでしょう。そして鶴見さんもホールも、いわゆる文化研究を切り開いた人です。ホールが東京大学にきてでかいシンポをやったとき、日本のアカデミアにおけるカルチュラル・スタディーズの系譜として鶴見さんが言及されていたことを思い出しました(戸坂潤もそうでした)。
そして、こうした言葉への態度は、人が作り上げる繋がりや集団性、そして文字通り運動への態度と密接にかかわります。それは尹汝一さんが「挟み撃ち」といい、番匠さんが「うらぎり」の問題として提示したことでもあります。繋がりを担うの、集団を担うのは、そして運動を担うのは、いかなる言葉なのか。逆いえば言葉への態度というのは、いかなるつながりを作るのか、いかなる集団が生まれるのかという問いに他なりません。またこの問いが、思想の科学研究会による転向研究や集団あるいはサークルの研究と密接にかかわることもいうまでもありません。鶴見さんは、ハーバード・ノーマンを死に追いやったとして指弾された都留重人を論じた「自由主義者の試金石」(1957年)で、たとえうれぎり者と言われようと、あくまでも「合作」を追求する立場を崩しませんでした。さらにそこで、「政治だけが政治ではない」という言葉を残しています。政治ではない政治は、繋がりの問題であり、集団の問題であり、運動の問題であり、言葉への態度の問題なのでしょう。
マンガ、戦争体験、そして政治。議論の中でこれらが、言葉への態度という点において総体として浮かび上がったのです。もう満腹でした。(2015/11/05 朝)