火曜会通信(7)Wendy Matsumura, The Limits of Okinawa: Japanese Capitalism, Living Labor and Theorization of Community(Duke Univerity Press, 2015)を読む
Wendy Matsumura, The Limits of Okinawa: Japanese Capitalism, Living Labor and Theorization of Community(Duke Univerity Press, 2015)を読む(2015年11月11日)
小路まき子
最初に。。。
Wendyさん、通信が遅くなってしまい、申し訳ありません。議論の場の緊張感が伝わるかどうか、それは分かりませんが、本についてわたしが火曜会の場で話したこと、その後にみんなで議論したことを覚えている限りで記録します。(担当:小路まき子)
―Introduction―
著書のイントロダクションの部分で展開されているように、Wendyさんの研究は、さまざまな既存のアプローチやtheoryを丁寧に、批判的に検討したうえで彼女自身の方法を導き出している。なかでも重要と思われる特徴のひとつに、沖縄の人々をひと固まりの、あたかも自然(organic)に、超歴史的(transhisorical)に存在する共同体(community)としての「沖縄」を構成する要素であると措定しない視点が挙げられる。Wendyさんは、言語的、文化的、さらには精神的な特徴を共有するものとして、本質主義的(人種的、民族的)にのみ理解される「沖縄」が、危機―多くの場合、資本蓄積の危機―に対する政治家や沖縄の知識人による応答として表れてきたプロセスを明らかにしようとする。それによって、ひとつの「沖縄」を前提に語られる言説が隠蔽してきたさまざまなstruggles(諸闘争、あるいは闘争に直結するとは限らない諸葛藤)の「歴史」を明るみに出すことが、本書を貫く意図のひとつであると思われる。そしてそれは、victimization(被害者化)を避けつつ、アイデンティティをつくり上げる基礎になっている、資本と国家的なものとの共謀によって地理的に囲い込まれた均質な時空間としての「沖縄」を軸に把握されてきた歴史を、別の角度からとらえ返そうとする試みでもあるだろう。
その際、Wendyさんは、いつ植民地化されてもおかしくない「沖縄」を代表し、指導する立場を自認していた人々(local bourgeoisie、politician、local elites)と彼らが提起する沖縄の近代化、およびそのための生活改善運動をめぐる方針を拒否したsmall producersとの間で、あるいは伝統にもとづく沖縄主義なるものを主張していた人々(local elites)と小農および彼らとともにたたかう人々との間に、起きていた無数の衝突に焦点を当てる。こうしたアプローチの仕方は、だひとつの革命的な歴史を絶対視するのではなく、複数の瞬間(revolutionary moments)を社会変革の原因や結果として位置づけるnonapocalyptic history(15頁)とその可能性に注目した結果生み出されてきた著者の態度にもとづいている。
さらに、Wendyさんの問題意識は、経済至上主義的、機能主義的な旧来のマルクス主義に対し、主体性の生産という非目的論的な側面に着目しながら、資本主義の問題を検討することにもつながっていく。このような議論の立て方は、主にネグリなど、イタリアのマルクス主義の系譜にあるものだが、ここでのliving laborと資本との関係は、前者が後者の必要条件であると同時に、それ自身のリミットを立ち現われさせるものでもあると想定される。資本は、living laborとの本来的に敵対的な関係性にもかかわらず、(自己)価値増殖(self-valorization)をしつづけるために、人々が互いに関係を築く仕方や身体および世界のあり方にかかわる主体性の生産を必ず必要とする。つまり、dead laborへと常に追いやられそうになりながらも自らの欲求や願望を満たそうとする人々との絶え間ない葛藤、敵対、衝突の過程をつうじてのみ、資本は自己の形態を刷新し続けることができるのであり、逆に言えば、この葛藤と闘争の内部にこそ変革を可能ならしめる瞬間や可能性は存在しているという。だからこそ、この本において、資本に完全に包摂され、dead laborへと転換されることへの生産者たちの拒否の運動をつくるliving laborが持つ創造的な力は、資本が沖縄に手を伸ばし得る条件であると同時に、それに対抗し、破綻させ得るものとしても設定されている。著者によれば、そうしたliving laborの集団的闘争をつうじて構築される戦略的なallianceと身に付けられたアイデンティティは、資本家やナショナリスト、および沖縄主義のもとに主張されてきたOkinawan subjectivityに抗する対抗的な主体性として機能することになった。
Wendyさんは、そのような問題理解の仕方を全面に押し出すことにおいて、既存の沖縄研究を未だ支配的でapocalyptic(単一化と犠牲化に特徴づけられる)な語りから引き剥がそうと試み、すべてを蓄積の動因へと吸収していくかのように思わせる資本のロジックを前に、あらゆる抵抗が無益であるというシニシズムへの対抗を模索する。その際、強調されているのは、Contingency of encounter(出会いの偶然性)であり、常に進行中で、不確定ないくつもの出会いの諸系列を記録する、そのようなアプローチの仕方によってWendyさんが描き出そうとするのは、運命と終局が予め用意されているstagismへの対抗、および階級利害ですべてが説明される(実際にはそうできないにもかかわらず)すでに燃え尽きた歴史ではなく、living laborによる生きた諸実践であると思われる。このように、資本による物象化がその力を人間にゆずりわたす複数のモーメントを、関係や集団性の問題に引きつけて書くことで、始める前からすでに結論が決まっている議論(teleology)や経済至上主義に抗して、歴史を語る言葉の現状を打破したいという思いがWendyさんにはあるのかもしれない。
そうした生き生きとした実践を単に認識過程においてではなく、叙述過程において確保することは容易ではないと思われる。というのも、The limits of Okinawaは、沖縄問題を資本の問題として語り直そうとする試みであるが、そこに資本からの解放を歴史として書くとはいかなることなのかという問いが浮上するからだ。それは二回前の岡本直美さんが発表された乞食行進の場面を「一気に書き過ぎないように書く」(西川)ことの困難さにもつうじているだろう。かつて石牟礼道子は、独占資本の言葉を怨念(亡霊)の恨みの言葉として書く(冨山)と述べたが、大きなものから外れていくような可能性を描くことと理論的な語彙を使うこととのギャップの問題に本書もまたぶつかっている。そしてこの、歴史叙述をするということと、dead labor/living laoborという議論の枠組みの立て方の間に感じるギャップ(古波蔵)の問題は、後に書くような、theoryとはなにかという問いにもかかわるだろう。他方で、この難しいことに挑戦し、従来の抵抗や政治経済を語る語彙を捨て去ることなく、それとの距離を模索しながら一生懸命書こうとする結果、生産されてきた文章としてこの本を読もうとするなら、Introduction、第5章、終章のそれぞれに味わいの異なる文体が登場することの意味やその面白さを理解することができると思う。わたし(たち)は、Wendyさんの本に対するこのような読みの可能性を、火曜会の議論をつうじてようやく発見するに至り、議論という集団的営みをつうじて、この本の読み方にようやくたどり着くことができたのではないかと思う。
もうひとつ重要な点に、wendyさんが反資本主義的な動きの拠点あるいは担い手として、資本主義の内部にありながら、それには浸りきっていない領域であるagricultural commune(農村を基盤にした共同体)や、労働力として完全には包摂されきっていない存在としての小農(peasants)に注目していることが挙げられる。沖縄における不均等な発展を象徴する両者は、反資本主義的闘争を生み出す土壌となったもので、またその不均等さ自身がそもそも、一括りのナショナルな枠組みに依拠しつつ、ひとつの生産様式から別の様式へと同期的に移り変わっていくことを想定してしまうような、近代沖縄における資本主義理解というものの無理矢理さを説明するものでもあると著者は指摘している。ニコラスさんが言ったように、日本資本主義という最近では聴き慣れない言葉とグローバルな資本主義の展開が同じように並べられて登場していることについて、この本を一人で読んでいた時には戸惑いを覚えた。しかし、議論の場において、Wendyさんがなにとどのようにたたかおうとしているのか、言い換えれば、理論的整理の仕方がなにに対する応答であり、どのようなframe workにおいて自身の議論を組み立てようとしているのかが少しずつ明らかになるにつれて(平野さんの発言から多くの示唆を受けた)、はじめてこのIntroductionにおいて諸々の理論が引っ張ってこられている背景や意図が可視化されたように思った。
わたしたちはさらに、ここまで述べてきたWendyさんの方法と態度が、例えば、沖縄歴史研究会に代表されるような、本土の左翼との出会いの中で生まれて来た改革のためのマルクス主義がとった経済至上主義的な大文字の歴史を読み替える作業にあたるのではないかということについて議論した。同じマルクス主義のパラダイムを維持しながら、別のかたちで議論を立て直す必要に迫られている、具体的な状況の中において本書は書かれたのであり、そのように考えてみるならば、読者に戸惑いをもたらすIntroductionにおける諸理論の集めてこられ方はやはり、単にスマートな理論的枠組みの整理ではなく、「現在起きていることを何かにつなげるための理論」(冨山)としてそれらが用いられていることを示すものなのではないだろうか。また、第5章の内容にもかかわるが、「ゆいまーる」という沖縄北部の共同主義がかつて、単なる分析とは異なるかたちで、「自分たちの主体性を語れるようにするための理論」(冨山)として用いられた際、それが可能性として持っていたものをWendyさんは引き受け直そうとしているのではないか。そういう風にこのIntroductionをわたしたちは読んだ。
―第5章および終章―
第5章では、第一次世界大戦以降の沖縄経済の崩落と1920年代におけるマルクス主義的な組織の登場によって高まる緊張と、その中から生まれて来た運動によって、それまでlocal intellectualsが主張してきたような、沖縄経済の回復と日本本土との対等な立場を獲得するために欠かせないアイデンティティとしての「沖縄」(「沖縄主義」において想定されるもの)を軸に構成される連帯が台無しになる過程と、そのかわりに別の集団および主体性が生み出される過程が描かれている。なかでもOgimi村の闘争において、local residentsおよび彼らとともにたたかった人々は、経済的な困難とlocal elitesによる政治的決定力の独占に対し、経済ナショナリズムや予め存在する「沖縄」という共同体を前提にしたspiritual unityを唱える知識人たち(Okinawan intellectuals)が予想もしなかったかたちで応答していった。
90%もの村人が参加したといわれるOgimi Village Reform Movement(村政改革)を牽引したのは、本土から故郷へ戻って来たマルクス主義者(若い活動家)たちだが、蜂起そのものは、沖縄北部の経済的困難を背景に、資本主義的な発展を志向する村長(金城)にたいする住人たちの不満と、村のリーダーシップや共同の資源(森林)をコントロールする権利をめぐる争い、および共同資源へのアクセス権を制限されることへの恐れがそもそもの発端になって引き起こされた。Wendyさんの分析では、この村で蜂起が起こり得たのは、村人たちが持っていた政治的・経済的自律性への意思に加え、もともと本土や沖縄の他の場所へと出稼ぎに行くひとの多い地域であり、仕送りによってつながる社会関係が発達していたことが、マルクス主義者が村に残っていたひとびとを相手に運動を組織しやすかった理由のひとつでもあるとされている。また、村人たちは、Ogimi消費組合(Consumer Cooperative)を組織する際にも、Japan proletarian consumer cooperative allianceという、当時兵庫県を中心に活動していた消費組合運動とも連結(接続)するなど、既存のlocal intellectualとは異なる発想と行動において、沖縄という地理的範囲におさまらない広がりを持つ運動を展開していた。この組合運動は、マルクス主義と結び付き、仲良し会などの子どもを対象としたpioneer wingをつくるに至って、村においては明確に階級闘争の様相を呈したことも、その場所において村人が持っていた生活上の諸権利や政治的・経済的決定権、資源の分配に及ぶ主体性への欲求と願望を反映したものだということができると思われる。
Wendyさんによれば、この組合運動は最終的に、解散を命じられてしまうが、それ自身は決して単なる失敗/敗北としてまとめられるような出来事ではなく、振興政策が沖縄の小農たちの欲求を満たせなかったことに加え、旧来の共同体ではない集団をつくり上げた同運動は、戦略的な意味での拒否にとどまらない、より創造的な意味合いを持つものだった。北部農村での運動において、住民たちは、地理的・階級的な境界に沿ったり、そうした境界を横断したりしながら戦略的に結び付き、具体的な差別体験や国家と資本による搾取にもとづいた一時的な連帯をつくりあげるプロセスの内部で自らの主体性を実現するに至っていたのであり、これまで闘争の歴史と見なされてこなかった歴史がpeasantたちを中心とする集団によってつくられていたのである。
このように、Wendyさんは、出稼ぎ者や故郷を出て戻って来たマルクス主義者たちと村とのつながりに注目し、Ogimi 村政改革運動とコミュニティの再生を、資本主義化への農民主体による抵抗と沖縄主義とは別の集団性が生成される過程として描いている。だがそうした抵抗の記述は、沖縄主義が伝統の新たな価値付けになってしまう危険性に言及すると同時に、沖縄主義ではないコミュニティをつくっていくことがまた、生活改善の基盤を生み出し、次第にファシズムへと堕ちていく様を描き出すものでもある。そして確かに、最終的には、Ogimi村は、「日本」のファシズム農村の典型にのぼっていった。しかし、くしふさこの言葉に触れながら、その違いの部分を注視しながら書こうとする、終章の記述が示すように、やはり最後の最後に沖縄はそこには入らなかったということをどのように可能性として考えていけるのかが重要なのではないだろうか。
生産の拒否において資本主義化に抗する農民や農業が持ち得ていた可能性を、動かし難い「村」という集団(共同体、共同性)とは異なるかたちで言おうとする第5章の記述は、At worst, the conclusion that follows such a perspective is that Okinawans, because of their longing to be truly Japanese and because of the strength of their communal organizations stemming from premodern times, were in fact the most enthusiastic proponents of Japanese fascism―and hence, the population most brutally betrayed at war’s end-in the entire empire(187頁)という、終章の最後を単なる敗北や悲劇ではない歴史として、資本からの解放として描こうとするWendyさんの記述からいかなる読みを開発し得るのか、読み手の態度に問いかける部分でもあるのではないかとわたしは思う。
また火曜会にいらしてください!^^