火曜会

火曜会は、言葉が帯びる身体性を押し隠すのではなく、それを多焦点的に押し広げることこそが研究行為ではないか考えています。また研究分野の境界は、分野の前提を再度議論する中で、連結器になるとも考えています。

火曜会通信(11)香港と韓国で働くフィリピン人家事労働者

 

姜喜代「女性の国際移住労働問題とフィリピン人家事労働者のエンパワーメントについて – 香港と韓国で働くフィリピン人家事労働者の事例を中心に (2015年12月2日)

 

12月2日の火曜会で2013年の1月に提出した修士論文についての報告をさせて頂きました。冨山先生を始め、様々な研究をされているメンバーの方々からたくさんのご意見とアドバイスを頂戴することができ、感謝の気持ちでいっぱいです。

2日は搾取に関する議論が続きました。「住み込みの家事労働者は24時間管理されているかもしれないが、実は自分で管理していると言えるのではないか。その証拠に雇用主から家の鍵も預けられている。隠れた主体ではないか」との議論もありました。「無制限に搾取される」中で「自分の労働として取り戻していく、ある意味獲得していくのではないか」と。

その一方、火曜会の後の席では家事労働者を指す名称についての議論になりました。欧米では ‘domestic worker’、労働者ですが、フィリピンでは ‘domestic helper(DH)’, 韓国では ‘가사도우미(カサ トウミ−家事手伝い)’と呼びます。日本でも「お手伝いさん」や「ヘルパーさん」です。ヘルパーやお手伝いさんでは「自分で管理」する上で限界があるのではないかという面白い議論でした。

今回の火曜会での議論を受けて最も興味を持ったのは冷戦期に東アジアで展開した「ドメスティックな中で起きた共通平面」です。この文章を書いているまさに今この時にテレビで「日本における家事の外注化」についてのレポートが放映されていました。来年から日本で「家政士評価認定制度」という家事労働者をプロとして認定する制度が施行されるそうですが、例えば1時間1,500円の時給を支払ってプロに掃除をしてもらうというサービスが日本で広がっているという話には自分はあまり興味がないのだなと感じました。それよりも家事労働者に「エンパワーメント」をもたらす武器として、フィリピン人にとっての植民支配者の言語であるアメリカ英語を使おうとしている私自身の中に内在化されている帝国主義や植民地主義に気づかされ、この問題について掘り下げてみたいと思っています。小碇美玲さんとスピヴァクの本にも興味を持ちました。