火曜会

火曜会は、言葉が帯びる身体性を押し隠すのではなく、それを多焦点的に押し広げることこそが研究行為ではないか考えています。また研究分野の境界は、分野の前提を再度議論する中で、連結器になるとも考えています。

火曜会通信(12)サンフランシスコ・ベイエリアでのフィールド・ワークから見えたもの

 

高橋侑里「日常空間の中で再構成される政治とはーサンフランシスコ・ベイエリアでのフィールド・ワークから見えたもの」(2015年12月2日)

 

「日系アメリカ人の研究をしようとして、アメリカに訪れるようになったのですが、私にとってサンフランシスコでフィールド・ワークを行う行為自体が、ある意味裏切られていくような経験でありました。」(12月2日の火曜会でお配りしたレジュメの一行目に書いた文章です。)

 

まず、非常に大きな範囲で問いを考えると、学問分野としての日系人アメリカ人と、サンフランシスコ・ベイエリアにおいて「日系人であるということ」を考えるとき、これらの間にあるズレとは一体どういうことなのでしょうか。一つには、サンフランシスコという場所の特異性(ニコラスさん、冨山先生による示唆)があると思います。問題にしなければいけないことは、日系人史自体を構成するフォーマット存在し、それ自体が問われていないことではないでしょうか。冨山先生が示唆されたように、フィッシュの解釈の共同体(『このクラスにテクストはありますか–解釈共同体の権威3』、スタンリー・フィッシュ、1992年)とは、一つのフォーマットのなかであらゆることが解釈されることを意味しています。例えば、今回の報告では触れませんでしたが、例えば、日系アメリカ人史における分類のあり方、集団性の名称には、忠誠組、不忠誠組(ノー・ノー・ボーイと呼ばれる人たち)、帰米などがあります。また、そういった歴史記述において用いられてきた分類や集団性の根拠に、ナショナリティの枠組みというものがつきまとっており、日系アメリカ人史の場合は日本というナショナリティが横滑りして認識されてきた側面があります。また、世代論においては、ある経験を帯びたとして認識された時間性が世代ごとの集団性の根拠とされてきました。日系人を語る際に、日系という言葉をいったん措定したうえで、彼ら/彼女たちについて記述する必要はあります。しかし、日系人という集団が自明な集団として存在するということではないのです。すなわち、ある集団を状況的なものとして認識することが必要なのです。安里さん、冨山先生が示唆して下さったように、エスニック・アクティベーションというエスニシティを捉える認識のあり方があります。これは、エスニシティというものが自明のものとして存在するのではなく、絶えず何かしらの根拠、経験、記憶等によって絶えずアクティベイトされ続けるという状況的な認識のあり方を意味します。フォーマットへの抗いとして、日系人のドキュメンタリー映画、制作、上映会(映画祭)がある。それらに関わる行為、行事を個別にみると同時に連続したものとして捉える。それらを踏まえて、映像とコミュニティとの関係性におけるエスニシティを捉えることである。すなわち、それは、ある関係性匂いて彼ら/彼女らによってアクティベイトされた状況を逃さないところに存在するのであろう。そして、その瞬間を既存の言葉によって回収されないように言葉にする作業をしていきたい。

サンフランシスコ・ベイエリアで知り合った友人のお家にステイさせて頂き、少しの間、共に生活するなかでみえてきたものは、通常政治の外に置かれるような日常空間そのものを構成しているような雑多な物や空間そのものであった。ステイ先のマンション(オークランドに位置するアーティストや活動家が住んでいるアート・スタジオ)は、これまで私が行ったことのない類の住居、空間であった。マンションの廊下に無造作に飾ってあるマルコムXの絵や、住人のライフスタイル(どこに居住するか、何を食べるのか、何を買うのか、何を表現するのかなど)に至るまで、物、行動、言葉、表現、全てにそこに暮らす人々がうつしだされているようである。また、周辺の地域に住む人々が集まって自由に議論を行うインフォ・ショップなどの空間に、普通は政治として収まらないようなところに散らばって散在している言葉や表現や行為の豊かさがあった。これからどう扱っていくのか、また言葉としてどう受け止めていくかを考えていきたいです。オークランドのインフォ・ショップや、EastSide Art Allianceにおける大きく壮大な目標があるような集団性ではなく、どこからともなく人々が集まってきては散っていくような小さな草の根集団において発せられる言葉や声は、私がサンフランシスコ市議会で行われた慰安婦問題についての公聴会で聞き取ろうとした声や言葉とは、「語り口(冨山)」が異なるものであった。私たちが、政治を考えるとき、何が政治か、または何が政治とは認識されないのかという区分、状況自体を問い直す必要があるのであろう。すなわち、それは大きな政治と呼ばれるものから、そうではないものを区切る作業ではなく、それらが複雑に絡み合った状態でしかみえることのない状態をみることなのでもある。あるいは、その作業は大きな政治を日常の彼ら/彼女ら、そして私たちのもとへと引き戻すことなのであろう。