火曜会通信(13)歴史について語らないということについて
歴史について語らないということについて(2015年12月9日)
古波藏契
今回の報告では、2000年に発表された政策提言「沖縄イニシアティブ」における「歴史問題」への沈黙と、集団自決に関わる沈黙という文脈を異にするふたつの問題を、敢えて同時に議論の俎上に上げてみました。通例、前者は「新たに構築されるべき日本の国家像の共同事業者」という名乗りの中で了解不可能になる「歴史問題」への沈黙の宣言であり、後者はトラウマ的な記憶として個人に内属させられるか、あるいは語ってはいけないという共同体内部のタブーとして了解されています。
両者は、たとえば後者の沈黙をいいことに、前者はそれをなかったことにして「共同事業者」を名乗るという構図で了解されます。先行する「沖縄イニシアティブ」論争においても、その名乗りにおいて隠蔽される歴史を暴露するという対立軸に沿って展開されたと言えます。
今回、強引にふたつの主題を並べることで試みたのは、歴史を語るということがどのようにして新しい社会性を作りだすことに繋がるのかという、かねてから抱いていた素朴な疑問に照らしてこの隠蔽/暴露という対立図式を再設定することです。
そのためには、語られる歴史の内容というより、それを語る、あるいは語らない場面に議論の焦点を合わせる必要があると考えました。この場面という点について、今回設定した主題それぞれに、先行する文脈があります。「沖縄イニシアティブ」に関して念頭においていたのは、言葉がフラットに通じることが前提にはできない状況としての占領の中で、交渉の主体であろうとした現実主義者たちにおける現実感覚に焦点を絞り込む鳥山淳さんの研究であり、集団自決に関しては、その「犠牲者」の証言を集めるべく、自ら闖入者の位置を引き受けた下嶋哲朗さんのルポルタージュです。鳥山さんと下島さんがそれぞれ出会ってしまった沈黙の意味を、観察者そのものの位置を含めて考えてみるというのが、レジュメにセットアップした議論のたたき台でした。つまり、史料分析や聞き取りの成果物としての歴史叙述・ルポを、彼らが媒介となって生まれる状況の中で読み直すということです。
鳥山さんは自らの歴史叙述の実証研究であることをその著書の冒頭に掲げ、また下嶋さんも「戦争を伝えるのは議論ではなく、事実なのだ」と断言しています。にもかかわらず、その記述から浮かびあがるのは、明らかに事実性そのものへの問いです[1]。こうした事実を枠づける観察・分析の制度的前提への問いを含んだ力の知覚を、火曜会での議論では現実感覚と呼んでいたように思います。
歴史に対して沈黙することによって名乗られる「新しい日本の国家像の共同事業者」に対して、隠蔽された歴史――たとえば民衆の痛みを、事実として突き出すことで、この名乗りが置かれた戦局を理解することができるのでしょうか。このように問うことは、名乗るという行為を所与の政治路線の選択と見做した上でこれを再評価することを促しているわけではありません。問題にしたいのは、交渉や拒否やといった政治の類型化された理解によって切り分けられてしまうプロセスを、どのように視えるようにすることができるのかということです[2]。
既定の政治路線として了解される限りでの交渉には、たとえば鳥山が現実主義者に見出した「いらだち」が入る余地がない。それは単に他にベターな選択肢がないことの指標というだけではなく、与えられた選択肢そのものに仮託された未発の可能性を捉える端緒として、鳥山さんの実証的な歴史叙述の中に書き込まれているようにみえます。仮託というからには、それは次の展開に懸る行為であり、この「次」を結果論に解消することなく大事に議論する必要があるように思いました。「沖縄イニシアティブ」をどう評価するかという地点の手前に、どのように議論を繋ぐかという問いを立てなければならないということでもあります。
この議論に集団自決に関わる下嶋哲朗さんのルポを重ねたのは、この次ということを歴史叙述の方法論として議論するよりも、記述する下嶋さんを含めた関係性の中で考えてみたかったからです。下嶋さんの徹底的に闖入者的な位置は、隠された歴史を暴露するという行為が、どのように沈黙と関わるのかという点についての示唆を与えるように思われます。それは下嶋さんが明確に語るような事実が、沈黙を破って明らかになったというだけのことではないでしょう。事実を明らかにしていく調査と、読谷村という集団自決の歴史を抱え込んだ状況を編みかえるような実践となることとの隙間に問いの焦点を合わせて言えば、語ることの拒絶と沈黙を破って語り始める場面を、一揃いのプロセスとして考える必要があるように思います。
そのためには、集団自決の記憶に関わる沈黙に対して、それを語り得ない個人の症例や、あるいは語ってはならないとする共同体の規範の意識的な履行として説明し得るような事実に置き換えてしまうよりも、それが如何なる状況において出会われているのかという問いを接続することが大事になるように思います。だから沈黙を「やさしさちがい」と呼んでしまうわけにもいかないのです。
「出会われる」というこなれない言い方でなんとか表現しようとしたのは、一方で固有の内実を伴って想定された対象としての沈黙が、他方で聞き手に対して押し黙るという場面性を帯びている事態です。秘められた現実は、そのように出会われる場面の中で再構成され続けているのではないでしょうか。報告では語り手の能動性を強調した「タブーを作りだす」という表現を使ってみましたが、その主眼は暴露と隠蔽の渦中にあって、いずれの目的語にも収まらないような「事実」としての現実感覚を捉えることです。
ちなみに、報告では言及しませんでしたが、配布したレジュメの【脚注4】に収めたエピソードが気に入っています。下嶋さんは右翼の手によって破壊された「チビチリ・ガマ 世代を結ぶ平和の像」の処置をめぐって、その破壊されたままの姿を晒すべきことを主張し、再建を主張する知花昌一さんと口論したことについては報告でも述べました。さらに下嶋さんは、破壊された像にかけられたブルーシートをはずすよう、もう一人の同志である比嘉平信さんに求めています。破壊された像は、継続中の戦争状態という現実を視るものに突きつけるのであり、その上からシートをかけることは、「危なくなった現実より逃れる行為のように思われました」。
像の破壊後、2年ぶりに催された慰霊祭の場で、下嶋さんの主張は受け入れられ、平信さんの手によってシートは取り払われます。下嶋さんは、シートの後ろに隠された真実が、平信さん達遺族の沈黙を破る勇気によってあらわれでたことを称賛すると同時に、そのシートがそのまま遺族の座るためのブルーシートに変わる(戻る)場面を見逃していません。下嶋さんも、シートが隠す破壊された像よりも、両者の間で争われたシートのように、薄く張られた現実感覚の方に、歴史の生まれる現場を視ていたのではないかという気もします。
[1]鳥山の歴史叙述そのものについて、火曜会の場で詳細に時間を割いて議論したわけではなく、ここでは報告者が念頭に置きながら議論していた事柄との連関について述べるにとどめる。鳥山における次のような記述に注意しておきたい。「何が重視され、何が見過ごされることによってその「現実」が成り立っているのか、そこにどのような情念が絡みついているのか、それをじっくり見すえることを抜きにして、占領と現実主義について考えることはできない」(「占領と現実主義」『イモとハダシ―占領と現在』社会評論社、2009年、71-107頁)
[2]現実主義研究において問題となるのは、こうしたプロセスをぶつ切りにする区分そのものを問い直すことであり、従来の沖縄戦後史研究を社会運動史と括り、これに現実主義者という新たなジャンルを対置・並置することではない。