火曜会通信(14)金武町・新開地から地域を考える
桐山節子
金武町・新開地から地域を考える(2015年12月9日)
沖縄の基地は、沖縄戦の最中に接収され朝鮮戦争後に大規模な海兵師団の設置が図られた。基地建設とその維持は、地域経済の振興となったが、軍用地料と性暴力にかかわる複雑な緊張をもたらし、その問題は長らく口に出さないこととされてきた。
しかし、1990年代に金武町では、軍用地料に対する女性の住民運動が起こり、2000年代前半には裁判闘争が行われた。1995年には沖縄米兵少女暴行事件が発生した。この事件は、日米地位協定の見直しだけでなく基地の縮小・撤廃要求運動にまで発展し、普天間基地の辺野古への移設問題はこれを契機にしている。また、基地周辺の商業地域(バー・クラブなど)には、基地軍人の内包する暴力に最も晒され忘れてならない女性従業者の問題がある。彼女らの受けた暴力は、町内の性暴力事件同様語られてこなかった。
筆者は同時代に同一地域で進行していた両者を人の移動を軸に、基地の町の地域や女性問題として問おうと考えている。
現在、基地の町・沖縄県国頭郡金武町、新開地の女性従業者と旧金武区民女性の関係について検討を行っています。
金武杣山訴訟の原告グループは旧金武区民男性から女性差別を受けていますが、新開地地区への語りは曖昧で口を閉ざします。ここでは、女性従業者について黙するが基地被害抗議の県民集会や裁判などで行動する彼女らと新開地地区の関係をどのように記述するか、ご意見をいただけたらと思います。
(1)金武杣山訴訟
この訴訟は、裁判の目的のため作られた「ウナイの会」会員で金武町金武区に在住する女子孫約70人のうち、複数の戦争未亡人を含む26人(当時90歳~51歳の女性たち)の原告により、金武区入会団体を相手取って2002年12月に提訴されました。裁判では,憲法14条(法の下の平等)29条(財産権)、民法90条、263条・294条と女性差別撤廃条約に関わり争われました。軍用地料受領の権利は男女の別なくあるとする原告と、入会権で扱う財産権は、慣習として世帯主である男性の子孫に限られるとする被告の争いとなりました。彼女らは、1906年杣山払い下げ当時の金武部落民で、杣山等の使用収益権(入会権・民法263条)を有していた者の女子孫であり、旧金武区民以外の男性と結婚した女性たちでした。入会団体の会員は、運営に関わる総会議決権と軍用地料の配分を受けることが出来ます。
裁判の争点は、会員資格である①男子孫要件、②世帯主要件の改正でした。2003年11月の那覇地裁では勝訴しましたが、2006年3月の最高裁判決では世帯主要件を合法とし、原告は事実上敗訴しました。入会団体の会員数をみると、①地料を受領する旧金武区民(32%)、②地料の配分はないが妻は旧金武区民(5%)、③夫婦ともに1906年以後の転入者(63%)(2000年時期)に区分され、②は原告グループの母体です。
この裁判では、軍用地料が高額になるにつれ、地料が他地域出身者に渡らぬように、ⓐ入会団体会則が再編・強化されたこと、それには父系嫡男相続制や位牌継承の慣習を使用したこと、ⓑ入会団体は1906年に入会地を県から買い取りしたが、会員資格条件にその支払いに参加した住民の子孫-1906年以前に居住していた住民-を加えたことが明らかにされました。
沖縄で上記の慣習が厳しく言われるようになったのは、沖縄の新民法の施行後の1950年代後半と考えられます。時代に逆行するような慣習の動きは、山野で金銭を生み出すとは到底思われなかった地域に軍用地料が支払われ、援護法により戦争未亡人など女性に遺族年金が支給されるようになった頃からといえるでしょう。
※旧金武区民とは、1906年杣山払い下げ当時の金武部落民の子孫をいう。金武杣山訴訟の原告26人のうち、聞き取りのできた15人を“原告グループ”と呼ぶ。
(2)新開地
新開地は、基地キャンプ・ハンセン建設時期(1960年頃)に合わせて、町役場と金武区の地主により形成された米軍人用バー・クラブなどの集住地区です。米軍政期以来、この地区は日米政府の投下した軍事予算や経済・安保政策、基地被害抗議運動から直接的な影響を受け、不安定雇用を常に抱え営業されてきた。地区の女性従業者は、基地の兵士が内包する暴力に最もさらされる人々と言われてきた。この地区が最も営業利益を上げたのは1970年前後のベトナム戦争時期である。ベトナム戦争当時のキャンプ・ハンセン駐留軍人数は常時約8000人といわれ、これに対し1970年の町の人口は9953人であった。駐留軍人数はほぼ町の就業人口に匹敵した(2013年4月現在は6000-6500人)。
復帰後、米国の軍事政策の変更や海洋博後の不景気などで収益は下落するが、女性従業者が沖縄県人からより賃金の安い外国籍女性の雇用に転換し、1990年代初めまで地域経済の一翼を担ってきた。しかし、1995年の抗議県民集会以後には特殊慰安施設の必要性をも問われ、2000年代には入り益々営業利益は縮小していく。金武町社交業組合長は、「地区の活性化に向けた万策は尽きた感がある」とし、元経営者でさえ「10年もすると地区がなくなるのではないか」と述べる。しかし、基地は現在も存在し続け、2007年から自衛隊の駐留もある。町役場では、「町が静かになったというが事件は減っていない」という。今の所、その後の売買春の実態は不明である。
この地区の特徴は、①経緯と暴力事件の多さ ②反基地運動と新開地の営業は利害が一致しない ③女性らの転出入が多いことでしょう。以下に、インタビューなどを4点列挙します。
㋐(1936年生)は、引き揚げを経験した人で「基地の町で生活し口に出せないような暴力事件が相次いだことを知っている。いま、体験したことを話さなくてはと思っている」とし、「新開地は、米兵のもつ暴力性を吸収・緩和する憩いの場を提供し、暴力が町内に広がらないようにする役割やドル稼ぎを課せられ、町と金武区地主たちの相談の中で作られた。ここは宮古島・八重山・奄美出身者ばかりで軍人の暴力・暴行事件は聞くに聞けないことが多かった。戦後、この町内ではその種の事件が1000件を超えているのではないだろうか。公表されているのは氷山の一角で、当事者や地域の人々は隠し通すことに懸命だった」と回想します。彼の語りは、地域社会が兵士の暴力性を拡散しない対策として地区形成したことや被害の深刻さを訴えるものです。
シスター宮城は、「金武町のクラブマネジャーが「フィリピンの女性がいるから、町民が枕を高くし、安心して寝られる・・・。それに貧しい国の女性が、ここで働くことは彼女らの家族を助けていることになるんだ」と記します。新開地で暴力にあってきたのは主に貧困層の他地域出身者や外国籍の女性従業者で、彼女らは経営者からも見下されていたことが読み取れます。
元経営者㋜(1936年生)は、フィリピン生まれで引き揚げ後、高卒後、糸満市から那覇市を経て1966年に金武町へ転入した。1970年代後半から焼肉屋と沖縄そば屋を営業した。2007年に廃業。2回離婚し、子どもは1人。「何度か“寄留民のくせに”といわれたが、税金を払っているのに文句言われる筋合いはないと言い換えした」。※旧慣温存期の「寄留民」は法律用語であった。
1983年には新開地で就業する女性の宿舎が火災となった。アパートは屋外から施錠されていたため逃げられずフィリピン女性2名が焼死した。
(3)原告グループと新開地女性従業者の関係について
その1は、両者に共通することは軍用地料から排除されること-家父長制や出自に関わる女性差別の視点です。
その2は、性暴力被害の視点です。原告グループは新開地について口籠もり、日常的な付き合いが見えない。1983年の火災事件から、新開地で就労する女性従業者の中には、新開地地区をはじめとする金武町内を自由に行き来することが出来なかった人々がいました。
地区形成から考えると、地区は「性暴力を受ける女性たちと性暴力からは守られるべき女性たち」という女性間の分断を現している。それは女性の階層化-暴力の犠牲となる女性たちを作り出す-という家父長的な女性間の重層的な差別構造の様相と言えるだろう。語らない原告グループはあたかもこの構造を容認してきたかに見える。
しかし、これまでのインタビューから、性暴力の被害はより多く新開地の女性従業者が受けてきたが、町の全女性がその可能性を持つ立場であり被害も受けてきたとし、町中が全てを隠し通すことに懸命であったと考えられます。それ故、原告グループは新開地を含めた町の全ての性暴力事件を語らないのではないかと思われます。つまり、占領後のこの地域では、性暴力事件が大変身近なもので、新開地の女性だけでなくすべての女性(男性も含む方が妥当か)に関係し、軍事基地ネットワークの問題ともいえるでしょう。
原告グループは、性暴力事件に抗議する1995年の県民集会でマスコミ対策を初めとして企画段階から活動しました。彼女らは語らないが、行動では裁判で女性差別を告発し、性暴力事件で女性間の分断を超えて、性暴力を許さないという全島的な運動を行いました。
長年の屈辱は、彼女らの意識変化をも含み冷戦終了後の1990年代後半にやっと行動にできたのでしょう。これらから、この地域の女性間の関係は重層的な差別構造があったという言葉では言い表せない状況で、逆に語らないことが女性間の繋がりを現しているのかもしれない。
その3は、人の移動が頻繁に行われることです。原告グループと新開地女性従業者の多くは県内移動を繰り返すが、県外へ出ても多くは県内に戻ってくる。これは仕事があるという基地の町の特徴であろうか。また、人の移動が当たり前であるが故に、出自を明確にするという特徴もあるのではないか。
原告グループと新開地女性従業者の関係をどのように記述するかはさらに検討します。