火曜会

火曜会は、言葉が帯びる身体性を押し隠すのではなく、それを多焦点的に押し広げることこそが研究行為ではないか考えています。また研究分野の境界は、分野の前提を再度議論する中で、連結器になるとも考えています。

火曜会通信(19)サークル運動の顛末―『ヂンダレ』から考える

 

クル運動の―『ヂンダレ』から考える(2016年1月6日)

 

朴炯振(パクヒョンジン)

 

今回の発表では、1950年代のサークル詩誌『ヂンダレ』をめぐるいくつかの論点について考えてみました。特に、『ヂンダレ』という場所で出来た言葉の特徴、出来事と言葉(の停止)、運動について語る主体と記憶の問題(あるいは資料を前に置いた研究者の態度)などが主な問いだったと思います。

このような問題意識は京都に来るようになった後、出来たいくつかの興味が重なったものです。まず、金時鐘の文章や京都での経験を通じて少し分かるようになった在日朝鮮人の歴史や状況がその一つです。そして、在日の視座から見られる北朝鮮という国。私が勉強してきたこととだいぶ離れているように思われる(今は決してそうでもないと思いますが)『ヂンダレ』という詩誌を選んだ理由もそこにあるかもしれません。

また、「サークル運動の顛末―『ヂンダレ』と『広場』のはざま―」という当初のタイトルは崔仁勳という小説家の作品を念頭に置いたものでした。その中でも「GRAY倶楽部顚末記」(1959)と代表作である『廣場』[1](1960)を少し変えて入れたものです。簡潔に説明することは難しいが、両作品とも、集団的言葉∙動きへの希求とその挫折に関する物語だと私自身は考えています。もちろん、その挫折には植民地経験と戦争、反共国家の誕生のような恒久的な非常事態という状況が絡み合っています。うまく言えないですが、『ヂンダレ』と金時鐘の文章を読みながら、この小説と微妙に連結されていると思いました。その故に、当初の計画では二つの素材を結びつけて論じてみたかったのです。

しかし、『ヂンダレ』に関するさまざまな事実関係や問題を把握することも、(もちろん私の能力不足と怠慢のためだと思いますが)難しい課題だという事実に気づきました。それで、『ヂンダレ』に焦点を当てることになりました。にもかかわらず、『ヂンダレ』から考えようとした問いそのものは最初の構想で生じたことだと思います。これからゆっくり考えていきたいと思います。

火曜会での発表を通じて私が考えられなかった、様々なご意見を得ることができました。特に、詩とサークル運動、秘密を抱え込みながら何かを書く・語るということ、思想史∙文学研究の問題などはもうちょっと吟味する必要があると思います。それは詩を読めない(読まないとする?)自分と向き合うことでもあるでしょう。

 

[1]例えば、この作品の中で次のようなところがあります。(個人の言葉しかない韓国(密室)を去って、北朝鮮に定着した主人公が自己批判を求められた時の場面です)「明俊(ミョンジュン)が使ってきた言葉の意味は、ことごとく正されなければならなかった。新しい言葉を作り出す人たち。だがそれはまったく悪いことではなかった。ダダイストやオートマティストのグループが新たな言葉を作ろうと企てたことはが、彼らなりの努力だったとすれば、新たな基礎の上に立って人を引っぱっていこうとする人びとが、それにふさわしい新しい言葉を作ったって頭から咎めたくなかった。問題は作られた言葉の質だ。ダダイストたちが失敗したように、コミュニストたちも失敗したのだ。ダダイストが呪文のような独りごとを作ることを狙っていたとすれば、コミュニストたちはどこまでも集団語を作ろうとした。彼らの言葉には色彩の変化もなく匂いもなかった。」崔仁勳、田中明訳、『広場』、泰流社、1978、104~105頁。