火曜会通信(20)ダニー・ボーイが歌われる空間
「占領を見る」(2016年1月13日)
『この世の外へ クラブ進駐軍』坂本順治監督、2004年
戦争と占領:ダニー・ボーイが歌われる空間
番匠健一
♪ はじめに
今回は、火曜会映画編ということで『クラブ進駐軍』を共に見て、議論をする場をつくりました。当初はもう少し連合国による日本占領期に近い時期の作品を考えておりましたが、むしろ現在に近い作品から占領の描かれ方を考えたい、そしてオダギリジョーを見たいという複数の声を考慮し、この作品となりました。皆さん、いかがでしたでしょうか?
今回の通信では、皆さんと行った議論を振り返りながら、改めてこの映画において何が問われていたのかを文字化しながら、次の議論に繋げていく作業を行いたいと思います。この通信を読んだあと、さらなる議論と思惟、そして映画を見て考える行為に繋げていければ幸いです(^^)/(^^)/(^^)/
この映画は、「戦争」の傷跡を背負いながら進駐軍のクラブに出入りしジャズを演奏する5人の男性(ジャズバンドのラッキーストライカーズ)の視点から占領期を描くものです。第二次世界大戦における敗北から朝鮮戦争の開始まで、おおよそ1947~50年までが作品内の時間設定です。レイテ島で終戦を迎えた復員兵の口から語られる、「終戦のビラは信じられなかったけど、飛行機から流れるジャズは信じられた」というセリフにあるように、戦争/占領における音楽の力が果たす役割が大きなテーマです。物語前半、ベースの青年が自宅の前で「まだ(音楽を)やっていたのかよ」と言われ頭にくるシーンがありますが、「占領」という事態のなかで起こった進駐軍との接触、基地のEMクラブ(Enlisted Men’s Club)での音楽活動(*1)においては、音楽(ジャズ)という戦時中(あるいは日常?)では生計を立てることが難しい行為が経済活動となります。このような音楽という「夢に生きることができる空間」とともに占領期を描いていることが、本作品の大きな特徴だと思います。戦争と音楽の魅力の関係については、高恩美さんからも指摘があり、映画『地獄の黙示録』において、ワーグナーの曲が流れるなか南ベトナム解放戦線の村を攻撃する場面とともに考えることを提起されました。またエンドロールについても篠原由華さんから指摘がありました。坂本監督が出会った進駐軍の基地に出入りしていたミュージシャンによる「クラブ進駐軍コンサート」が延々と流れるシーンがラストに来ることはどういう意味を持つのでしょうか。現実に戦後日本の音楽シーンに大きな影響を与えたジャズの華々しい歴史が映し出され、あたかも進駐軍のEMクラブにおける日本人とアメリカ人の音楽的な出会いを描く本作品を、戦後日本の重要な起点として自己定義するような印象を受けました。これは手嶋さんから指摘がありましたが、レイテ島で広岡の上を飛ぶ爆撃機から流れ、劇中に幾度となく繰り替えされる「A列車でいこう」についても同じことが言えると思いますが、戦争/占領における音楽経験に重要なポイントが置かれているようにみえます。
♪♪ 9.11後の「廃墟の既視感」と何かの忘却、、、
議論に入る前に、私が最初にこの映画を見たときの感想を書いておきたいと思います。そのためには、この映画が公開された2004年を振り返らないわけにはいきません。9.11におけるWTCのツインタワー崩壊、そして米国を中心とするNATOによるアフガニスタンへの空爆と占領、そして米国が中心となったイラク戦争と占領、このように続いた戦争行為のなかで、日本占領は「よき占領」のモデルとして常に思い返されてきました。
『クラブ進駐軍』は、米国を中心とする進駐軍による占領空間を構成するありとあらゆるアイコンを緻密に配置した優秀なフィクションだといえます。私はこの映画がフィクションであって、実際はもっと苛酷な空間であったなどといいたいわけではありません。そうではなく、この優秀な作品を見た後に、この作品が封切られた2004年に何が起こっていたのか。自分がアメリカの戦争の中でたくさんの情報を集め、多くの友人たちと議論したことが、何ひとつ思い出せない。接続の回路が断ち切られているような気がするのです。
そのことを考えるために少し作品からわき道にそれたいと思います。S・ジジェクをはじめ本当に多くの人が9.11後のツインタワーの崩壊と廃墟の出現に対する「既視感」を語っていました。この「既視感」が何なのか、「既視感」を語る人たちはこの問いからはじまってどのような思考をめぐらせていったのでしょうか。
「貿易センタービル爆破はわれわれの幻想の球域を打ち砕く<現実界>の侵入であったという、標準的な解釈に背を向けるべきだろう。まったく逆に、われわれが現実に住まっていたのは爆破以前のことだった。第三世界の恐怖はありがたいことにわれわれの現実の一部ではなく、(テレビ)スクリーン上の亡霊のごとき幻として(われわれにとっては)存在しているなにかであると思っていたのだ――そして9月11日に起こったこととは、このスクリーン上の幻想が、われわれの現実(つまりなにを現実として体験するかを決定する象徴的座標)に入ってきたということである。9月11日以後、世界貿易センタービル崩壊に似たシーンのある多くの大作映画が、封切りを延期された(お蔵になった場合すらある)が、これこそ世界貿易センター崩壊の衝撃に責任がある幻想の背景の「抑圧」として解釈すべきだろう。もちろん肝心なのは、世界貿易センタービル崩壊を、またも登場したメディアのスペクタクルであるというように矮小化する疑似ポストモダンゲームをやらず、それを殺人ポルノの破滅的なかたちとして読むことだ。9月11日のテレビスクリーンに見入るとき問うべきと問いはたんにこうだ。これとまったく同じものを、すでに何度も何度も見たのはどこでだっただろう。……。爆撃の圧倒的衝撃は、現在のデジタル化された第一世界と、第三世界の「現実の砂漠」を分ける境界線を背景として考えなければ説明できない。われわれが孤立した人工的宇宙に生きているという感覚こそが、なんらかの邪悪な存在がいつなんどきやってきて破壊をもたらすかもしれないという恐怖を生み出しているのだ。」S・ジジェク「現実界の砂漠へようこそ!」『現代思想』2001年10月臨時増刊号、vol.29-13、p14、
私たちは「いつ」この廃墟を見ていたのか?それはテレビドラマや映画、ニュース映像のなかでヴィジュアル化された「現実」において「戦争」とは知覚されていなかったモノが出来事によって「現実」と接続される、現実に浮上してくるようなプロセスだったのかもしれません。戦後日本は長いあいだ戦争を経験して「いない」と言われてきましたが、ここで問われているのは、戦争の「何」が経験に当たるのか、経験に当たらないのか、戦争行為と取り結ばれている関係の連結と切断を構成する政治の仕組みが問われているようにおもいます。「廃墟の既視感」は、ずっと戦争を見ていたはずなのに、見ていなかったことにされていた経験、それが廃墟の映像とリンクすることで浮かび上がってきたような、あるいは戦争を経験していないとされていたものが戦争のただ中にあるという感覚に劇的に襲われてしまうような、そんな瞬間だと思います。
わたしがこの映画を最初に見たときの感想は、この映画のラストが象徴的にあらわしているように、日本のサブカルチャーの側からの戦争協力、「トモダチ作戦」以前のトモダチ行為だと思いました。ですが、この映画は、というよりこの映画が抱えているものは、それだけではないように思います。もう少し理解することが難しい、不気味な、戦争に関わるイメージと言説の編成にかかわる言いようのない領域が、この映画の問題と近いところにある気がするのです。私はこの映画を見たのは公開されてから何年もたってからなので、2004年の時点で同時代の作品として見た人にとっては違うかもしれません。しかし、、、なのである。
♪♪♪ 「戦後的なもの」の配置、、、もしくは「戦後」のオンパレード?
次に『クラブ進駐軍』のキャストを確認しながら、この作品で描かれているものを確認していきたい。物語の中心であるラッキーストライカーズの5人はそれぞれ、復員兵、原爆、ヒロポン中毒、レッドパージ、孤児という戦争のもたらした傷跡を抱え、「戦後」的な空間を構成する主要な役割を担っています。また、パンパン、朝鮮人、ハワイの日系人、ニセ日系人、黒人兵、傷痍軍人など概念的にはっきりとした形で登場し、「戦後的なもの」オンパレードといった有様です。
主要登場人物はこのような感じです|д゚)
・広岡健太郎(サックス&ボーカル) – 萩原聖人:復員兵。レイテ島で終戦後2週間彷徨う。
・池島昌三(ドラムス) – オダギリジョー:長崎で両親が原子爆弾の攻撃にあい治療中。
・浅川広行(トランペット) – MITCH:神戸でジャズを演奏していた過去を持つ、ヒロポン中毒。
・平山一城(ベース) – 松岡俊介:朝鮮戦争にともない兄が思想弾圧を受ける。
・大野明(ピアノ) – 村上淳:弟が孤児として路上生活。物語途中でラッキーストライカーズから引き抜かれ、美空つばめのピアノ伴奏者になる。
・ラッセル(テナーサックス)– Shea Whigham:弟がレイテ島で戦死。トラウマを抱える。
・ジム曹長- Peter Mullan:基地のEMクラブのマネージャーを務めるアイルンド系アメリカ人で、交通事故で一人息子ダニーを亡くす。
こうした傷跡を背負った男性同士の関係を描く作品において、その深刻なテーマに観客をひきつけるのはオダギリジョー演じる池島です。被爆というシリアスな問題を抱え込みながら、コミカルな演技と恋愛を作中に持ち込み、娯楽映画の雰囲気をつくっています。ジャズシンガーの依田涼子(前田亜季)と関係のポイントとなる池島の「まだ戦争終わってないんだよ」といって進駐軍クラブを出ていくシーン、そして自室で「長崎エレジー」を歌うシーンは、長崎や被爆という問題を背景にほぼ感じさせないような「軽さ」が意図されている様にも思います。
これらのキャストが出会う場所であるEMクラブ、そして軍隊は非常に人種ごとの境界線が明確に弾かれた空間として描かれます。
作品の前半でラッセルは音楽仲間である黒人兵ルーサーと基地で再会します。握手を交わす二人、弟を殺した日本人に対して嫌悪感をあらわにするラッセルに対して、「基地から一歩出てみろよ “アメリカ大好き”って顔に書いてあるぜ」となだめるルーサー。その横を通り過ぎる白人兵は「それでも白人か?」とラッセルに罵声を浴びせます。人種主義的な発言に対して、気にするなというそぶりを見せるルーサーですが、作品の後半では、黒人専用バーまで朝鮮半島に出兵する自分を見送りに来たラッセルに対して、「白人兵はいつも後からゆっくりゆっくりだ だけどオレ達ゃまっ先だ」と絡みます。アメリカ本土においては音楽によって繋がっていた友情は、戦争行為のもとで人種ごとに割り振られた役割のなかで崩れます。
またEMクラブで演奏する日本人の演奏者やダンサーとやり取りをするハワイ系日系人の通訳が登場しますが、ラッキーストライカーズの演奏を聞いて「トランペットはいいですね」とコメントする彼に対して、ジム曹長は「音楽わかるのか!?」と返します。お前も音楽の分らない「日本人」のようなものだろ、ということでしょうか。この日系人通訳はラッキーストライカーズのステージに割り込み広岡とケンカになるラッセルに対して「ルールを守れ」とたしなめますが、ラッセルから「貴様日本人かアメリカ人か」と罵倒されます。また作品中盤で、EMクラブでジム曹長の誕生日パーティが始まる直前、ヘマをしないようにたしなめられる広岡に「なんだよハワイ?」と因縁をつけられると、「わかったか ジャップ」と返します。つねに自分をアメリカ人の側においておかなければならない、日系人通訳の微妙な立ち位置が垣間見えます。
幾分か図式的に描かれているこの人種主義的な関係が強調されればされるほど、物語の終盤で人種主義の境界を超えた広岡とラッセルの友情が強調される流れになっています。冒頭では「日本人に唾をはきかけてやる」と毒づいていたラッセルは、後半では、日本人が集うボロボロの居酒屋でラッキーストライカーズや満洲帰りの軍人と酒を飲み、肩を組んで日本人の歌う「啼くな小鳩よ」に共に体を揺らすまでに至ります。音楽を通して、音楽によって可能になったこの人種的な和解の不気味さはなんなのでしょうか。人種主義を超えた関係をつくってしまう音楽の力、それは単なる友情の力ではなくとてつもなく恐ろしい力かも知れません。
♪♪♪♪ 二つのダニー・ボーイ
この映画のなかでとても象徴的な、そして最も嫌な予感がしたシーンがあります。それは作中に2度あるダニー・ボーイが流れるシーンです。
1度目は、EMクラブのマネージャーであるジム曹長の誕生日の席です。池島の「まだ戦争終わってないんだよ」という言葉に引きずられて、もしくは日系人通訳の「ジャップ」という言葉への反応かもしれませんが、ジム曹長(息子ダニーが交通事故で死亡しているためダニー・ボーイはご法度)への当てつけとしてダニー・ボーイが演奏されます。交通事故が日本占領の過程で起こったものか、アメリカ本国でのものかはうかがい知ることは出来ません。この場面では、息子ダニーを思い出し幸せな誕生日パーティが悲しみに染まってしまったジム曹長が退出するのに合わせて、クラブにいた米兵たちは皆会場を去ります。この反応は、ジム曹長への侮辱に対する反応でもありますが、息子を戦地に送り出すこの曲をまぜ日本人の下手な演奏で聞かなければならないのか、エンターテイメントであるはずの音楽が、エンターテイメントとしての条件を満たしていないことへの反応とも読めます。
ダニー・ボーイ(Danny Boy)、またの名をロンドンデリーの調べ(Londonderry Air)は、アイルランド民謡として日本でも知られている曲です(*2)。森進一や美空ひばりが歌っているものが有名ですが、なかにし礼の訳のようにアメリカで一般的な歌詞(戦争に行った息子を思う親心)を訳したものもありますし、独自の歌詞をつけて歌うことも多いです。フォークではJoan Baezが歌っていますし、それ以外もジャズではBill EvansやKeith Jarrettがインストで弾いています。さらには近年のアイルランド音楽ブームのなかでも何度も聞かれるようになっており、私も何度かこの曲の演奏を要求される場面に遭遇していることが、この嫌な感触に関係していると思います。
2度目のダニー・ボーイは、作品の後半、ラッセルが朝鮮戦争で死亡し、彼から託された楽譜の曲「Out of This World」が演奏された後、朝鮮戦争に行くことを拒否してMPの銃で自殺を試みる兵士を前で演奏されます。ダニー・ボーイの前に演奏された「Out of This World」を歌詞で見るなら、どこにでもあるような前向きになろうよという曲なのですが、問題は演奏される場所です。すでに朝鮮戦争で死亡している兵士からの死者のメッセージとして受け取った場合、この一兵士にとってそれは戦争における死の肯定、あるいは死の招待状のようにも読めたのではないでしょうか?そのように歌を受け取り、朝鮮戦争への出征を拒否する兵士に対して、広岡はアメリカ国歌「星条旗」を演奏しようとしますが、ジム曹長によって制止されます。このアメリカ国歌は、作品中で一度演奏され黒人兵と白人兵がケンカを始め収拾がつかなくなった状況を見事に解決し、理性を失った兵士たちを直立不動の敬礼の姿勢へと導きます。国歌は、人種間の抗争を包摂することが可能だということです。しかし、この場面で国歌は選択されませんでした。ブッシュ大統領のshow the flag発言を知っている9.11以降の私たちにとって国旗や国歌は戦争へと人々を駆り立てるものということが前提になっています。しかしこの作品において、人間を兵士の顔にするのはダニー・ボーイでした。
兵士を死の戦場に送り出す側のジム曹長が、この瞬間から人間的に死を悼む自分の実の親のような存在として立ちあがります。この2度目のダニー・ボーイは、1度目のダニー・ボーイにおいてジム曹長がみせた亡くなった子どもへの悲しみと愛情をうけての反復であることも重要だと思います。当初、私は国家の戦争のための論理が、家族の愛の論理にすり替わるそのカラクリがこのダニー・ボーイに潜んでいると考えていました。しかしこの点については議論のなかで冨山先生から指摘があり、音楽は国家の権力装置を代補するだけのものなのだろうか、むしろ音楽こそ、音楽でしかできないことがあるのではないか、という問題提起がありました。日本占領という一度戦争が終わったとされる状況から、次の朝鮮戦争への出征という、理屈では繋がらないものを繋いでしまうのが音楽なのではないか、と。
もう一度、このラストシーンを見てみるならば、非常におかしな点がたくさんあることに気づきます。朝鮮戦争への出征する兵士の名前を読み上げるのが、なぜハワイ系日系人通訳なのでしょうか?そして、ただの一兵卒であるはずのラッセルがなぜそれほどキーパーソンとして映画のなかで役割をあたえられているのか、という指摘がニコラスさんからありました。そして、少し失礼かもしれませんが、あまり上手ではないダニー・ボーイを演奏して次の戦争へと送り出す音楽を演奏するのがなぜ日本人ジャズバンドなのでしょうか。西川和樹さんからは、中学校時代に聞いていたダニー・ボーイの歌詞の意味を知ることができて良かったというコメントと、このラッキーストライカーズを始め音楽家たちの「軽さ」について問題提起がありました。おそらく戦時中は軍楽隊で軍歌そしておそらく「君が代」を演奏していた演奏者たちは、基地のバーではアメリカ国歌を演奏し、そして飲み屋では満洲帰りの軍人と歌謡曲を歌うこともできる。冨山先生からは、この「軽さ」は音楽家にとっての戦争責任を歌詞で問うのかメロディで問うのか、という音楽演奏における責任の問題にも関わっていると指摘がありました。この国家的でもあり家族的でもある感動的な空間に生れた共同体の、このちぐはぐさを包み込んでしまう音楽の軽さと不気味さ、そしてこの映像表現が批判しているのか協力しているのか判断がつかないところに、この作品の持つ重要性でもあり私の違和感でもあるものがかかわっているように思います。映画のラストが、朝鮮戦争の死者数が数字として浮かび上がり「米国防総省調べ」という文字が最後に来ることからも、この作品の目線について違和感を持たざるをえないのです(*3)。
通信の最後に気になったところをいくつか指摘したいと思います。
1点目は、朴炯振さんから指摘があった地下道の空間です。平山の兄が文字の空間あるいは政治運動の空間で生きているのに対して、地下道は孤児と傷痍軍人の空間です。ピアノ担当の大野の弟である路上生活を自ら選んだ少年は、「戦争中の方が良かった、大人も子供も我慢していた」と子どもの目線から見た戦後批判を兄にぶつけます。そしてこの少年の面倒を見ていた片脚の傷痍軍人は少年を兄の下へ送り出した後、傷痍軍人たちの自律更生会への誘いを断り、「あっちはあぶねえ」とつぶやきます(*4)。この予感にみちたつぶやきを到来する次の戦争のもとでどのように考えたらいいのでしょうか。
2点目は、占領期を描くこの作品の中でのマッカーサーの位置です。ラッセルの弟が戦死したのもレイテ島、そして広岡が彷徨い歩いたのもレイテ島であることから、この戦場を経験したものがマッカーサーに対して何らかの感情を持っているだろうことが暗示されています。しかし、作品中に出て来るのは、ニセ日系人の手配師(哀川翔)がかけているマッカーサー的なサングラスのみです。このマッカーサーの不在とパロディの存在をどう考えたらよいのか。
通信をまわし読んだ後に、議論できれば幸いです。
ありがとうございましたm(__)m
参考文献
『シネ・フロント』(特集 この世の外へ クラブ進駐軍)、322号、2004年
脚注
*1「日本各地の基地やキャンプには、米兵たちの娯楽施設の一つとしてクラブが作られた。軍人の階級によって使用できる専用クラブが設けられ、全盛期には全国に500ほどあった。次にあげるクラブが代表的なものである。
OC (Officers Club 将校クラブ)
NCO (Non Commissioned Officers Club NCOクラブ・下士官クラブ)
EM (Enlisted Men’s Club EMクラブ・兵員クラブ)
クラブでは、食事や酒が提供されただけにとどまらず、バンド演奏やショーも提供された。占領期後半まで、アメリカ本土からの慰問が少なく、バンド演奏やショーを日本人のバンドマンや芸能者に頼らざるを得ない事情によって、日本人によるバンド演奏やショーが必要となった。オフリミットへの立ち入りを特別に許された日本人は主に従業員、バンド演奏やショーに関わる芸能者、芸能者を斡旋する仲介業者だった。」
東谷護「ポピュラー音楽にみる「アメリカ」 ―日韓の米軍クラブにおける音楽実践の比較から考える―」『グローカル研究』no.1、pp45-46、2014年
(http://www.seijo.ac.jp/research/glocal-center/publications/backnumber/jtmo420000005foz-att/touyaronbun.pdf)
*2 ダニー・ボーイの曲の由来については以下の論考を参照。
「ロンドン/デリーという地名はイギリスによる植民事業によって生まれたものだったため、長らく論争の的となってきた。アイルランドの人々はこの地名をあまり使わず「デリー(Derry)」と呼ぶ場合が多い。…アイルランドは独立後ゲール語と英語の両方を公用語としたので地名も両方併記となり、また植民地時代の地名も変更されたので、そのことからも「デリー」を使うのが一般的で、新聞、テレビなどの報道機関も基本的にデリーを使用する。一方北アイルランドでは「ロンドンデリー」を使う場合と「デリー」を使う場合とが混在しているが、これはそれぞれの個人や団体、報道機関の立場を反映したものである。カトリック教徒やアイルランド共和国との統一を望む人、あるいはそれを支持する報道機関や団体は「デリー」を使用し、プロテスタント教徒やイギリス残留の継続を望む人、またそれを支持する立場は「ロンドンデリー」を使うことが多いのだが、紛争が激しくなった1960年代以降この傾向が顕著となった。しかし最近では、特に1998年に紛争の和平合意が成立して以降、双方の立場を尊重して、Derry-LondonderryやLondon/Derryなどの表記を使うことも多くなってきた。」小村2015:p32
小村志保「ダニー・ボーイはロンドン/デリー出身?「ダニー・ボーイ」の歌をめぐる一考察」『学習院女子大学紀要』17号、pp23-34、2015年
(https://glim-re.glim.gakushuin.ac.jp/bitstream/10959/3657/1/joshidaigaku_17_23_34.pdf)
*3 、映画のラストに浮かび上がる文字は以下です。
「「米朝鮮戦争死傷者数」(米軍15.7万人(戦死者54.246人)、韓国軍84.3万人、国連軍1.5万人、中国軍90万人、北朝鮮軍52万人) 米国防総省調べ」
*4 朝鮮戦争の開始とともに、旧軍人の公職追放解除が進む一方で、傷痍軍人は再軍備反対の象徴的な存在としてメディアから注目される。以下の論文参照。
植野真澄「占領下日本の再軍備反対論と傷痍軍人問題」『大原社会問題研究所雑誌』No550・551、2004年
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/550-551/550-01.pdf