火曜会通信(21)三線を弾き、三線を考える
三線を弾き、三線を考える(2016年1月27日)
栗山新也
今回の発表では、沖縄の古典音楽や民謡の伴奏楽器として用いられる三線をめぐって人びとがいかなる意味や価値を付与してきたのか、また三線がいかなる人間関係を媒介してきたのかについて、沖縄、大阪、ハワイなどでの調査をもとに報告しました。
三線のやりとりは、主に親族、友人、師弟や三線仲間などの関係の中でプライベートに行われ、ときに即興的で、その場の雰囲気や勢い、特殊な見立てなどに左右されながら交換、売買、贈与等がなされてきました。こうした個人間の三線のやり取りの過程をみていくと、三線は単に楽器としてのみ意味をなすのではなく、骨董品、贈り物、形見の品、家の格を示す等、重層的な意味に帯びており、どこに意味や価値を見出すかは所有者ごとに異なっていることが明らかになりました。また三線の意味や価値は、継承のされる過程で絶えず見いだされ続けていくものであり、楽器として実用されていたものが骨董化したり、また感謝の意を示す記念品が、のちに楽器として使用されたりするなど、意味や価値が積み重なっていく姿がみられました。
一度移民先に渡ったのち、再び沖縄に戻って来た三線のことを、「里帰り」三線といいますが、例えば、あるブラジル移民一世の所有していた三線は、ブラジルに持ち運ばれてから百年後にブラジル移民一世を象徴する三線という意味が付与され、それによってブラジルの日系移民社会、沖縄民謡界、さらには出身の字といった多様なコミュニティを横断し、ブラジルに三線を持ち運んだ一世が予期しなかっただろう人びとによって、つぎつぎに音が奏でられていきました。古く貴重な三線の一部は、現在「文化財」として博物館等の公共機関に所蔵されていますが、この事例のように、地域やコミュニティをこえて三線に付与されてきた意味や価値の豊かさやダイナミズムは、いわゆる「文化財」の「文化」とはなにか、ということを問い直す契機になるのかもしれません。
火曜会の翌日、私は、2月の沖縄調査に向けて準備を進めていました。沖縄在住時に関わりがあった歌三線の師匠たちに調査を依頼したところ、ほとんどの師匠から快い承諾をえることができました。私にとって三線、あるいは三線を弾いてきたことは人間関係を形成する重要な媒介としてあります。ここからも三線のさらなる意味の重層性を考えることができるのではないでしょうか。