火曜会

火曜会は、言葉が帯びる身体性を押し隠すのではなく、それを多焦点的に押し広げることこそが研究行為ではないか考えています。また研究分野の境界は、分野の前提を再度議論する中で、連結器になるとも考えています。

火曜会通信(27)『沖縄戦後民衆史』精読会

『沖縄戦後民衆史』精読会(2016年6月8日)の感想
森 宣雄

 

みなさまそれぞれに読んでいただき、感想や応答をいただくことで、自分が同書で何を試みたのか、どこまでできたのかを、相対化することができてきました。いくつかの点を言葉にしてみたいと思います。

 

1 「宇宙人にむけて地球の人の歴史と思想を語る本なんですよ」
この言葉は、会のなかで思わず口にし、「ああなるほど」と一部に共感をいただいた同書のスタンスでした。これは私にとって、今回みなさんに引き出していただいた、大きな財産です。
22歳で沖縄に行ってから25年余り、沖縄の人びととお付き合いしてきて、ずっと考え続けてきたのは、沖縄の(人びとの歴史経験、それをあらわす言葉が定置される)歴史像・歴史観は何か、ということです。ちなみに現在の私の個人科研費のテーマもそれをあらわしています。「沖縄現代史およびグローバル化時代の歴史哲学についての研究」といいますが、要するに沖縄現代史をとおして歴史哲学を考える、それは「グローバル化時代」に社会的な必要なものだよ(だからこの研究に税金を投入しましょう)ということです。
同書は、地球の歴史から始まり、隆起サンゴの島の上で人びとがたどった歴史経験、そのなかで築き上げられた社会思想を見ていくことで、2016年の時点で人間の歴史を総括したものです。遠い未来に、この本を見つけて、21世紀初めまでの人類はこんな歴史をたどっていたのか、こんな人たちだったのか、と分かるように書いた、そういう心がまえと組み立ての本ということです。
もっとわかりやすく言い換えます。1945年の沖縄戦で非道にも、何らかの差別ゆえに棄民化され十数万人虐殺され、その後も殺されつづけている地域の人びとが、いかにしてこの〈捨て石・占領〉を終わらせようとして、社会と思想を築いてきたか、それが同書の一貫したテーマです。それがすべてです。同書で言及される戦後沖縄の政治も経済も文化も、日米の政治や国際法体系の検討も、すべてこのテーマを究明するために奉仕するパーツです(もちろんパーツは大事ですから、書いた事柄については一所懸命研究し、結果として各分野においての新発見なども少なからず生まれていますが、この作品の著者にとっては、ある分野・部門の進展に貢献するお手柄の新発見などは、どうでもいいことです。それにとらわれてしまうと、本筋が曇らされてしまいますから)。
それゆえに、戦後沖縄の政治や経済についての記述が網羅的ではなく足りない、もっと足すべきだというご指摘との対話は、ちょっと噛みあいませんでしたね。私も沖縄の政治史などのモノグラフにおいては、ある相対的に小さなテーマ設定で網羅的に年表的に記述する仕事もしてきましたので、ご指摘は分かるのですが、同書はいわゆる通史で、おおむね50年以上のある社会の総体(政治・経済・文化・思想・世界史における位置)を描くことで、それをとおして人類史の全体像を浮かび上がらせることを主たる課題にしています。
では問題は、なぜ通史なのか、それにどんな必要性があるかです。お分かりと思いますが、沖縄戦後史の成立根拠であり、それが格闘してきた、ある差別を克服するには、差別を生み出し、再生させつづけているところの、長いスパンの歴史と、それを相対化し対抗しうるところの歴史像・歴史観が必要であり、また実際に戦後沖縄の人びとはそれを問いつづけ、また築いてきたからです。「あとがき」にも書きましたように、同書は沖縄の人びととの対話から生まれたもので、その道案内についていきながら、沖縄の歴史観・歴史像を描いた作品です。
沖縄戦とその継続としての戦後史、沖縄差別を生み出してきたものは、帝国主義・資本主義と、そのもとでの植民地主義である、あるいは近代という時代、とくにそれが行きついた20世紀の「戦争と革命」の時代精神であると、同書のなかでくり返し指摘しています。そして同書の具体的な人間たちと社会の叙述は、すべて「戦争と革命の世紀」を終わらせ、「戦争のあとの未来」を遠望する結論へと帰結していきます。資本主義や帝国主義が生んだ歴史を相対化し、その外、向こうを展望するためには、当然、歴史観というか、ものの見方をその外にまで広げなくてはいけません。
従来ある沖縄についての歴史観は、唯物史観・階級闘争史観や日本一国史などに包摂される地域史で、沖縄は隆起サンゴの島であるがゆえに古代の農業革命、近代の産業革命などに出遅れた辺境とされてきました。そして現在の人権抑圧や不平等、〈捨て石・占領〉体制下の殺人をとめる展望も、多くの場合は、国民主義や、近代的人間像を背景にしたヒューマニズムなどによって立てられようとしてきました。しかし近代が生んだ矛盾・しわ寄せを近代精神で解消することに確かな展望はあるのでしょうか。他方、同書で取り上げた戦後沖縄のなまの声、人びとの生きる支えとなった価値観は、祖先崇拝や、古代からの循環的歴史観、あるいは〈もとへの復帰〉の歴史観です(p.40、152、186、242、277-78の注8)。
同書はガマのなかでの「生きる」自然の欲求の発露にはじまって、「子や孫のために」という今辺野古で日々語られている信念にむかって進んでいます(「ガマから辺野古まで」という副題も、書名ともども編集者の吉田浩一さんがつけたものですが、同書の性格をよくあらわしていますね。かれは同書の生みの親ですから、著者本人よりこの本の名づけがうまいです)。この古代からつづく歴史観が、農業革命・工業化・情報化と進む大陸の歴史の流れに抗して、海流のなかに開かれたサンゴの島で起こってくる姿をえがくことで、人類史の総体を取りだしているわけです。
本のなかで、ときどき読者の「みなさん」に呼びかけていますが、そのみなさんは、古代から未来までの地球の人、その外の人でもいいわけです。

 

2 多くの人が書かせ、共有され、手渡され、売られている本
会の冒頭で、同書の成立過程についてご説明しました。「たしかに自分が大変に苦労して書いたのだけれども、同時に、自分が書いた気がしない」。また出版後は、「自分の頭、観念、感情が自分ひとりの自由にならない」と。
前者については、こんなことを説明しました。同書にいたる調査研究では、2000年ごろからずっとそうなのですが、私は、ある種「引き回されてきた」。お話を聞きに伺うと、30年、40年間誰にも言ってこなかった事柄をお聞きします。初めて口にすると。また関連する資料も次々にご提供されます。それを受けとった私は、インタビュー記録や論文などにまとめ、それをお渡しすると、受け取った人はそれを家族・親しい友人などに渡し、自分はこんなことをしてきた、こんなことを考えてきたと、初めて告白されます。そして私をいろいろな人に紹介し、そこで生まれた作品もすべて読んだり、聞いたりしてアドバイスをくれ、また次へつながっていくわけです。
同書は、そういう意味で、ともにつくった共作です。ですから、だいたい100冊くらい献本しました。本のなかの登場人物のみなさんが中心です。それを配る作業も、那覇や中部、辺野古のほうでしていただきました。そして辺野古のゲート前や浜のテント村で売っていただいています。そこからさらに、ゲート前で同書を見た人が問い合わせてきてくれて、それがお配りした西宮公同教会の連続講座になったりしています。
そこから、上記の出版後の感覚のご説明ができますね。出版後、読んでいただいた感想をお聞きすると、私は泣けてきたりします。これが今回は多かったです。なぜだろうと考えるに、感情が自分の自由にならない(個人のものでない)からのようです。
本のなかに、誰にも言わずにずっと抱え、耐えてきた誰かの思いなどを私が書きます。その思いを伝える・歴史に位置づける・それが生まれている歴史を一つの歴史像のもとに描き出すのが私の仕事ですから、とうぜん執筆中は、①半ばはその人になり代わって思いを記し、②半ばは、そのひとを含みこんだ歴史像を組み立てています。それで出版後、作品を読んだ人が「そうだったのか、そんなことだったのか」といってくださると、私は、半ば①の人になり代わって、「やっと分かってもらえる時が来たか」と感涙し、さらに半ばは、②における自分の苦労が報われた思いに襲われ、①の感涙に引きずられて②の私自身の感懐も、泣けてきてしまうのです。①本のなかの登場人物と、②書き手の私の二人が、手を取り合って泣くという感じです。
ふつう自分の著作が読まれて、「ありがとう!」と涙ぐむなんてことはありません。作品は読んだ読者のものであって、読者の自立した世界観のなかに吸収される、自立した経験であるはずで、そこには、出版業や学界などの流通ルートが媒介した、ドライな人間関係があるはずです。ところが同書の場合は、長年の不遇や無理解、誤解や諍いのなかでためこまれてきた思いや、非業の死をとげた人びとの思いなどを形にする「歴史書」でありまして、これを読んで感銘を受けたと言ってきてくださる読者のみなさんは、そのときある意味でこの「歴史」の同胞になっている――みなが持っている、つらい哀しい思い、孤独感が相寄りあい、苦境にある人同士がしぜんに肩寄せあうように、ひとつの「歴史」(共通の苦難や経験によって結ばれる時空の共同体)をともにつくっている、というような事態が出来しているように思われます(朝日新聞で6月19日に掲載予定の拙稿は、それを書いています)。

 

3 「歴史」というコンサート経験
「面白かったです、〇〇はこんなことだったんですか、△△はそうだったんですね」と、受け取っていただくと、私は泣けてくる。そうすることで、ようやく私も同書を書いているときの①と②の自分から離れられて、個としての自分にもどることができる。自分らしくなり、よみがえることができる。その〈自分らしさ〉はすでに以前の自分ではなく、思いが共有され、つながることによって初めて自立できる、その意味での〈社会的人間〉になっています。読まれ、受け取られることによって初めて救われ、過去からの歴史がそこで終わり、新しい何かがはじまるようになる、という次第です。
これは何も特殊な、比類のないことではなくて、音楽、歌なんかでは、よく起こるのではないでしょうか。作り手が秘めた思いを歌詞にして歌い、聞く方はそこに自分の思いや経験を投影して歌において一体化し、ファンになる。そしてコンサートやライブに行って、ともに歌う。文字をとおした文学作品では、そうならないですね。身体性が伴わないからです。フィクションをつくって組み立てている作家の孤絶性に、読者は突き放されているからです。そしてたとえ朗読会をしても、身体的な共鳴一体化作用は音楽のようには起こりません。
こんどの本の場合は、事実の、なま身から生まれたことば、その語りによって構成されています。著者の私は、事実のなま身の経験をどう伝えるかということに苦心していますから、ある意味で著者もその「歴史」に参加しています。前嵩西一馬さんが指摘してくださったように、ときどき著者の私が登場して、「さあ、牧港さん登場してください。さあさあ今ですよ、あのことを言ってやってください、ピシッとはまりますよ、歴史像があらわれます」と顔を出すわけです。MC(マスター・オブ・セレモニー)、司会役です。
過去に孤独のなかに書かれた文章や、ある時に語られた歴史の証言が、「歴史」という多数の人びとの経験の複合体の語りのなかで、今こそよみがえり、生きる、そして分かち合われる。それは歌を共有しあう野外のライブ・フェスでの経験に似ています(ちなみに著者は教会で賛美歌を聞き歌って育ち、10代のころはロック・バンドの歌い手でした。作詩もして、いまでも日常的に歌って暮らしていますが、それも関係あるでしょうか)。

 

4 むすび
以上のような次第で、同書は近代(近代歴史学をふくむ)の経験とその向こう、外側を描いたものですから、著者の言葉づかいや道具立ては近代の外側にもはみ出しています。母性を自然化している、自然を神秘化しているといったご感想をめぐるやり取りも、うまくかみ合わせることができなかった気がしますが、その原因は、以上の記述からうかがえますでしょうか。
近代の歴史学・哲学などは、前の本『地のなかの革命』のときに批判的に検討したうえで使い、今回の本では肥やし(前提)にしていますが、今回書く際によく参考にしたのは、古代からの循環的歴史観や、老荘思想です(循環的歴史観については『山口昌男コレクション』ちくま学芸文庫所収の「オクタビオ・パスと歴史の詩学」などがよい概説です)。荘子では、受け身こそ最強の主体性とか言います。そして中心のない沖縄デモクラシーの民主革命(p.242)を成り立たせる世界観、とくに前嵩西さんも重要だとご指摘された前衛役割(退場)論は、孟子の易姓革命論がベースです。これらは私が導入したのではなく、琉球・沖縄史それ自体にあり、人びとがいま語っているところの出処を探していけば、ここにたどられるということです。
琉球・沖縄史をずっと学んできた私にとっては、違和感のないこれらの道具立ては、多くの人にとっては珍しいものかもしれませんね。そのことに気づかされました。今回の本では、それらを一々説明してから使う余裕が紙幅の都合でなく(その辺の説明はどんどんカットしていき)、ともかく歴史像を作り上げて出すことを第一の課題としました。
歴史書は、現代人にとっては異邦人である(異質な価値観と考え方をもって異質な経験をしている)過去の時代の人たちに出あわせることが重要な使命であるという意味のことを、1970年代以降の社会史の人たちが言っていましたね。沖縄の人びとが古代からの価値観をよく継承してきているということは、よく指摘されます。こんどの拙著が、読者のみなさんにとって自分のなかにある古代性や海域世界からの流れに出会うきっかけにもなればいいのかなと、思ったりしました。
ともあれ、こんどの本はどんな本だったのか、相対化しつつ深く考える、またとない貴重な経験となりました。執筆中の人格と、執筆後の現在の私はある意味別人ですから、よく分からないところがありましたが、それに多く気づかせてくださいました。みなさまに心より感謝申し上げます。