火曜会

火曜会は、言葉が帯びる身体性を押し隠すのではなく、それを多焦点的に押し広げることこそが研究行為ではないか考えています。また研究分野の境界は、分野の前提を再度議論する中で、連結器になるとも考えています。

火曜会通信(29)清代の中国内地遊歴許可書「護照」

「○○人になること~清代の中国内地遊歴許可書「護照」を中心に~」(2016年6月15日)

篠原由華

 

6月15日に「○○人になること~清代の中国内地遊歴許可書「護照」を中心に~」というタイトルで、清末に台湾人に対して交付された中国内地遊歴許可書「護照」について報告しました。前回同様、今回の報告も、自分の頭の中で混乱している内容をそのまま報告したようなかたちとなり、わかりづらいものとなってしまいました。報告を聞いて下さった皆様に申し訳ない気持ちでいっぱいです。またそれにも拘らず、コメントを下さった方々、終わった後感想を下さった皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました!

今回の報告と議論を通しての私自身の感想について、メモのような形ではありますが、記しておきたいと思います。まず議論全体についてですが、議論が進むにつれ、自分の頭の中で混乱していたものが少しずつ整理されていったように思います。もちろん、まだ完全に整理できたわけではありませんし、今回取り上げたテーマ自体が複雑なものだと思います。そのため、この事例の複雑さを下手に簡略化せずに、整理しつつも如何に複雑さを伝えられるような叙述をするか、という課題を改めて認識させられたような気がします。
そして今回の報告内容に関する大きな収穫として、今まで私が意識してこなかった新たな護照の側面に気付けたことです。これまで私自身護照を考える際、来華外国人に対して交付された許可書と限定していたところがあり、その結果、護照が外国人にもたらした影響あるいは外国人が護照を携えて清国内地を遊歴することで清国にもたらした影響という点しか考えてこなかったような気がします。今回の報告で言えば、「日本臣民」となった台湾人の、「日本臣民」という点にばかり注目していたのだと思います。しかし、議論の中で、最もよく議題に上がった「華民」(冨山先生と安里さんが指摘して下さった「チャイニーズ」、また西川さんの言葉で言えば「国内的に見たら国外、国外的に見たら国内」)という存在に注目して今回の事例を考えることで、護照の新たな側面に出会えそうだと思いました。清国から見れば「外国人」である日本人に護照を交付することと、日清戦争によって「日本臣民」となった台湾人に護照を交付すること、また清国人でありながら外国人としての待遇を受けるために台湾籍を獲得した者に交付すること、これらは同じ護照を交付するという行為でありながらも、それぞれが持つ意味は異なってくるはずです。また、それがもたらす影響等も変わってくるでしょう。
恐らくこの問題をやっかいにしているのは、政府が「○○人」と区分しても、実際には「○○人」という区分に含まれた人たちの中には、政府が想定していた「○○人」ではない人たちがいた、そしてこの人たちは「○○人」という枠を、入ったり出たりしていたという点だと思います。今回の報告では、どうして「○○人ではない人たち」が、「○○人」となれたのか、というのを、制度を通して見ようとしました。では、このような事態に対して、両国はどのような対応、反応をしたのかという点を新たに考察しなければならない課題として浮かび上がってきたのだと思います。恐らくこの中に、出たり入ったりする人たちを繋ぎ止めるような制度があり、その一つとして「国籍法」が挙げられるのだと思います。このような「国」に人々を繋ぎ止める力学と護照との関係にもっと注目してみたいと思っています。

ここまで書いたものの、「何を言っているんだ、当たり前じゃないか」と言われてしまいそうです。もし、そう言われてしまったら、私は「仰る通りです、すみません」としか返せません。実際に展開された議論は非常に豊かなもので、その豊かな議論を通して思いついたこともあるのですが、それはもう少し自分の中で温めてから、改めて報告したいと思います。