火曜会

火曜会は、言葉が帯びる身体性を押し隠すのではなく、それを多焦点的に押し広げることこそが研究行為ではないか考えています。また研究分野の境界は、分野の前提を再度議論する中で、連結器になるとも考えています。

火曜会通信(31)安丸良夫著『出口なお』精読会

思想史の方法における愛と恋―安丸良夫著『出口なお』精読会(2016年6月29日)の感想
森 宣雄
ふた昔まえ、修士のころに読んで強い感銘を受けた本の再読でした。感銘は心に残っていたけれど、それが何に由来するのか、ずっと整理できていませんでした。けれど今回「これかな?」と思う感じがありました。
初読時もっとも焼き付いたのは、本文の終わりから4ページ目で、1ページすべてを使ってなおの老年期の肖像写真をかかげ、その風貌について描写・分析した箇所でした(現行の岩波版では、なくなっています)。朝日選書版では、これが初めての、唯一のなおの写真で、「とうとう最後にご本尊が姿をあらわした!」といった格好でした。
著者と編集者の心にくい演出にすっかりやられてしまったことを記憶しています。ですが、冨山さんも指摘しておられたように、安丸さんのここでの記述は奇妙です。顔相うらないのような性格診断までやっている。初めて見るなおの迫力ある風貌におどろくとともに、なにかうす気味の悪いものを感じました。この感じはなんだろう?
さいきん栗原康『村に火をつけ、白痴になれ』岩波書店を読んで著者のミニ講演に参加し、ご本人とも親しくお話しする機会がありました。同書は戦前のアナキスト、伊藤野枝の評伝ですが、著者の野枝にたいする熱い恋ごころを、穴窯に火をくべるように燃え立たせていくことによって野枝を蘇らせる、そして読む者の心にも野枝の激しい生きざまや情熱を引火させてゆく、きわめて独創的な方法と文体をとっています。
この異色の評伝を読んだあとだったせいか、安丸さんがあのページで何をしていたのか、わかる気がしました。安丸さんは『方法としての思想史』校倉書房のなかで、出口なおへの思いは「偏愛」だと、自らふり返って書いています。かたよってバランスを欠く、度をこえた愛情。そのような愛によって書物のなかにひとを蘇らせる、そんな方法があり得るのだということを、栗原さんの行き切った新著を読み、安丸さんの抑制的、だがあふれ出る筆致を再読することで、よく理解できるようになりました。
その安丸さんの「偏愛」のあり方については、当日の議論で申しましたとおりです。ざっくりいえば、出口王仁三郎がしだいにかけていった統制から、なおを救い出す、お筆先の革命的かつ庶民的な変革願望を蘇らせるというものです。この点、天皇制が地域の民俗的な宗教世界を国家神道のもとに敷きならして魂を征服し、抵抗不可能な精神におとしめていった歴史を批判的に析出する思想史家としての安丸さんは、お筆先のなおと同志的な関係を結んでいます。「近代化してゆく日本社会とのほぼ全面的な対決」(選書版p.9)の思想的な同志です(ちなみに、前の精読会で読んでいただいた拙著『沖縄戦後民衆史』も、同じような構図に立っています。天皇制による原始的な宗教世界の征服をまぬかれ、自らの古代からの精神文化を保持した地域社会として戦後沖縄をとらえ、同書の最初と最後で「天皇制と沖縄」を対峙させています)。
ところが、はたから見れば安丸さんの奮闘は、王仁三郎との激しい対決・葛藤をへて、その翼下におさまっていった囚われのなおに略奪愛をしかける、三角関係のようにも映ってしまいます。戦後の教団と安丸さんとの関係については、永岡さんが書いてくださるでしょうから省きますが(よろしくお願いいたします!)、この三角関係のせめぎ合いと、否応なくないまぜになるかたちで打ち出されているのが、なおの教義についての安丸さんの解釈です。自らの苦難を糧に「きびしいが愛にみちた救済神」へと転生していく論理の筋道を説いた箇所(p.132~)は、ちょっと唐突な感じで、キリスト教神学ないし近代西洋宗教学の語彙を導入して記述が進められており、あたかも普遍宗教に通じる回路を、安丸さんがなおの教義のためにあけてあげているかのようです。王仁三郎が皇道主義の語彙と論理を導入することによって、天皇制と共存する回路をあけていったのに対抗するかのように。
それだけに、選書版「あとがき」で紹介された、同書にたいする「辛辣な言葉」は、痛かったのでしょう。「あなたは信心していないから本当のところはわかっていない」、「旧い日本の女の生き方を、先生はよくわかっていない」。これは単に理解力の不足をいわれただけでなく、なおを近代や天皇制を撃つ普遍性のもとに導こうとする安丸さんの取り組みにたいする、拒絶であったかもしれません。微妙なところですが、この批評と批判に「いささかショックを受けた」という安丸さんの心うちには、“なおたちにふられた”との思いがよぎっていたといえば、おそらく穿ちすぎでしょう。でも、当たらずとも遠からずともいえましょうか……。
というのも、たとえば日露戦後「大本教団がもっとも衰微した」原因は、なおの日本敗戦の予言がはずれたことにあると「割りきって」もみせる安丸さんの姿勢(選書版p.220)からは、予言の当たりはずれや合理性や首尾一貫性などとは無関係に、ことばと儀礼の実践によって共同性を復興させ日々の平安をつくり享受していく宗教性の世界の論理を、根底部分では拒否しようとする、近代精神をかいま見ずにはいられません。安丸さんはなおだけを見つめますが、そのなおは教団とともに、信者とともに生きており、また、近代世界の論理に対立する原始宗教的な神がかりの精神世界を、近代的知のもとで〈わかる〉ことはできない。「偏愛」は片思い、みたされぬ恋でもあったのでしょう。
そうしてみると、安丸さんの恋のゆくえはどうなったのか、気になるところでもあります。たとえば民主主義について語る思想書が、著者の民主主義への渇望をあらわしているように、すさまじい苦難の経験を昇華する救済や「愛の神」を口にする安丸さんに、そのような救済への渇望がなかったとは、いえないでしょう。きわめて自己抑制的ではありますが(あとで調べてみると、2009年の洋泉社MC新書版以降、同書に「女性教祖と救済思想」とのサブタイトルがつけられています。先に紹介したなおの教義についての分析とその知見が、同書の核として事後的に押し上げられた、全書をおおうキーノートであるかのように拡張されたといえます。そこには、安丸さんが自分のなおへの人格的で「偏愛」的なアプローチを、女性史や宗教史といった既成の学問枠組みの用語のもとに諦観していった、こころの動きも読み取れそうな気がします)。
そういう私自身、前掲拙著の末尾の結論部で、地の文において愛の精神史を語っています。そこにはまちがいなく、私のそれへの渇望があらわれています。収容所「便所事件」の娘たちにはじまり、「島ぐるみ闘争」を切りひらき、身をなげうって辺野古の海をまもってきた沖縄の「女性史」に救いを求めていることは、執筆後のいまとなっては火を見るより明らかです。
巷間「愛は世界を救う」と申しますが、同様に、愛や恋は思想史、歴史学を救うのでしょうか? 単なる標語のひとつにとどまるかもしれませんね。それはともあれ、他の安丸作品を押しのけて、今回ぜひにと『出口なお』を選書された竹内さんのご感想を読みたいなあと思います。
いま『出口なお』に引き寄せていえば、安丸さんのなおとの対話が読み継がれ、問いかけとこころみが引き継がれていくそこにおいてこそ、思想史や歴史学という営みはいのちを得ていること、それはまちがいなさそうだからです。
あとは頼んだっ! どうぞよろしくお願いいたします。(2016年7月2日)