火曜会

火曜会は、言葉が帯びる身体性を押し隠すのではなく、それを多焦点的に押し広げることこそが研究行為ではないか考えています。また研究分野の境界は、分野の前提を再度議論する中で、連結器になるとも考えています。

火曜会通信(32)他人の悲劇ということ

他人の悲劇ということ(2016年6月22日)
沈正明

 

通信が遅くなりました。
書きます、と言ってから、すでに一週間が経ちましたが、いつものように文章を書くのが億劫になったのと、たくさんの話をまだまとめきれていないのとで、先送りしてしまいました。
先々週の火曜会では、他人の悲劇ということで主に2011年3月11日に起きた津波にかかわる文学作品の話をしました。私たちに、他人に起きた被害を自分のことのように考えるということはできるだろうか。また、たとえば普遍や人類などの言葉に回収されない、でも人の死を一緒に悼む、そのような「私たち」をいかに想像することができるのか。といのはずっと前から抱き続けていた疑問でした。そして、テレビ画面の向こう側ではあれ、あの日の出来事を見てしまってから、それらの死をいかに考えればいいかをどこかでずっと悩んでもきました。当日はとりとめのない話になってしまいましたが、そのことにかかわる火曜会のみなさまの話が聞けて、身に余る貴重な時間でした。
セウォル号のときもそうでしたが、画面のなかではずっと死に続けている人たちの手を握りたい、やはりもうそこにはないかもしれない死んだ人の声を聞きたいと思う私たち(!)に、想像が媒介するラジオで死者の声を聞くという『想像ラジオ』は感動的な作品でもありました。文学こそが可能にするような想像、あるいは、意味は少し変わるかもしれませんが、リン・ハントが言う共感のようなものが、ラジオ電波のように広がり、死んだ人、生きている人をつなぐ。しかし、津波の死を拡張しようとしたこの小説は、結局それらを「この国」の歴史の上に置き、「死者と一緒に」歩いて行こうと「この国」に話しかけます。だから、この小説の方舟に中途半端に置いてけぼりにされたと感じたものです。
世界中で様々な悲劇が起きている今、ある出来事に対しては胸を痛め、ある出来事には知ろうともしなければすぐ忘れてしまうといったことはよくありますから、他人の悲劇を自分のことのように考えるといったとき、これだけの(たとえば)可傷性をともに持っている私たちなのにいったい誰が「他人」なんだろうと思う一方で、私でもあるこの「他人」にも重層的な境界ができてしまっているとも感じます。それをどうするか、私には何ができるか、世界に積もってしまった悲しみをどうするか、みなさまともっと長く話していたかったです。
書くのは、私にとっては身体的な苦しみを伴う作業です。実を言うと、アルコールの勢いでも借りなければ書きすすめられないときも多いです。通信が今頃になってしまった理由のひとつでもあるわけです。この文章は素面で書いているせいか、普段にも増して言葉から場を浮かび上がらせることに失敗していますが、感謝の気持ちだけはちゃんと伝えたいです。みなさま、本当にありがとうございました。