火曜会

火曜会は、言葉が帯びる身体性を押し隠すのではなく、それを多焦点的に押し広げることこそが研究行為ではないか考えています。また研究分野の境界は、分野の前提を再度議論する中で、連結器になるとも考えています。

火曜会通信(33)なぜ、沖縄戦後労働運動史か

「なぜ、沖縄戦後労働運動史か」(2016年7月5日)
古波藏 契

 

題目通り、沖縄戦後史研究における労働運動史の位置づけを論点として議論した。ここでは議論の始終を要約するのではなく、短く結論のみをピックアップし、提起された課題を書き留めておきたい。
報告では、弾圧を基調とする米国民政府USCARの労働政策に転機をもたらし、1950年代後半以降の労働運動の規模的拡大に寄与したとされる国際自由労連ICFTUの労働運動への介入を取り上げ、その沖縄戦後史における意味を論点化した。その際に重要になるのは、ICFTUの介入によるUSCAR労働政策の転換の意味を、同時期に展開する経済政策との関わりで捉えることであり、これによって1950年代末以降における沖縄統治の転換に新たな視点を付加することができると考えられる。以下に、報告ではカバーすることのできなかった論点を含め、議論の中で示唆された課題を挙げておきたい。

 

①抗争線の不明さと内在的接近の難しさ
本報告では、「なぜ、労働運動史か」と問うておきながら、USCAR労働政策の転換に論点を集中し、労働運動そのものにはほとんど立ち入らなかった。こうした外在的な方法を選んだのは、労働運動への内在的接近の方法を定める上で、これがどうしても不可欠と思われたからである。
議論の出発点に据えたのは、労働運動の躍進が労働政策の分野におけるUSCARとの直接対峙の様相を呈しながらも、そこでの対立関係が反軍闘争へと転化するそれ自体の内在的必然性を見出すことができないという難局面であり、何と闘っているかわからないままに抵抗を論じるわけにはいかないように思われた。とりわけ、同時期における労働運動史の展開には、軍産労学複合体制の沖縄における接触ともいうべき側面が含まれていることが指摘されるが、その輪郭が判然としない以上、これを見定めることが急務となっている。
USCARとICFTUとの間に生じる労働運動の取り扱いをめぐる対峙関係は、社会政策的関心の登場を示唆するものであって、これと労働運動の獲得目標との重なりこそが議論の焦点である。こうした趨勢は同時期における経済政策の転換とともに、USCARを跨いで登場してくる新たな沖縄統治のありようを示すものであるというのが報告での結論だった。
もちろん、ICFTUの活動がその意図した通りの成果を収めたとは到底思えないのも事実である。近代的労使関係の導入が頑強な土着性によって阻まれるという構図の是非を措くとしても、政策転換の効果が浸透していくのとは異なる展開に対する接近は明らかに重要である。いずれにしてもそれは、新たに立ち上がる統治との対峙関係にどのような表現を与え得るのかという次の課題の中に引き受けるべき問題だと考えている。
ところで本報告の主題は戦後の沖縄統治の転換点を明らかにするためのひとつの方法として取り出されており、その目的からすれば沖縄労働運動史に含まれる沖縄という地理的限定についても、また労働運動という対象についても、いずれ相対化すべきものだと考えている。議論の時点で見えた論点に即して、以下にまとめておきたい。

 

②社会政策的関心の登場と復帰運動
社会政策的関心の登場を新たな統治の登場として理解するとき、視野に入れておくべき対象は当然のことながら労働運動に限られない。同時期、労働問題のみならず、社会福祉や公衆衛生をはじめ政策的対応のとなるなるべき社会問題が次々と提起されているが、重要な点は、これらの展開に対してUSCARが終始後手に回ることを余儀なくされるということである。ケネディ新政策に象徴される1960年代以降の沖縄統治の正常化は、USCAR沖縄統治の欠陥が浮き立っていく過程であったとも言える。
こうした統治の欠陥は、1972年の施政権返還に一応の解決策を見いだすに至るまで、南方同胞援護会等を介した日本政府からの援助や、婦人団体等の民間団体の動員によって辛うじて埋め合わされる。USCAR沖縄統治の解れ目は、これを結果的には縫い合わせ、その統治を補完することになる人々においてこそ、最も近接した位置から目撃されたのかもしれない。しかし、そのような位置における経験が重要な意味を持つためには、これを結果論的にUSCAR統治あるいは復帰運動へと還元することのないような水準としての内在的接近を試みる必要があるように思われる。
労働運動の展開から浮かび上がる社会政策的関心は、USCARにおいて最後まで積極的意味を持つに至らず、これを担うべき新たな統治体制の刷新要求としての復帰運動へと流れ込んでいくとするならば、施政権の所在が問題化される文脈は、USCARに代わる新たな統治への機運が生じる1950年代末にその起点を定めることができる。外交的要因とは別に、社会政策的関心が復帰運動へと転化する局面において、復帰を潜り抜けて以降も継続する新たな統治が沖縄内部に準備されるのである。こうした局面における内在的接近は、社会政策的関心の外へと向かうものであるかもしれない。

 

③沖縄労働運動史の域内完結
報告ではICFTUの介入を以て沖縄戦後労働運動史の画期と見做し、その後の労働運動の飛躍的拡大の時期を第二局面と呼んだが、これに先立つ第一局面および引き続く第三局面との関わりについてはあまり言及していない。しかしながらこの両局面は、沖縄労働運動史に含まれた課題が、元来沖縄域内の労働運動史としては追及し得ないことを明示する点で重要になる。
第二局面への移行は、共産党指導の排除という明確な目標に貫かれているために、順当というよりも転換というべき性格を帯びている。そしてICFTUの掲げる組合主義的労働運動を是とし、その介入を以て労働運動の正統な起点を定めようとする立場からは、それ以前の労働運動の系譜は以降の展開を準備する前史として位置づけられることなる。
このことが問題なのは、ICFTUが追い落とそうとした人民党・非合法共産党によって媒介された沖縄労働運動の奄美との繋がりを消去してしまう点にある。ICFTUの介入は、共産主義者の影響力ごと奄美との歴史的関係性を削ぎ落とし、沖縄労働運動の外部との繋がりを日本本土その他のICFTU傘下労働運動に接ぎ木することになるのである。ICFTUの介入を外部からの反共工作として批判する立場があるにしても、これに沖縄労働運動の自発的展開を対置する限り、この消去された繋がりの意味を問題化するには至らない。
復帰が押し迫ってくる第三局面における沖縄労働運動史は、再び域外との関連を前景化させる。復帰はある種の保護主義的性格を帯びた占領期経済の解除を意味し、これに伴って多くの労働組合が企業ごと姿を消すか本土上部組織へと系列化され、労働運動そのものも内部分裂の局面を迎えることになる。
これを労働運動の体制化する終局面と見做すことも可能かもしれないが、他方で労働運動の既定の対立図式を解除して、新たに戦線を引き直す必要性を提起しているように思われる。たとえば復帰に向かっての労働運動の再編は、復帰後に大量の流出者を予定しつつ進められるのであり、沖縄労働運動の域内における系列化と内部分裂の構図は、そこから流れ出る潮流の行方とともに再展開される必要があるだろう。新たに描き直されるべき沖縄労働運動史は、その沖縄という地理的範疇そのものを問題にしなければならないのである。