火曜会通信(40)許可書を広く考えてみる
「許可書を広く考えてみる」(2016年11月30日)
篠原由華
2016年11月30日の火曜会では、「許可書を広く考えてみる」というテーマで議論させて頂きました。今回は、様々な専門分野の研究者が集まるという火曜会の場で、護照ではなく「許可書」にこだわって議論することで、自分が研究している護照を改めて位置づけ直すことを目的にテーマを設定しました。またこの「許可書」自体を「広く」考えるために、ディスカッションペーパーに対するコメントを頂くのと同時に「許可書ネタ」をみなさんから披露して頂くことにしました。当日の無茶ぶりにもかかわらず、貴重な「許可書ネタ」を披露して下さった皆様、本当にありがとうございました。
今回の議論は最近の研究に対する行き詰まりや悩みが詰まったペーパーを基に、その行き詰まりや悩みに対して、新たな角度を示してくれたように感じています。同じ事象を記述するにしても、角度が異なると研究、文章の豊かさが違ってくることに気付かされました。これはまさにコメントでも頂いた「切り口」の問題です。さらに、ペーパーに書かれた「~な気がしてならない」や「…だと思える」といった曖昧で感覚的な記述や無意識的に残していた客観的とは思えない記述を、どうして私はしてしまったのかというのを改めて考え、言語化するヒントをもらったようにも思います。特に、当時多くの国から来る外国人に対して交付された護照の中でも、なぜ「日本臣民」とりわけ台湾人について考えているのかということに対して、本来説得力をもった記述が求められるはずなのに、今回のペーパーでは予感的な記述に留まっていました。このように気付きや反省等収穫の多い議論だったのですが、ここではもう一度自分で整理する意味も込めて、議論を思い出しながら、簡単に記述し直してみたいと思います。
日清戦争の結果台湾が日本に領有されることによって、従来台湾と対岸清国の福建省や厦門に広がっていたネットワークに国境という境界が引かれました。そのことで、それまで同じ「清国人」であった人たちの中にも、「清国人」と「日本籍を持つ台湾人」という境界が生まれ、同時に清国内地を遊歴する際にはその境界というものが重視されるようになり、書類による線引きが行われました。その書類が台湾で交付された旅券であり、その旅券を基に中国の開港場で交付された護照もまた含まれるでしょう。
確かに日本や台湾以外の「外国」から清国に渡航してくる「外国人」に対しても護照は交付されました。護照という一書類の周辺にある制度を見れば、清国国内(ここでは内地)にとりあえず入れておきながらも、絶えず監視を続けるという、単なる線の国境ではなく、携行する人と共に国境が移動するような護照の特徴は、どの「外国人」に対しても同じく見られたでしょう。この身体と共に移動する国境は、これまでのパスポートに関する研究が「入国させるか」「入国させないか」といった入国までの手続きに注目した結果、「内」と「外」の議論に終始していたこととは明らかに違う点だと思います。ただ台湾人や日本臣民に対する護照にこだわるのは、清国人とどうやって区別したらいいのかという識別の問題が頻繁に浮上し、新たに付与された国籍という帰属に対する反応が見えるからです。その識別のための一つの対策として、ペーパー配布時に添付した人相書が旅券に添えられました。
人相書やその後導入された写真といった識別のための技術に目を向ける必要は当然あるでしょう。しかし同時に目を向けるべきは、「なぜ識別が、書類が必要となったのか」ということだと議論を通して気づかされました。それは既述の通り、台湾と対岸の清国の間には国境が無かったからであり、そこに後から国境が引かれたからです。その結果、国家は、国境内では収まらない市場を何とか把握しようとし、旅券や人相書に工夫を加えて修正を繰り返すも、「残念ながら効果は無かった」という失敗例が多く見られたのだと思います。
このような状況の中で、護照を発行してもらう人たちはどのような心理状態だったのだろうかと考えれば、ちょうど皆さんに披露してもらった「許可書ネタ」の中にもあったように、切符を手に入れて「これでどこまでも行ける!」や競馬を見ながら馬券を握りしめる手にかかる力のような期待があったかもしれませんし、同じ切符を持っていても「苦労して手に入れたけど本当に目的地まで行けるのだろうか」という不安もあったかもしれません。それは議論でも言及されたように、状況によって証明する行為が異なるのと同じように、状況によって許可書自体に対する感情も変わってくるのでしょう。めちゃくちゃな話ですが、出来ることなら本人たちに会ってインタビューしたいです。しかし残念ながら今の私には残された史料を通してしか知ることはできません(これは本当に残念だと思っています!)。ただ従来煩雑な許可書の手続きを経る必要のなかった人達が、突然にナショナリティを証明する許可書を持たされたことを考えると、国家の想定通りには制度が円滑に実施されなかったことは当然だと思えます。また同時に国家が他の目的のために使用されていた既存の慣習を制度の中に取り入れたという行為は、もともと通商をはじめとするネットワークが広がっていたために、「国家が大きな顔をできな」かったからかもしれません。
冒頭でも述べた通り、今回のペーパーでは私の悩みや行き詰まりが詰まっています。今思えばここ最近、護照をどう書けば面白くなるのかということをずっと考えていました。文章を書いてみるものの、わざわざ護照を研究しなくても、結論はすでに他の研究によって明らかになっているような気がしてなりませんでした。そう考えていた私の頭を、今回の議論はグイッと別の方向に向けてくれたように思います。この収穫が「オモロイ」論文のパスポートになったら良いなと思っています(不安もやはりありはしますが)。そして「許可書ネタ」は引き続き聞いて行こうと思います。
「新ネタ」がありましたら、ぜひ篠原まで~