火曜会

火曜会は、言葉が帯びる身体性を押し隠すのではなく、それを多焦点的に押し広げることこそが研究行為ではないか考えています。また研究分野の境界は、分野の前提を再度議論する中で、連結器になるとも考えています。

火曜会通信(号外)

ディスカッションペーパーの運用と注釈について

2017/01/08

冨山一郎

 

今期からディスカッションペーパーを導入しました。その結果最初にペーパーへの注釈(コメント)を行うことになりました。注釈を準備するというこれまでになかった時間が、ここに確保されたわけです。今期最初の「共に考えるということ」でも述べたように、この注釈は、「読むという経験」の言語化の始まりであり、読むという複数の経験が、一つの文章を舞台にして出会うことでもあります。またこの注釈においてペーパーは、作者の手を離れて読む者たちに投げ出されることになります。この複数の出会いに議論の出発点をおこうとしたのが、ディスカッションペーパーと注釈の意図でした。この注釈について、以下に二つのことを提案します。

すでに述べましたように、注釈を入れる作業は極めて重要です。それは議論に向けての提起を作り上げる基礎作業であり、議論が多焦点的に拡大するための端緒でもあります。ですから、出来るだけ多くの人に多岐にわたる注釈を求めることには変わりません。ですがまず、全員ではなくまずは注釈希望者に行ってもらうようにしたいと思います。理由は時間とエネルギーの問題です。20人以上の参加者がある場合、注釈だけで一時間半以上かかることが多くなりました。注釈の時間、応答の時間、議論の時間という三つの時間を、火曜会においてやはり確保したいのです。また、順番に当てるという形式も、注釈を強要ようなスタイルのようにも思います。ディスカッションペーパーが事前に配られるわけですから、注釈希望者は当日の朝までに私に連絡をしてもらうようにしてはどうでしょうか。火曜会では、まずその人たちから注釈を入れてもらいます。さらに余裕があれば、その場で注釈者を募ります。

二つ目として、すでに実践していることですが、注釈の後、その注釈をふまえてペーパーの作者である報告者に再度語ってもらうことの重要性です。いわば自分の文章に他者の注釈が付加されたことを前提として、他者の言葉を再度自分で語りなおすような作業です。最初に述べたように注釈の付加は、テキストが他者の経験に投げ出されることなのですが、その他者の言葉たちを、再度自分の言葉としてパラフレーズしてみる努力をしてみることが極めて重要であるということが、この間見えてきたように思います。

このいい直し(パラフレーズ)は大変ですが、ここに議論の提起が生まれていくように思います。最初は司会者というコンダクターが注釈を整理して提案しましたが、これはなかなかうまくいきませんでした。報告者はコンサートマスターとして、あるいは第一バイオリンとして他者演奏を呼び起こし、ひきつけてもらうことが、議論という名のシンフォニーにおいて重要だと考えます。

ところでコンダクターは、この報告者と注釈たちにおいて構成された言葉の姿を眺めながら、議論を促していくことになります。そこでのコンダクターの役割は注釈のパラフレーズや、注釈にさらに注釈を加えていくことになるでしょう。それは梅棹忠夫が「こざね法」とよんだ展開なのかもしれません。良ければ『知的生産の技術』の202ページをみてください。「分類ではなく」、「つながりがありそうだ」という根拠において、報告者の文章や発言、他者の注釈をパラフレーズし、あるいはそこに新たな注釈を付加しながら、関連付けていく介入を適宜おこなうのが、コンダクターなのかもしれません。そこでは多焦点的契機が多焦点的に拡張していくことが、めざされます。このコンダクターについてはもう少し考えます。以上です。