火曜会

火曜会は、言葉が帯びる身体性を押し隠すのではなく、それを多焦点的に押し広げることこそが研究行為ではないか考えています。また研究分野の境界は、分野の前提を再度議論する中で、連結器になるとも考えています。

火曜会通信(45)鄭家屯事件についての一考察

鄭家屯事件についての一考察(2018年5月24日報告)

霍耀林

 

今回の発表は袁世凱が帝政実施の背景にして、日本政府の調整した対華政策の路線に沿って、第二次満蒙独立運動が進行していた中で、鄭家屯に於いて勃発した日中両軍衝突事件、即ち、鄭家屯事件をめぐって、事件についての調査報告、事件発生した後日本側陸軍及び関東都督府の対応、事件発生する前日本軍の行動及び満蒙独立運動などの面から検討してきてました。

まず、事件の真相として、当地在留日本人吉本が中国人魚うりの商人の三十銭の魚を実に十銭を払って、半強奪の手段で買ったことを通りかかった中国兵士に見られて、憤慨して、争乱を惹き起したという事件の発端が明らかになった。また、どちら側が先に手出したかについて、日本守備隊松尾中尉が突然軍刀をもって中国軍門衛の右手を切断したことによって日中両軍の衝突を惹き起したことが分かった。

つぎに、事件発生した後、日本陸軍は鄭家屯駐屯軍が中国軍に包囲され、救援の名を以て、多数の増援軍隊を派遣して、強硬な態度をもって、軍用電線の架設、中国軍の三十里以外の撤退、警察の駐在、鄭家屯当地の占領などを迫った。

最後、この鄭家屯事件の発生は元々も日本が中国巡警の日本軍隊射撃を口実に駐留したので、当地は鉄道付属地以外に属するため、日本軍の駐留は初めからも法的根拠に乏しい。にもかかわらず、日本陸軍と関東都督府は大隈内閣の対華政策の調整によって、満蒙独立運動の支持をもって、事件発生した後、強硬な態勢をもって、事件をきっかけに満蒙における日本特殊の権益を求めようとしたが、日本政府の干渉によって第二次満蒙独立運動つい失敗に帰した。

この内容をめぐって冨山先生をはじめ、皆様からいろいろな貴重なご意見をいただいた。たとえば、この事件についてその背景としての満蒙独立運動をもっと展開することができれば、当時日本陸軍の軍事的な展開および商業の拡張とのつながりも一層明らかになるかもしれない。勿論、このような一つの出来事がこんな広い範囲でどのように組み込まれることも重要な課題である。

また、この鄭家屯事件の考察を通して、見ようとしている世界についても私自身も本当にずっと考えているところで、今の考えはやっぱり二つの面から展開しようと思っている。一つはこの事件をとおして、当時日本の対華政策をめぐって、日本陸軍側、外務省、関東都督府それぞれどのような態勢を持っていたか、また、それぞれどのような考慮にいれたかなどである。もうひとつは中国側の事件についての対応である。これは、もちろん鄭家屯事件だけではなく、民国初期における対日本の外交政策は従来あんまり重視しなかったので、これらの事件から民国政府の対日本政策を映し出すと考えられるのである。

満蒙権益と邦人保護は当時日本の二大国策とも言える背景にして、そもそも外務省主導の外交手段より進んでいるはずだが、陸軍の実力の行使を容認することによって、一連の事件を起した。これらの事件の解決したパタンが当時日本が中国における特殊利益を求める慣行の手段ではないかと考えられる。ここについても皆様からとても貴重なご指摘いただき、私自身もとても重要な示唆を与えてくれた。これから内容全体の方もっと肉付けして、結論の部分をもっと広い視野においてまとめようと工夫をするつもりである。

冨山先生をはじめ、皆様からのご意見、ご激励まことにお礼申し上げます。

2017年5月26日