火曜会

火曜会は、言葉が帯びる身体性を押し隠すのではなく、それを多焦点的に押し広げることこそが研究行為ではないか考えています。また研究分野の境界は、分野の前提を再度議論する中で、連結器になるとも考えています。

火曜会通信(47)聞き取りの場における「作り話」について考える

聞き取りの場における「作り話」について考える(2017年6月14日報告)

森亜紀子

 

今回の報告では、「自分の中でどう名付けたらよいのか、またどう理解したらよいのか分からないが、ずっと気になっていた」問題について取り上げた。聞き取りの場における「作り話」についてである。白状すると、自分にとってこの問題は、「気になっていた」どころではなかった。これまで自分がやってきたこと・書いてきたことを台無しにするかもしれない…という恐怖を抱かせる、<地雷>のような存在だったのである。

しかし、火曜会という場に身を置くようになって、いったい自分は何を怖がっているのか、なぜそれが怖いのか、それは本当に怖いことなのか?という問いが胸に浮かぶようになった。2013年4月と2016年11月に、沖縄に暮らす「南洋帰り」のひとびと(南洋群島引揚者)に聞いてきたお話を二冊の証言集にまとめたのだが、その経験も、自身の変容を促す契機となっていたのかもしれない[1]。とにかく、火曜会での交わりを通じて、早急に結論を出そうとするのではなく<問い>にこだわる在り方に触れ、そして、<過去の出来事>をその後も<問い>として抱え込んだまま生きてきた「南洋帰り」のひとびとの言葉を潜り抜ける経験を経て、「それ」はすべてを破壊する<地雷>などではなく、新たな何かを生み出す<種>のように見えてきたのだった。

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ディスカッションペーパーでは、今から7年前に初めて出会ったあるサイパン島引揚者・Kさんとの関わりに焦点を当て、彼の語りに魅力を感じ、話を聞きに通っていた頃のこと、その後に彼の語りの中に「作り話」が含まれていたことを知る様になってからのこと、それから現在までの私の認識の変化を辿り直し、できるだけ経験したことのプロセスを素直に書くように努めた。

書き始めてから火曜会当日に反応を聞くまで、正直とても不安だった。なぜなら、ペーパーはKさんについて語りながら、同時に自身をそのまま晒すように書いた文章であり、そのような文章を書き、じっくり読んでもらうのは今回が初めてだったからである。

しかし、火曜会の場で様々な感想や意見を受け取るうちに、それは杞憂であったと分かった。

議論は多岐にわたったが、主な論点は、①この事態を「作り話(嘘)」と表現することの意味(「作り話・嘘」とくくり出していることで、そこから零れ落ちているものや、語り手と聞き手である私の関心のズレが見える)、②Kさんの話と地域で共有されている南洋群島の経験・記憶(マスターナラティブ)との関係性、③<モノ>に託して体験が語られることの意味(言葉にできない葛藤、語りたくないことの回避、モノ語り)、④ある体験が繰り返し語られることの意味、⑤語りを事実との関係性においてではなく<表現・実践>としてみることの可能性、の五点にあった様に思う。

私にとって最も印象的だったのは、コメントをくれた人がみな、以上のような大きな論点をいきなり「ドカン」と提出するのではなく、それぞれの生活の場・訪ねた場所・調査地での経験やそこで生きているひとびとの存在を引き連れて語ってくれたことだった。大げさに聞こえるかもしれないが、私はあの時、志高館SK201という一室に居ながら、福島で美味しい椎茸を作っていたひと、神戸空襲に遭ったおばあさん、結婚を繰り返してきたひとびと、石垣島のひとたち、伊江島で長い間眠れない夜を過ごしていたひと、離れた地に暮らす親御さん、自死したひととその姪っ子さん、ルワンダの紛争を生き延びたひとびとの存在を感じ、それから、KさんやKさんに関わって言及したひとびとと、もう一度出会い直したように思ったのである[2]。

冨山先生が、私が発刊した証言集に関して、「これはある社会の記録であると共に、新しい社会を創り出してもいるのではないか」といった趣旨のコメントをくださったが、このKさんの「作り話」もそういう存在なのかもしれない。一人一人の心の中に住んでいた誰かを引き寄せ、遭遇させるような何か…。

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報告から五日経ったが、まだ余韻のただなかにいる。あの場で宣言した一冊目の証言集の増補版(夏に発刊予定)につける新たなタイトルも、昨日思い浮かんだ。二冊目の証言集のタイトルも二年前に火曜会で報告した時の経験がもとになっているから、火曜会は私にとって<言葉の泉>のような場所になっているのかもしれない。増補版発刊の暁には、ぜひ火曜会の場でお披露目したいと思う(タイトルはそれまで内緒です)。

 

 

[1]森亜紀子『日本統治下南洋群島に暮らした沖縄移民―いま、ひとびとの経験と声に学ぶ―』新月舎、2013年、および同『複数の旋律を聞く―沖縄・南洋群島に生きたひとびとの声と生―』新月舎、2016年。前者には沖縄から南洋群島へ渡り、<労働者としての経験>を積んだ世代36名の証言を収録し、後者には南洋群島で<子供時代を過ごした経験>を持つより若い世代50名の証言を収録している。いずれも非売品であり、全国の国立大学法人図書館(一部私立大学図書館)・都道府県立図書館・沖縄県内市町村立図書館・戦争や人権に関わる資料館、台湾大学・オックスフォード大学ボドリアン図書館等へ寄贈している。

[2]このような体験は、実は火曜会のMLにペーパーを流した後から始まっていた。阪大時代の火曜会参加者であり、現在は長崎で研究に携わっている友人から、1,350人以上の被爆者に聞き取りをした伊藤明彦さん(1936-2009)というジャーナリストの作品『未来からの遺言―ある被爆者体験の伝記―』を読んだ時の驚きが再び呼び覚まされたとの感想をもらったのである。この作品、さっそく取り寄せていま半分まで読んだところだが、いちいち頷くところが多く、ぐんぐん読み進めてしまう。もしも伊藤さんと出会えていたなら、必ずや意気投合していたことだろう。