火曜会

火曜会は、言葉が帯びる身体性を押し隠すのではなく、それを多焦点的に押し広げることこそが研究行為ではないか考えています。また研究分野の境界は、分野の前提を再度議論する中で、連結器になるとも考えています。

火曜会通信(48)

 

「呉叡人の沖縄論を読む」(2017.5.31開催)を終えて

森宣雄

 

開催から3週間ちかく経ってしまい、あわてて当日の討議を思い出し、ご報告いたします。

じぶんの「研究」の道ゆきにおいて出会い、お聞きしたことがらを本にし、たすけられてきたみなさんが心身にいくつもの傷を負いながら、日々どこかに出かけて、あるいは病床でたたかっている。そんな状況下で、学問とは、新事実の発見とは、理論の構築や洗練化とは、語りの彫琢とは……といった問いを背に抱えながら書き、しゃべり、うたう、あわただしい日常を送っています。ある新聞に寄せた記事の冒頭を、次のように書き出しました。「歴史には試練のときのめぐりがある。いまもまたそうだろう。むごいこと、痛ましいことがらがさまざまな場所で次々に人を襲っていることを聞く。そんな試練をどう乗り越えていったらよいだろう」。そして結びは、「試練のときとは、これまでできなかったことに挑みなおすチャンスの到来でもある」。

「理論や古典を研究しています」というと、なんと悠長で悠々自適ですねなどと思われたり、思ったりしてしまうふしがありますね。「歴史を研究しています」もそう。だけど呉叡人さんの文章を読むこの機会は、いわゆる理論的考察や古典的名著および知られざる史実の検討といった机上の作業と、目前の試練や非道との路上での向き合いがぐるぐると往還し、ひとつになる、そのあり方をともに考える討議の場を生んだと思います。

まず私にとって、呉叡人さんの沖縄論は自分の東アジア近現代史研究のあり方をとらえ直す鏡のような存在でした。自分は理論的探求にあまり深入りせずに、すぐに主として理論や歴史的枠組をこえる・変える動きの方に展開していった感がありますが、呉さんはキチッと完成度を高めてくれています。「黒潮論」の本文は見事ですね。そのうえで「黒潮論」の最後では、100年あまりの政治経済史分析の範疇では扱いきれない、より長大なものを、黒潮に象徴される自然環境や、黒という色に象徴される芸術性や人間の情動に言及することで、理論や書かれた歴史の外があることを指し示してくれます。外部なき完璧な構造把握など、観念的な夜郎自大ではないか、かならずや人智の理論的構成を打ちやぶる回路や穴を入れ、知的構築物をひらかれた生きものに近づけなければ、ひらかれた生きものとしての人間や社会にとって意味がない――というような声を、最後に黒潮を語る文章を読みながら聴いた気がしました。

私にとっても、人為や人智の構造をこえる視点は、何とかして入れたいとあがいてきたところで、拙著『沖縄戦後民衆史』におけるサンゴの島という規定や、海空山といったファクターもそういう文脈からの記述でした。農耕革命や産業革命をもって人類史や世界史をかたる経済決定論にたいして、農業も産業もとぼしい島々の歴史が、ひっくりかえしにかかるといったことです。ともあれ、最後に自然性をかたる地点で、ふたたび呉叡人さんと出会った感がありました。

また沖縄論に関しては、沖縄の人びとの歴史が発する声にどう、なにを打ちかえせるか、という課題にたいして、呉さんは南西から、ぼくは北東から試みていて、その意味で同志だなあと思いました。沖縄をはさんで日本と台湾からの声が交差する、そういう関係の複数化が、ヤマトvsウチナーや、日本vs台湾の二項対立構造をゆるがしていくためにも大事だと思いました。

駒込武さんからは、構造分析的な研究と、運動の渦中や追悼文などで発せられる詩的な表現が並行的に同居している呉さんのとりくみの背景、そこでなにが試みられているかについて論及いただきました。知識人の想像力や感情、道徳は、ある歴史的事件・革命のインパクトに規定されつづけている、そしてその歴史や革命はつねに裏切られていると同時に未完の継続中のものでもあるということ。そこから、想像力や道徳を俎上に載せ、それらに訴えかけ、研究を未完の運動性へとひらきつづけてゆくという呉さんの研究のperspectiveが生まれている、といったことかと思います。

その想像力、道徳という領域がなぜ重要なのか。それはたとえばヒマワリ運動に50万人があつまった背景にある、歴史と現在をめぐる圧倒的な絶望、台湾の歴史における絶望を知りえない若い世代の絶望、歴史が見えないがゆえに未来も見えない、そうした絶望のどん底からの道徳への希求にたいして、どうつながりうるか、つながりうるものを自分たちはもっているか、それが問われていると駒込さんは語ったように思います。

それから冨山一郎さんからは、「こんなに自分と同じことを考えている人がいるのか!」との吃驚の声とともに、従属理論、自由貿易帝国主義、アウタルキー、そしてポピュリズムなどの論点を提起いただきました。またポピュリズムについての新稿を配布提供いただきました。いずれ完成版がこのウェブなどに掲載されることでしょう。そしてくわしくは、呉叡人さんとの直接対話のかたちで展開いただければと思いました。ぜひ機会をつくりましょう。

多くしゃべった3人のことをふり返っているだけで時間切れとなってしまいました。すみません。つづきはまた、台湾と日本、沖縄や韓国を考える次の機会に。

台湾研究においてつちかわれてきた理論的、道徳的な力が、ひろく連動していく潜勢力を感じる貴重な機会、その一歩になったと思いました。ご一緒いただいたみなさん、ありがとうございました。(2017.6.20)