火曜会

火曜会は、言葉が帯びる身体性を押し隠すのではなく、それを多焦点的に押し広げることこそが研究行為ではないか考えています。また研究分野の境界は、分野の前提を再度議論する中で、連結器になるとも考えています。

火曜会通信(50)

ダラ・コスタ研究の今日的意義(2017年6月28日)

姜 喜代

 

6月28日の火曜会では「ダラ・コスタ研究の今日的意義」という私のディスカッションペーパーを元に、皆様からたくさんのご質問とご指摘を頂戴し、またとても豊かな議論が展開し、これから読みたい本、これからの自分の研究の方向性が目の前に広がるという大変有意義な時間を過ごさせて頂きました。

まず、多くの方が私のペーパーのタイトルの「今日的意義」というところに関心を示されました。昨年の6月の火曜会発表でマリアローザ・ダラ・コスタが1970年代にイタリアで起きた女性たちによる家事労働への拒否と不払い労働である家事労働に対する賃金の支払いを国家に要求した一大運動をリードしたことを知りました。

早速取り寄せた彼女の著書『家事労働に賃金を-フェミニズムの新たな展望-』の中に出てくる女性たちの印象は、国家、資本、男性から搾取される弱い女性たちではなく、状況は今すぐ変わらないけれども自分たちの労働の重要性を認識し、そこから楽しく勢いよく社会と国家、男たちに対して攻勢を掛けていくような力強さと明るさを持つものでした。また私が修士時代から興味を持っている移住家事労働者の労働における主体性の発見という問題を考える上でも多くの示唆を与えてくれそうな、現代の家事労働をめぐる様々な問題を考える上で決して古くない、使えると感じました。

ところがその後、イタリア本国と日本のフェミニズム運動でダラ・コスタたちの戦いと議論が継承されていないことを知り、ぜひこの機会を通じてダラ・コスタ研究の今日的意義について考えてみたいと思いました。

当日の議論では、皆様から多くの有意義なご意見を頂き、議論に花が咲きました。

議論のメモを起こしたものを読むと、私が事前に提出したディスカッションペーパーに引用したダラ・コスタの文章を読んで皆さんが非常に面白がってくださったことが伝わってきました。彼女の文章から家事労働は女の労働であるだけでなく、すべての人に関わる問題だということも伝わっているのだと思いました。冨山先生が議論の中で紹介して下さった『家事労働に賃金を』のあとがきに書かれているアウトノミア運動の定義である「自分たちの労働は自分たちのものであるという自主管理的な動き」や自分の労働は本来どうあるべきかという議論もダラ・コスタの文章の底流に流れていることが伝わっていたのだと思います。

議論では私のペーパーのタイトルである「ダラ・コスタ研究の今日的意義」というところにみなさんがとことんこだわって下さったのが非常に印象的であり、まだまだ彼女の議論がなぜ面白いのかを伝えられない私と一緒にみなさんが一緒に考えて議論して下さったことが本当にありがたかったです。

まず、冨山先生は、ダラ・コスタの議論の面白いところは、無償労働である家事労働を家父長制と資本制による搾取と捉える議論と似ているようで違うところである。その議論の中にまぎれこんだ搾取だけでは捉えきれない話をダラ・コスタは具体的にとらえている。また家事労働から逃亡する女性たちの姿を通し、従来見えなかった労働を顕在化させていることが挙げられる。自分の労働は本来どうあるべきかという議論。この無償労働の上に搾取を受けている状況から抜け出すためにはどんな気づきがあるのか、どこでちゃぶ台返しをするのか?なぜきれいな議論の中に整理されたのか?そんなんじゃないよっていう形で今日的意義があるのでは?というコメントをして下さいました。

次に森亜紀子さんは、ダラ・コスタの文章を読んで松島泰勝さんの『琉球独立論』を読んだ時に感じたものと同じ感覚を覚えたと話されました。ダラ・コスタは「家事労働に賃金を」という叫びを通して何を言おうとしたのか、「賃金を」は宣言であり、激しく言い、書かないと巻き込まれてしまうのではないか、松島さんが沖縄を日本の沖縄県ではなく、琉球としか呼ばないこと、あえて「バン!」という姿勢を感じたと。

福本さんはダラ・コスタが運動に加わっていた1970年代に京都で盛り上がったフェミニズムの多様な動き(ウィングス京都(中京区にある京都市男女共同参画センター)やびお亭(ウィングス京都のすぐ近くにある無農薬・有機野菜にこだわった食堂。無償家事労働に従事していた女性たちが家庭でしていた無償の調理労働を有償化させた意義がある。by福本さん)の誕生の経緯などについて紹介して下さりながら、それを日々の家事労働をこなしながら応援してきたことを語って下さいました。また福本さんは「家事労働は労働ではない、生きていくことだと思っていた」と発言されましたが、西川さんの「再生産労働を労働だと思っていないかもしれない人もいる」というコメントとともに再生産労働のかけがえのなさ、大切さ、大きさを思わせました。

議論は私の研究している移住家事労働者のことに及んでいきました。冨山先生が「ダラ・コスタの面白さは女性たちが家事労働を拒否する話の読み方にある」という話をされ、今までは当たり前であったことが自分の労働への気づきを通して当たり前のことだと思わなくなる話が無償労働における家父長制と資本制の結託による女性への搾取という話と似ているようで似ていないとコメントされました。

戦間期に農民が外に出て賃労働に従事する過程で自己の労働(農業)がどれだけ地主に搾取されてきたのかに気づき、小作争議を起こすに至る話のなかにある労働者として、そして農民としての解放が同時に起こっていることにも通じる話であるとのお話や、移動前に家事労働を無償で行っていた移住家事労働者が国境を越えて有償の家事労働に従事するなかで、移住家事労働にどんな価値を見出し、何を自己の労働としていくのか、移住先であらたに発見する労働もあるという話をダラ・コスタを通じて考えていけることがダラ・コスタ研究の今日的意義ではないかとのお話を聞いていて、この日の議論でたくさん話が出た、仕事と生活のこと、生きることまでを範疇にしたダラ・コスタの議論にさらに真剣に向き合っていきたいと思いました。

ゆじんさんは労働者の気づきをどう読むかがとても難しく大事だとコメントして下さった。以前は韓国の一般家庭で家事労働者として働いていた中国の朝鮮族の移住女性は最近大衆食堂を始めとするサービス業に多く従事している。これは移住女性労働者が担う仕事が変わってきていることを意味するが、労働者が自分の労働に別の価値があると分かった時、気づいた時に何が起きるのかに注目して欲しいと言われた。また、結婚し、男の子を産んで安泰の人生を送ることを戦略的に選ぶ女性も多くいることは家事労働が辛く、逃げ出したい仕事とは一概に言えないことを示しているとも。この辺りのことについては議論のなかで出てきたダラ・コスタとも相通ずる加納実紀代の「社縁社会からの総撤退を」という家事労働と賃労働の二重の束縛からの解放戦略という議論も読みながらじっくり取り組んでみたいと思いました。

自分の研究を共有して一緒に考えて下さる火曜会のみなさんに心から感謝申し上げます。紹介できなかった方々ごめんなさい。ありがとうございました。