火曜会通信(53)【極私的「京都市民運動」漂流記
第29期 火曜会 2017年10月25日 報告者:福本俊夫
【極私的「京都市民運動」漂流記 ―福本の「市民運動」京の一鬼夜行噺(ばなし)】報告文
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はじめに
私の火曜会での報告は第一回目が第27期の「2016年11月9日 私の沖縄体験(予定外の 沖縄への旅)」でした。今回が2回目の報告ということになります。
10月上旬の数日間、本箱の隅から古い雑誌や資料を取り出し、また紙箱に入れていた写真などを引っ張り出して、様々なことを思い出しながら今回の報告を書きました。
私が関わった市民運動は現在大体終わりましたが、引き受けた事でまだ終わっていないことは、
・成田空港内の空港建設反対運動の共有地の地主(木の根のペンションの横のプール)
・沖縄・普天間基地内の共有地(アプローチエリア)の反戦地主(米軍への土地提供の契約拒否者)
・沖縄を考える会(平和資料のビデオ・16ミリフィルム・DVDの収集と貸出)の活動の事務局
・天皇制の強化を許さない京都実行委員会の構成団体(沖縄を考える会)として「12月23日集会」と「2月11日集会」の企画立案・宣伝・集会の開催
上記の4つの事がまだ残っていますが、過っての忙しさは無くなった状態です。
小堀修君が書き残した文章の中に、私の「怨念は私の<戦闘>へのエネルギーなのだ」という言葉が残こされています。
一片の肉片も一つの言葉も持たないカラッポな存在から、肉体を収奪し、占拠し、そこを砦として生きてゆこうと1969年の春に家からの脱出を目標に働き始め、同時に反戦団体に参加し、活動を始めたものの反戦団体はその秋には脱退した私でしたが、小堀君の自死は私にとってもう一度「どこから来て、どこまで来ているのか、そしてどこへ行くのか、」を問い直すことを決意する契機となりました。
今回の【極私的「京都市民運動」漂流記 ―福本の「市民運動」京の一鬼夜行噺(ばなし)】は、天体観測が趣味だった少年の69歳の老人になるまでの歩みです。悔しさを抱え、私怨が指し示す方向へと歩みを進めた私の記録です。
「アッタコトはアリツヅケル」「シタコトはシタコト、カエヨウモナイ過去ノコト」・・・なのですが、様々なことを今回振り返って、あれか、これか、選択時に間違いをしていないか? 人として恥ずべき行いをしてはいないか?・・・自分の生きてきた軌跡を振り返って、親の夢を裏切り、親不孝者の道を歩んだ大馬鹿者が無力なままにただ年老いたという実感だけが湧き上がりましたが、不思議と後悔の念はありません。「終わり良ければ全て良し」なのですが、まだ終わっていない、もう少し生かされてある(ありそうな)人生なので、最後の詰め!? これからをどうするのか? 暇になり、出来た時間を持て余して迷い彷徨って出会ったのが「火曜会」というこの場でした。後10年有る?(←欲張りですね!)か、無いかの命です。わが行いの後始末をし「立つ鳥跡を濁さず」と総括し終わって、アバヨ!と去れればと願っていますがさてどうなりますやら?・・・分からない中を最後まで足掻いて生きてゆくのだろうと思います。
体験を文字に落とし込み報告文としましたがこれが議論の素材となりうるのか? 研究報告のペーパーではありませんので、どの様な「議論」となるのか、フアンでもあり、タノシミでもあります。
本日は、なにとぞよろしくお願いいたします。
少年時代から鉄工所で育ち、いままで印刷機の騒音の中で暮らし続けてきました。また年老いたということもあり、耳が遠くなっています。出来ますれば、本日の参加者の皆様には、いつもより少し声を大きくしてお話し下さるようにお願いいたします。
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上記の文を当日の最初の言葉として用意し配布しましたが、その時、普段通りの私の状態ではなく、顔が火照っている赤面状態(ドキドキ状態)でしたので、このペーパーは読み上げずに、その時湧き上がる気持ちのままに話し始めさせていただきました。
小堀修君が書き残したものは70年代当時の言葉ですので、その中に書き残されている私の言葉も時代係り「過激な言葉」を文字に残していますが、<戦闘>へのエネルギーなどと語っていることは、ただガムシャラに人間としての自立を求め、平和を求めて足掻いて生きてゆくことの決意表明でしかないものです。私たちがその当時語る<武器>と言う言葉が表すものは己の肉体、身体そのものだけでした。
三里塚闘争などを記録した映画フィルムでは激しいシーンだけが切り取られ残っていますが、記録には残されなかった現場の大部分は、肉体だけで密集隊列を組み機動隊の攻撃の前に出て、抵抗行動をした多くの若者たちの素手でのたたかいでした。私も小堀修君もそんなたたかいの輪になかに参加しようとした一人でした。
報告会の前に沖縄にいる娘にメールでデスカッションペーパーを送り、「この前のメール読んだか?」と聞きますと「興味深く読んだよ〜! お父さんの人生録がおもしろくないわけないじゃん!」という返事のメールが帰って来ましたがそれ以上の感想は聞けませんでした。
さて、こんな前置きの話をさせていただき、参加者の皆さんからの感想と質問ということとなりました。私の極私的生き様を書いた拙い文章にも拘わらず、たくさんの感想と質問などをいただき、感謝しています。しかしながら、質問事項をメモとして書き残したのですが、不十分な記録メモしか残せておらず、一つ一つに丁寧な返事が出来ませんでした。応答能力の無いことを再度実感しつつ質問へ答えさせていただきました。「これが質問への答えなのかと思いながら我慢して聞いていると、まあなんとか答えになってるから不思議」というような言葉だった記憶なのですが、冨山先生からの助け舟のお言葉もありましたが、十分な答えが出来たのか、どうだったのでしょうか。
・私が分からないと書いた「運動の身体」は冨山先生から、参考資料の安心貧乏生活22頁の『私たちが「こうしたい」と言うと、ほとんど迷うことなく、その要望に沿って素早く手を打って下さった。早口の京都弁を聞いていると、身体と考えが一致している感じがする。』との部分を指摘下さり、さらに説明していただきました。私の身体の実存的な運動場、生き様のことなのだと理解できました。
・「反戦青年委員会参加時代」が語れない理由は何?
Q:このことは、いまだ文字に落とし込んでの総括が出来ない私ですが、語れる事実関係だけは話させていただきました。いまだ総括出来ない、しない事が私の今後の極私的な問題として残っているのだろうと考えています。
・2頁の集合写真で福本が笑ってないのは何故なのか?
Q:思い出したことは、この時朝食が終わり、これからテントの撤収作業をしなければならない。自前のテントは福本の持ち物の6人用のテント1つだけ。後の3つは山城高校の山岳部やワンダーフォーゲル部からの借りもの。テント、ロープ、地面に打ち込んだペグなどをきちんと回収し、欠品なく各収納袋に間違わずに梱包することが出来るのか?寝袋も借り物、中身と袋を間違えないか?またほかの皆が朝食のカレーライスを食べ終わった頃に、松林の中からポテトサラダを作って戻ってきた部員が一人出た事。コッヘルで湯を沸かし、インスタント・ポテトの粉末に湯を注いでかきまぜ、マヨネーズを入れるだけの簡単な作業をどこでこんなに時間を費やして作っていたのか?すでに朝食のカレーライスは無くなっており、自分が作ったポテトしか食べれない部員が出たという、予想外の事態が発生し唖然としていた時の福本の顔なのでした。一泊の天体観測遠征も、出発前の宿泊装備の借り出し、食品の買い出し、帰宅後の借りた物の返却作業が終わって、終了となります。一人の部員の不在に気が付かず、皆で朝食のカレーライスを食べ終えてしまった後での記念写真でしたので、ニッコリ笑えるような状態ではなかった時の写真なのです。
質問のおかげで半世紀前の遠い記憶が蘇ってきました。
・アナウンスペーパーの3頁末尾の「未来への透明な食べ物になりえるのか?」の意味は?
Q:高校時代、山に登ったり、山陰線の千代川の河原でテントを張ったりして、天体観測をしていた時、夜食のインスタントラーメンを食べながら、天体観測をしていたのですが、気持ちとして「本当に食べたいものは星の光」だったのです。
山城高校地学部天文班部員募集広告文
(この2ヶ年の同好会の活動で
詐欺やペテンもあったろう
それは全体その通りで
やっぱりそれも透明な
星のきれいな食物なのだ)
過去における天文班の活動は
全て部員の星春と星の光の集合体
そして過去と未来の混合物で
透明な本当の食物の一部になるようにと
願った一つの結晶です
・・・冬の河原で銀河の鉱泉を飲んだり
夏の山で流星や宇宙塵を飲み込んだり
したことは全体一つの食物だ・・・・ (以下略)1967年記
などと書いていた時代にふと気持ちが戻ってしまい書いてしまった言葉なのでした。伝わらない言葉、分からない言葉を書き、申し訳ありませんでした。
・味わい深い文章・・・いい出汁が出ている。
・福本さんの文章と他の人の文章(資料)の配置が絶妙で、書かれた人の顔が見える、浮かんでくる。
・風景を文字化している。風景が見えてくる。
Q:極私的な文章を他者に向けて書く、読んでいただくという機会はこれまで全くありませんでしたので、伝わってくる文章と言っていただけたことは大変うれしく、有り難いことでした。
・反原発運動家とはなにか?
・他者を断定している、言い切れるのはなぜ?
Q:極私的な私の歩みとして書いた文なので、私の実感(主観)として感じたままに書きました。
・印刷業の幅の広さ?などについて
Q:印刷屋は頼まれれば、出来ることは何でもするのです。
私の極私的なテーマ(自分史)でしたので、どの様な議論の場となるのか、想像も出来ず、ドキドキしていましたが、ハラハラ・ドキドキ、ワクワクの内にあっという間に終わったタノシイ時間でした。本当にありがとうございました。また報告する機会がありましたら、よろしくお願いいたします。
2017年10月26日
福本俊夫