火曜会

火曜会は、言葉が帯びる身体性を押し隠すのではなく、それを多焦点的に押し広げることこそが研究行為ではないか考えています。また研究分野の境界は、分野の前提を再度議論する中で、連結器になるとも考えています。

火曜会(第28期)の予定

 

火曜会(第28期)の予定です。

既に終了しています。

また全てこの通り行われたわけでもありません。

参考までに。

 

第28期火曜会

(2017年春開始)

同志社大学烏丸キャンパス志高館SK201

15時より

(「アジア比較社会論」「現代アジア特殊研究」)

冨山一郎

 

Ⅰディスカッションペーパー

いろいろと試みた27期でした。その出発点になった文書「共に考えるということ」は、火曜会のHPにアップしてありますので、ぜひとも確認をしてください(http://doshisha-aor.net/place/480/)。27期のこころみについては期の最後にも少し懇談しました。またそのあとも、何人かと議論をし、私もいろいろと考えたことを、以下に改めて提示したいと思います。

まず、27期からはじめたディスカッションペーパーということについてです。その軸になる含意は、あらかじめ読んできて火曜会の場においてそれぞれが注釈(コメント)を入れるというところにあります。そのさいに読むものを、ディスカッションペーパーと呼んだのですが、それは資料や論文、本などでも同じです。要点は、読む経験というものを議論に導入しようということでした。またそこには、中井正一が「印刷される論理」において述べたこととも重なります。すなわち「すでに一義的な意味志向が許されなくして、活字となって公衆の中に言葉が手渡しされる時、すでに公衆のおのおのの生活経験とおのおのの異なった周囲の情勢にしたがって解釈される可能の自由が与えられるのである」[1]のです。そこには新しい思考があり、新しい「活字的な思惟形態」が生まれるのです[2]

また中井はこの「印刷される論理」に対して「書かれる論理」を設定しています。この「書かれる論理」において文書は、対象に対する命名や意義付けをおこなうバイブルであり、一つの正しい読みを要求することになります。また中井はその読みの広がりを、的確にもヨーロッパ中世の教区的広がりとものべていますが、そこにはアカデミアでよく見受けられる正しい読みと学派の形成があるでしょう。中井が読む経験ということを押し出したのは、こうした教区的な有り様への批判だったのです。この教区的な有り様については最後にもう一度ふれますが、ディスカッションペーパーもこの批判を共有しています。

ところで読むということを、自らの経験と他者の言葉との関係において考えた人は中井だけではありません、研究を、「まだ見ぬ地平」を探ることだといい、そこに「自分を押し広げる」ということを重ねた竹村和子さんも、同様にこうした読みを「誤読のすすめ」と述べ、そこに新しい学知の形を亡くなる直前まで追及されていました[3]。竹村さんにとって、フェミニズムとは研究領域のことではなく、研究の形そのものにかかわる問題だったのです。

ひとつのテキストがそれぞれの経験において多声的な意味を作り出すということは、逆に言えば一つの文章を読むことにおいて、個別化された経験が言葉を交わすことのできるアリーナを形成するということでもあるでしょう。ディスカションペーパーは、このアリーナを生み出す作業なのです。今期もこの方法を採用したいと思います。したがって、火曜会の前週の土曜日までには、ディスカションペーパーをメーリングリストに配布してください。またその量は、問題ではありません。短くても文章として出してください。共に考えるためには、共に読むということが重要なのです。

Ⅱ議論の線形性と注釈の多声性

前の27期の火曜会から浮かび上がったのは、注釈を加えるということと、議論をするということの言葉のあり方の違いでした。前者の注釈を加える作業は、共通のテキストにそれぞれの読みが重層的に降り積もっていく、いわば地層をなすようなプロセスであるのに対し、議論は単線であり一つの時間を前に進むしかありません。この単線だということは内容の問題ではなく、同時に二人の発言を聞くことはできないという意味です。またその二つの発言がつながらない場合、とりあえずどちらかを保留あるいは中断せざるを得ません。これは議論のコンダクターをしていて、できうるだけ避けたいことでした。「前の議論と関係ないのですが」という展開には、細心の注意が必要なのです。保留や中断は確保されることがなければ、棄却される以外にないからです。そして単線的な流れの中ではこの確保がとてもむつかしい。注釈のポリフォニックな展開を、テキストに落とし込んでいく作業と、それをふまえて誕生した重層的な地層を、議論していく際の線形性を確保する作業とは、言葉の扱いにおいてかなり異なる営みであることが、浮かび上がったように思います。

まず多声性についてですが、それは書かれた一つのテキストが、先ほど述べた議論のアリーナになっていくことでもあります。すなわちテキスト上の主張ではなく、複数の経験にかかわる未決の問いの集積物としてテキストが生まれ変わるのです。中井はこれを、提案とのべ、すべての主張は問いではないかと説明しています[4]。それはある意味で、最初のディスカッションペーパーの著者が、ポリフォニックな声の中で、散乱してく事態であり、最初の主張が台無しになることでもあります。

そしてこうした事態の中で、重層的な地層を提案化にむすびつけるために、27期の火曜会では半ばから、注釈を加えた後、一度報告者である作者に引き取ってもらって、無理にでも線形性を帯びた語りとして話してもらうことをしました。多声を線形性に引き戻すのは無理な相談ですが、それは無理を無理として明示する作業でもあるのです。無理は押し通してみないと、ただの不可能性あるいは禁止となり、無理としては浮かび上がらないのです。今期もこの作業の時間を確保しましょう。また作者のいない場合でもそのテキストを読もうと最初に手を挙げた人が、これを担ってもいいかもしれません。

次に議論です。繰り返しますが一つの場で複数の議論を維持することは極めてむつかしいことです。また議論の時間はどこまでも前に進む以外になく、ある意味で最も原初的な人間の言語的営みでもあるでしょう。言葉は「いやおうなく一本の線となってわたしたちに現れる」のです(ソシュール『ソシュール講義録注釈』)。そしてそこには予定された秩序がまずはあるでしょう。それは、言葉が言説であるということであり、またあらゆる言葉がすでに使われた言葉の引用であり、引用にはすでに使われてきた慣習的な意味作用が張り付いているということでもあります。私たちの議論の出発点は、注釈という作業において生み出された多くの未決の問いを抱え込んだ提案からはじまっています。ですから下手をすると議論において、この豊かな未決性をありきたりの結論へと再び閉じていく危険性もあるでしょう。

この厄介な問題を、中井は技術的時間といい、「技術的時間はいずれの瞬間もが出発点」なのだと述べます[5]。線形性を持つが発言と発言の間にはいつも未決性が確保されているということでもあるでしょう。またそれは先ほどの議論がつながらないとのべたこと、あるいは中断や保留あるいは棄却ということともかかわる問題です。またこの未決性を、中井は模写という言葉でも説明しようとしています。つまり言語的意味内容のつながりではなく、パラフレーズしていくような展開でありつながりなのです。ちなみにそれは梅棹忠夫が『知的生産の技術』でのべた「こざね法」にも似た展開です(興味のある人はチェックしてください)。

ただこれは実践するのは、やはりかなりむつかしい。中断に見えても新たな展開に結び付くこともあるし、結局前の議論を棄却することにもなったりもしました。コンダクターをしていて、一番迷うところです。多くの失敗もありました。ただ議論が線形性を持つにはコンダクターはやはり必要な存在だと思っています。

結局のところ火曜会は次のような流れになります。

 

ディスカッションペーパー➡注釈の時間➡応答の時間➡議論の時間➡記録と報告

 

Ⅲ饒舌さと暴力と

ところでなぜこの間私は、中井正一の委員会の論理にこだわり続けているのか。それは彼がこの文章を書いた1936年にかかわります。同年226事件が起き東京に戒厳令がしかれ、翌年の1937年には盧溝橋事件がおき、日本の中国侵略が本格化していきます。この1937年中井は京都府警により治安維持法で検挙され、その後3年に及ぶ取調べののち、中井は特高の保護観察下に置かれます。戦時期中井は、日常的に予防拘禁の暴力にさらされ続けたのです。

私は今の状況と重ねて、ファシズムの時代というつもりはありません。ただ前にも書いたことですが、状況の問題としては、二つの点で中井に拘泥しています。一つは言葉と暴力の拮抗として、いま一つは資本主義の問題です。中井は同時期を検閲の深化と言論の自由の危機とは考えていません。むしろいかなる言葉が求められているのかということをだれも考えることなく、饒舌な言葉が垂れ流されているというのが、彼にとって委員会の論理に向かわせた理由でした。

 

「人々は、話合いをしなかった。一般の新聞も今は一方的な説教と、売出的な叫びをあげるばかりで、人々の耳でも口でもない「真空管の言葉」も亦そうである。益々そうである」[6]

 

誰も議論をしようとしない、ただ売り出し中の言葉にとびつく。それは同時に暴力が社会にせりあがってくることでもあったのです。あえていえばポイントは何を言うかではなく、何をもって言葉を話したことになるのかという言葉の姿にかかわる問題こそが、問われていたのです。それはバトラーにそくしていえば、意味内容ではなく何を言葉とみなすのかというもう一つの検閲にかかわる問題であり、このもう一つの検閲こそ、言葉と振る舞いが近似し、問答無用の暴力が顔を出す淵にかかわっているのです。私はここに今の状況を見ています。

いまひとは、資本主義にかかわることです。中井は彼の友人戸坂潤と同じくファシズムを自由主義あるいは民主主義と対峙させて考えていません。中井にとって同時代とは自由主義がファシズムに連結していく時代なのであり、引かれるべき対抗戦は、「自由を守れ」にあるのではなく、この連結を担う資本主義に向けられなくてはならなかったのです。そしてそこに、委員会の論理が立てられていたのです[7]。

そして今はやりのポピュリズムにおいて、私は同じ感触を抱いています。以下は、書きかけの原稿のイントロの部分です。

 

私は、憲法は変えるべきだと考えてきた。今もそうだ。それは条項だけをピックアップした改正としてではなく、根本的な問題としてある。すなわち象徴天皇制を規定した第一章の問題だ。そこには戦後の始まりを天皇の処刑と天皇制の廃絶という形で始めることのできなかった歴史的負の遺産が刻印されているのであり、それはまた、タカシ・フジタニさんが17年前に雑誌『世界』(2000年3月号)で公にしたライシャワー文書に示されるように[8]、米国を軸とした戦後世界と、日本帝国の野合の結節点として戦後の天皇制があるということでもある。このような条項を第一章に掲げる今の日本国憲法こそ、今に至る情けない日本の戦後の出発点だと私は思っている。それはまたこの天皇により、沖縄占領の正当性が担保されたという問題でもあるだろう。

これは、いいところもたくさんあるといったたぐいの問題ではない。あえていえば、戦後世界における主権概念が、すでに主権を超えた新しい帝国と、かつての帝国の野合の中で設定されているということであり、そのような主権のあり様を典型的に示すものとして日本国憲法があることは確かだ。そしてこの野合の中で、沖縄のみならず日本の植民地支配責任も、また在日朝鮮人の処遇も日本帝国を引き継ぐ形で処理されていったのである。いくら右翼的に聞こえようと、サンフランシスコ講和条約の発効を主権の回復として称賛したその瞬間に、なにが排除されたのかということを問題の軸に据えない戦後論を、私は受け付けることはできないのだ。

だからこそ2015年夏、機動隊という暴力装置により区画整理された国会前の空間に集まった人々から発せられた、「平和憲法の下で戦後日本人は一人も戦死しなかった」という言葉が発せられたとき、どんなに戦争法案反対で一致するという名目があったとしても[9]、怒りの入り混じった白々とした感覚を覚えた。それは運動論的な戦略の問題ではない。運動自体が排除を追認していることへの無自覚さの問題だ。自己肯定感に抱きしめられたあの「〇〇を守れ」という歴史認識が、共有されるはずだと思い込む傲慢さがいつから政治の軸になってしまったのだろうか。政治はこの無自覚さと傲慢さを超えて再度構想されなければならないだろう。

それはポピュリズムという用語とそれへの対抗運動をめぐっても継続している問題である。ポピュリズムをどうとらえるのか、それへの対抗運動をどのように考え、いかなる言葉がその運動を担うのかといった議論を抜きにして、いまポピュリズムは民主主義を破壊する政治という漠とした敵のイメージとして流通している。そして日本では、反安倍ということにおいて戦争法案反対運動と地続きでこの用語が用いられていると思う。ポピュズムという言葉を独り歩きさせないためにも、またその用語で示そうした状況に対抗的であるためにも、いま必要なのは、自由と民主主義を軸とした市民社会という言葉をどう批判的に考えるのかということだ。批判した先の社会性を再度市民社会と呼ぶかはいまどうでもよい。いずれしても、市民社会ということをすでにある守るべき前提としてポピュリズムを批判するということの問題性を議論したいと思う。そしてこの間の対抗運動の問題性もそこにある。自由が浸食されているわけでもなければ、民主主義があたかもこれまで存在しそれが壊されているわけでもない。そうした自由なり民主主義といった言葉が、反安倍の文脈で無批判に追認されていることが危機をより深刻にさせていると考える。

この小稿では、二つの問いを出したいと思う。それは資本主義という問題であり、いま一つは学知ということだ。

 

そんなこんなで、第28期火曜会、はじめましょう!

 

Ⅳ日程

以下が日程です。題目は仮です。正式な題目は、報告者自身が一週間前にアナウンスをしてください。また題目とともに書いてある文章は、案内のために私が勝手につけた文章です。どうかご容赦ください。これについても、一週間前に報告者が再度案内をしてください。

またディスカッションペーパーについてですが、前の週の土曜日までに配布してください。尚、ディスカッションペーパーは、論文である必要はありません。散文でも、詩でもいいです。とにかく読む経験を作るということが重要です。また7月26日には「饗宴」が準備されているそうです。この日は、場所時間が変わります。ご注意ください。

 

5月26日         海外出張のため休みです。

 

 

5月10日         田口卯吉における人種主義

報告者 李凱航

 

田口卯吉。日本の近代の始まりの時期を担った人々は大体そうですが、この人も乱反射を引き起こす多面体のような人だと思います。私が知る田口は『東京経済雑誌』を創刊した人であり、日本の近代でほんの一時存在した自由貿易を主張した人です。帝国主義論あるいは大英帝国をどう考えるのかということにおいて極めて重要な問題を提示したギャラハとロビンソンの自由貿易帝国主義論という議論がありますが、もしこの議論を日本にそくしていえば、多分田口卯吉がまずは検討されるべきでしょう。さらに彼は、早い時期の南進論者でもありました。しかも侵略というより交易として。そんな田口に李凱航さんが迫ります。しかも人種主義の問題として。経済的自由とレイシズムの関係はまさしく今日的な問題です。

 

 

 

 

 

5月17日         関係性としての知

報告者 りえ、マレイド・ハインス、庄子響子、木谷彰宏、鄭柚鎮

 

この素晴らしい報告者のラインナップに、ドキドキします。何が登場するのでしょうか。知は持っているものから持たざる者へと提示されるのではありません。学ぶということは差し出されたものを受け取ることでもありません。戦後を形作った啓蒙や知識人にまとわりついた、教え諭す知のありようは、私は1990年代あたりからどんどん機能不全になっていったと思っています。そしてその自らの知の不全を時代の反動といい替えてきたつけが、今の状況ともかかわっていると思っています。しかし少し視野を広くとれば、既に様々な知の系譜があることに気が付きます。報告者の皆さんはこの知の系譜に極めて具体的な形で接しているのではないかと想像しています。「関係性としての知」。この日は知の姿について、みなさんと、おしゃべりがしたいですね。

 

 

5月24日         鄭家屯事件をめぐって

報告者 霍 耀林

 

帝国日本の東アジアにおける軍事力の行使は、かなりの割合で、「邦人保護」という名目でなされています。1916年8月13日に中国で起きたこの事件もそうです。そこからは、いろいろな前提が浮かび上がります。すなわち帝国の領土でなくてもすでに人的交流や交易において人々は東アジアに越境的に居住していたということであり、そのような歴史的前提を帝国の軍事力が暴力的に再定義しようとするとき持ち出されたのが、「邦人保護」ではないのでしょうか。それはいわばコンタクト・ゾーンが別物にかわっていく決定的事態なのかもしれません。具体において抽象を考えるような、そんな議論になるのではないかと期待しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5月31日         呉叡人の沖縄論を読む

報告者 森宣雄

 

いつから民族主義やナショナリズムは、右翼のものになったのでしょうか。それらは間違いなく左翼の政治だったはずであり、革命の問題だったはずです。ファノンから民族主義や独立を外すことができないように、第三世界主義の核になったもの民族主義やナショナリズムでした。民族解放闘争や民族独立にかかわる左翼政治の系譜のなかで、今の状況を考えてみたいと思います。またこうした作業において、中国の今をどう考えるのか、台湾をどう考えるのかということは、避けて通れない問いです。呉叡人さん、本当に稀有な左翼の台湾独立論者です。彼の書いたものから、沖縄を考えてみたいと思います。森さん、よろしくお願いします。

 

 

6月7日          花森安治を読む

―戦後の暮らしを守る思想について―

報告者 西川和樹

 

戦後、暮らしを守ることをやり続けた花森安治は、戦時期には暮らしから戦争を作り上げる人でもありました。「暮らし」は無垢な守るべき日常ではなく、政治のアリーナであったということでしょう。キッチンは抗争の場であり、レシピは政治文書なのです。そしてそうしたことを花森は戦時期からすでに気が付いていたのかもしれません。レシピを読み、キッチンで料理をしながら、世界を語る西川さんの登場です。楽しみです。

 

 

6月14日         折り重なる時間

―沖縄に暮らす南洋群島引揚者への聞き取りから―

報告者 森亜紀子

 

森さんが昨年刊行された『複数の旋律を聞く』の裏表紙には「いくつもの声 ありえたはずの生が宿る」と記されています。また同書の最初には、語られなかった思いを聞くということも書かれています。生きるということが語られるとき、それはあったかもしれない生や、幻視の先に見える未来が語られているのかもしれません。そしてその生は、語り手に所有されているわけでもないでしょう。亡くなった寄せ場労働者だった平井正治さんが、まだ自分が生まれていない頃の、日雇い労働者がたくさん亡くなった事故について、「あの時はたいへんやった」とまるで自分のことのように話されていることを読んだことがあります。それはやはり彼の思いなのかもしれません。森さんの話に耳を傾けたいと思います。

6月21日     「銃剣とブルドーザー」を考える

報告者 岡本直美

 

抵抗であれ、請願であれ、運動と呼ばれる領域にはそこでしか登場しない時間があります。運動とは今までとは違う今を生きることであり、ただ流れていた時が、「変わる可能性のある現在」(ソルニット)として浮かび上がることなのでしょうか。そのとき、一人一人の生きてきた経験や、ある場所に蓄えられた歴史的系譜、あったかもしれない可能性などが絡まりあいながら、この今において開かれた可能性を確保しようとするのでしょう。力学的関係においては、変わりようのない今を、変わる可能性のある現在として確保し続けようとした伊江島の人々にとって、経験や系譜はいかなる歴史として獲得されたのでしょうか。あるいはそのような歴史を歴史と呼ばず、力学的関係の計算を歴史と勘違いする学知の問題も、そこにはあるでしょう。議論しましょう。

 

 

6月28日      マリアローザ・ダラ・コスタ研究の今日的意義

報告者 姜喜代

 

世界は解説されるのを待っているのではなく、変わるべく待機しているのです。ダラ・コスタの「家事労働に賃金を」は、家父長制と資本制の結託の社会学的説明や、シャドーワークという概念を意味しているのではないでしょう。それは、変わらない日常を変えうる日常として獲得しようとするとき、その日常を生きる者たちが未来に向けて宣言する言葉なのです。宣言は未だ登場していない未来と主体を先取りしようとする言語行為なのです。このことを理解せず、ただ解説の概念としてダラ・コスタを読む者たちは、いくら良心的解説を試みようと未来を封じ、来るべき主体を打ち消すことに加担することになるでしょう。さあ、ダラ・コスタ!

 

 

7月5日       移民政治の不在を考える

報告者 權大聖

 

移民問題が政治の主題になる、あるいはならないということはどういうことなのでしょうか。「あいつらを入れるな」ということが大きな政治のテーマになることと、移民が政治的テーマとして承認されないことの、どちらがレイシズムなのでしょうか。存在を議論することと、存在の外に置かれること。それはどちらかという選択肢の問題ではありません。政治のテーマにならないことがもつ暴力と政治的に明示された排外主義はいつも重なり合っています。レイシズム、あるいはヘイトスピーチも含めて議論したいとおもいます。

 

7月12日      「女ひとり大地を行く」(亀井文夫 1953年)を見る

案内人 姜文姫

 

この映画は見たい! 炭鉱労働と女性、そして石炭と戦争。いくつもの議論が噴き出すでしょう。監督の亀井文夫にも注目したいですね。ドキュメンタリーと映画、あるいはソヴィエトの社会主義リアリズムなどについても、議論になるのでしょうね。最高の案内人とともに、見て、話しましょう。

 

 

7月19日       李恢成と引揚げ文学

報告者 ニコラス・ランブレクト

 

李恢成にとって樺太からの引揚げ経験は、なんでしょうか。それは引揚げなのでしょうか。あるいは引揚げののちに、大村収容所で朝鮮への帰還を目指したことは、この引揚げとどうつながるのでしょうか。そしてこうした問いは、文学としていかなる表現を生み、いかなる経験として縁どられるのでしょうか。粘り強いニコラスの思考とともに考えていきましょう。また、引揚げ文学全体についても、現在進行形の彼の考えを、ぜひ聞きたいと思います。

 

 

7月26日       饗宴―冨山を読む、書く

実行準備委員会(代表 安里陽子・鄭柚鎮)

主催  火曜会

共催  同志社大学<奄美-沖縄-琉球>研究センター

ゲスト 車承棋

 

4月19日の最初の火曜会で配られたチラシには、「暴力の事後性と、事後という現在性の意味を『遅れて参加する知』(冨山一郎)を、議論という対面関係において、再び、考える。(『華年お祝い』及び論議空間の再吟味)」とあります。「華年」、素敵な絵柄ですね。またなんと車承棋さんもいらっしゃるとのこと! さらには夕刻より、アーモスト館のダイニングルームで「本格饗宴」もあり。料理をしてもいいですね。久しぶりの人もどうぞお集まりください。初夏を楽しみましょう。追って連絡があるとのことです。

 

 

 

Ⅴその他

①    ホームページはhttp://doshisha-aor.net/place/480/

②    メーリングリストに登録してください。

③    その他

金曜日の3限(1時10分より)は「歌について考える」4限(14時55分より)は「上野英信の沖縄」です。場所は地下のSK12です。参加希望者はご連絡ください。

 

 

 

[1]中井正一「委員会の論理」『中井正一全集第1巻』美術出版社、1981年、53頁。

[2]同、54頁。

[3]小森陽一監修『研究する意味』(東京図書、2003年)、158頁。

[4]中井「委員会の論理」79頁。

[5]同、88頁。

[6]中井正一『美と集団の論理』久野収編、中央公論社、1962年、207頁。

[7]それは中井の委員会の論理という表現にもかかわる。友人の久野収や野間宏によると、そこには中井の人民委員会すなわちソヴィエトへの批判的介入がある。誤解をおそれずあえていえば、それはレーニンの二重権力論の問題であり、国家に向かう党に対しアナーキズムを確保しようとすることでもあるのかもしれない。それが中井にとっての言葉の姿の問題なのだろう。いいかれば中井にとって資本主義の問題は、マルクス経済学者の資本主義論争ではなく、レーニン主義をどう批判的に継承するのかということだったのかもしれない。中井の愛読書としてレーニンの「一歩前進、二歩後退」があるという久野の証言も興味深い。

[8]岩波書店のホームページで読めるhttps://www.iwanami.co.jp/sekai/2000/03/146.html

[9]このこと自体とてもペライ議論だと思う。またそれは運動論というより、平井玄がいうように、「広告的政治」の様態を示しているだけだと思う。平井の2015年夏にかかわる文章をぜひ参照されたい。平井玄「真に畏怖すべきもの―国民運動への異論」『季刊ピープルズ・プラン』73号、2016年。