火曜会通信(55) 可能性としての引揚げ:李恢成と引揚げ文学
可能性としての引揚げ:李恢成と引揚げ文学 (2017年7月19日開催)
ニコラス・ランブレクト
書きたい内容と遠く離れている相手の気持ちをいつも考えているのに、なかなか言いたいことを形にできない。長い間途絶えていた通信を、ある切っ掛けで再開しようとし、過去に一緒に過ごした時間を記録する。これが李恢成の『私のサハリン』の粗筋ですが、今回遅れて出す火曜会通信もこれに当てはまるかもしれない。
7月の火曜会の集まりで在日朝鮮人文学を代表する作家の一人として知られている李恢成の初期作品を巡って「可能性としての引揚げ」を一緒に議論した。旧樺太生まれ育ちの李恢成は終戦後、家族数名と引揚げ船に乗って故郷を離れ日本へ移動し、長い旅の末、北海道に定住した。この経験を引揚げと呼ぶべきなのか。それとも将来的に祖国へ移動する可能性が残っているため、引揚げと呼ばない方が相応しいのか。また、李恢成の文学を在日朝鮮人文学だけではなく引揚文学という観点から見た場合、引揚文学の新しい展望が見えてくる可能性はあるのか。元植民者の在日朝鮮人(のちに在日韓国人)の特殊なリミナリティを考えた上で引揚文学の定義と、李恢成の「引揚性」を一緒に考慮した。
李恢成の作品の中で、戦後の移動が直筆で描かれている、もしくはそれが背景にある文章が数多く大量に存在し、興味深い作品が多数ある。そのため、発表で1990年代の長編作品『百年の旅人たち』や現在6巻目が連載中の『地上生活者』を扱っていなかったことが心配だった。しかし、今回の話合いで初期作品の『私のサハリン』(1972年)と群像新人文学賞当選作の『またふたたびの道』(1969年)が短文にも関わらず、かなり奥深い作品だと確信した。これを踏まえて今もこのふたつの文章を元に李恢成研究を進めているので、火曜会の議論が研究に大きな影響を与えたと言えるだろう。
とりわけ『私のサハリン』は複数の逸話、エピソードでできている。火曜会のメンバーは様々な視点から作品を読んだので、参加者によってどのシーンが重要かという認識が全く異なっていた。ディスカッションペーパーであまり触れなかったジェンダー問題や時間性の重大さが議論でよくわかった。さらに色々な文章で出てくる北海道という場所の特別性も指摘してくれた。
また、発表で引揚性(repatriativity)の概念が漠然としていたため、ディスカッションペーパーで鉤括弧を大量に使い過ぎたことが皆のコメントで明確になった。言外の意味や微妙な違いを配慮し、もっとも適切な言葉を利用することも大切である。さらに英語と日本語の間に引揚げと帰還と送還、repatriationとdeportationの間に埋まりにくいギャップが常に生じていることを再確認した。しかし、このギャップを鉤括弧で示すと主張したいことがわかりづらくなる傾向があるので、言葉遣いに注意しながら鉤括弧をできるだけ使用しないことに決めた。これから博士論文の中で重要な存在になる引揚性を探るために、「引揚性」をもっと的確に定義することが必要である。
場所と生き方が深く関わっていることは李恢成の文章でよく伝わると議論の中で話をした。サハリンにいた少年時代の李恢成と日本にいる李恢成は全く違う日常を送る。そして再びサハリンを訪れた時、そこはもう彼の知っているサハリンではなかった。しかし過去の経験は消えるというわけではない。李恢成の文学は移動の経験の重なりでできていると言えるだろう。引揚げ文学の観念を移動を中心として捉えるとしたら、李恢成の文章は立派な引揚文学ではないだろうか。
同じように、シカゴの生活と京都の生活が大きく異なるが、火曜会に参加するたびに新しい京都に出会うことができるように思う。また火曜会という特別な空間で議論できる機会を楽しみにしている。