火曜会

火曜会は、言葉が帯びる身体性を押し隠すのではなく、それを多焦点的に押し広げることこそが研究行為ではないか考えています。また研究分野の境界は、分野の前提を再度議論する中で、連結器になるとも考えています。

火曜会通信(56) 沖縄の基地と地域-女性運動と支援する男性

 

沖縄の基地と地域-女性運動と支援する男性(2017/11/15)

桐山節子

 

これは、軍用地料の配分をめぐる女性差別解消運動がたたかわれた、金武町の地方政治家-宜野座安雄(1922-2006)-への問いを整理したものです。宜野座は沖縄県の戦後を生きた地方政治家ですが、首長に立候補するという意志・野心を持たない世話役に徹した人物でした。また、彼は決して豊かといえない母子家庭で育ち、地域の力関係を左右する能力をもち人望を集めたといえるでしょう。生活は共働きをしつつ6人の子供を養育しました。

基地の町となった金武町では、入会権にかかわる軍用地料の受領有無が様々な関係の中で、例えば、町役場と区事務所・入会団体、旧区民と他地域出身者、女性と男性間で争われ、地域社会の排他性や融和性に影響を与えてきたといえます。

軍用地料の配分をめぐる女性差別解消運動を振り返ると、並里区では運動目標が地域団体の協議で達成されましたが、金武区では裁判に持ち込まれ、2006年3月に敗訴が確定しました。この問題では、金武区と並里区の区外出身者比率や地域有力者の方針などが論点の一つでした。宜野座安雄は並里区の問題解決で、重要な役割を担った地域有力者と位置づけられ、単に”支援する男性”といえない。

一方、金武区では金武入会団体が、軍用地料の増額に伴い度々会則改正を行いました。会則改正の経過をみると、入会団体が軍用地料の配分先を拡大しないという強い意志を持ち、地域の慣習を巧みに維持したものといえます。その経過は時代に逆行するように、旧金武区民女子孫差別を強めたばかりでなく、金武町、特に金武区の他地域出身者(=よそ者)への排他性をも強めるという地域再編に繋がったことを浮きぼりにしました。そしてその会則改正は、家父長的な慣習が地域の中で自然的、確定的に存在しているのでなく、地域内の経済的利益をも検討し再編されてきたことが明らかになり、金武杣山訴訟はそのことを争った事例と考えられます。

ところが軍用地料の増額は、米軍基地を維持するという日米政府の政策と沖縄側の抵抗と運動が、相互に作用した結果として捉えられるべきでしょう。

この論点を踏まえ、宜野座の行動や足跡を見ると、彼は金武町を中心に沖縄県政とも繋がり政治的な世話役活動に終始してきたと思われます。彼は村会議員となった頃から、一貫して、軍用地料と地域の基地問題にかかわってきました。それは両者が、基地の町の最重要課題であったことを示しています。復帰後の彼の政治的姿勢は、融和的な地域づくりであったことが窺われますが、農業とリゾート開発の関係、反基地運動との関係がどのようなものであったかという問いを持ちます。

今後は女性問題に加え、宜野座の政治的活動を問いつつ、再構成し続ける地域という視点から、基地の町を検討しようと思います。これについて様々なご意見をいただけると幸いです。