火曜会

火曜会は、言葉が帯びる身体性を押し隠すのではなく、それを多焦点的に押し広げることこそが研究行為ではないか考えています。また研究分野の境界は、分野の前提を再度議論する中で、連結器になるとも考えています。

火曜会通信(60)ーダラ・コスタを読む その2

 

ダラ・コスタを読む その2

 

姜 喜代

 

12月20日の火曜会では前回に引き続き、イタリア人フェミニズム研究者マリアローザ・ダラ・コスタの『家事労働に賃金を-フェミニズムの新たな展望』という本を読み、皆さんと議論した。皆さんから有意義なコメントと質問を頂いたが、ほとんど答えることができず申し訳ない気持ちでいっぱいになったと同時に、私が興味を持っている文章を一緒に読んで下さり、自分とは違う読み方を知る機会を持てて本当に有難いと思っている。

 

無償労働と私的依存の場である家庭は、女の抵抗が徐々に広がり、組織化していく第一の領域である[1]

 

上の引用文は今回のディスカッションペーパーの最後に引用したダラ・コスタの文章だが、ゆじんさんから「引用文というのは自分の文章であると思っている。姜さんはなぜこの文章を引用したのか?どういう世界を姜さんは見ているのか?」という質問を受けた。それから約一ヶ月が経ったが、この間この問いについて考え続けている。

先進工業国で住み込みの家事労働に従事する途上国出身の女性たちの労働が抱える多くの問題は多くの先行研究によって明らかにされてきた。例えば一般家庭という行政の監視の目が行き届かない場所での労働ゆえの脆弱性や低賃金、長時間労働、搾取、雇用主との非対称な関係、受け入れ国で市民権を取得できないことや家族を呼び寄せることができないことなどが挙げられる。

また特にフェミニズムの立場からは、移住家事労働者の雇用により、雇用主の家庭において家事労働が男女間で平等に分担されなくなることや家事労働者が自分の故郷のみならず移住先でも家事労働に従事することから、「移住家事労働における女性の解放度は低い」という議論もある[2]。

私が以前にフィリピンと香港、韓国で出会った移住家事労働者とその経験者たちも雇用主宅で暴力や腐った食べ物を与えられたこと、雇用主宅での長時間労働や関係の非対称性、低賃金について語っていた。だがその中で自分の得意分野を磨き、雇用主に訴え、交渉してより高い賃金を得たり、待遇の改善を勝ち取ったりしていた。また自分たちの労働が故郷の家族だけではなく、移住先社会の繁栄の下支えになっているが安く使われていることも熟知していた。でも彼女たちの言葉や表情からは自分の労働への自信、誇りが感じられ、低賃金や搾取、雇用主との非対称な関係に苦しんでいるというよりもプロの家事労働者、ナニーとして凛として生きているかっこいい女性たちであるという印象を受け、多くの先行研究を読んだ時に受けた「弱い女性」、「かわいそうな女性」という移住家事労働者のイメージとのギャップを感じた。このことが今に至るまでこの問題について関心を抱き続けている一つの理由である。

前出の引用文であるがなぜ私はこの文章を引用したのだろうか。

 

無償労働と私的依存の場である家庭は、女の抵抗が徐々に広がり、組織化していく第一の領域である[3]

 

この文章の前後ではダラ・コスタが1960年以降、イタリアや他のヨーロッパ諸国において急速な出生率の低下が進んだことを受け、女性による国家からの出産の命令や特に農村地帯における男性からの家事や育児などの再生産労働を拒否して都会に移り住んで核家族を形成することで、女性が自身と子どもたちの生活の質を向上させていくことができると書かれている。しかし私はこの文章を移住女性による家事労働と主婦や共働きの女性による家事労働を結びつけて考えるためのきっかけにしたいと考えている。

通信の提出が遅くなって本当に申し訳ありませんでした。

 

[1]マリアローザ・ダラ・コスタ、伊田久美子・伊藤公雄(訳)(1986)『家事労働に賃金を-フェ

ミニズムの新たな展望-』インパクト出版会、155頁。

[2]ラセル・サラザール・パレーニャス(2007)「女はいつもホームにある-グローバリゼーションにおけるフィリピン女性家事労働者の国際移動-」伊豫谷登士翁編『移動から場所を問う-現代移民研究の課題』有信堂。

[3]前掲書、155頁。