火曜会

火曜会は、言葉が帯びる身体性を押し隠すのではなく、それを多焦点的に押し広げることこそが研究行為ではないか考えています。また研究分野の境界は、分野の前提を再度議論する中で、連結器になるとも考えています。

火曜会通信(64)ー『沖縄のハルモニ-証言・従軍慰安婦』をみる

 

火曜会のみなさまへ

先日は報告をさせて頂きありがとうございました。みなさまから貴重なご指摘・意見を頂戴し、本当に有意義な時間でございました。今後ともよろしくお願いします。

 

 

『沖縄のハルモニ-証言・従軍慰安婦』をみる(2018/ 4/25)

 

桐山節子

 

映画『沖縄のハルモニ』(山谷哲夫監督)は、1977-79年に製作されたドキュメンタリーである。ペ・ポンギ(1914-1991)は、1944年に旧日本軍の慰安婦となった朝鮮人女性で、復帰後の1975年に日本・沖縄ではじめてそのことを証言した。映画では慰安所となった沖縄:渡嘉敷島の「赤瓦の家」での彼女の生活と人間関係、沖縄戦後に朝鮮半島に戻れず取り残された状況とその後が語られる。その証言は戦後の米軍基地周辺歓楽街を窺い知るものでもある。1980年代に入り沖縄では市町村「字誌づくり」が盛んに行われ、多くの慰安所が明らかになった。調査には多数の女性らが参加してきた。「慰安所マップ」はその成果から作成されている。

ところで千田夏光(1924-2000)は、ペ・ポンギの証言より前の1973年に2万数千枚の写真をもとに『”声なき女”八万人の告発-従軍慰安婦』を発刊し、戦後の日本の文書ではじめて「従軍慰安婦」という語を使用した。彼の著作は、後に日本や韓国をはじめとする慰安婦問題に大きな影響を与えた。それまで旧日本軍慰安婦の存在は、多くの戦争体験者が沈黙してきたことであった。

しかし千田の著作、ペ・ポンギの証言、沖縄の「慰安所マップ」の存在にもかかわらず、日本国内ではなおも旧日本軍慰安婦の問い直しに躊躇していると思える。声の大きい人々が歪曲してきたことは、ただ年月を無駄にしているだけのようだ。

一方、韓国では韓国挺身隊問題対策協議会が結成され、1991年には韓国太平洋戦争犠牲者遺族会が日本政府を提訴した。キム・ハクスンが証言した。だが慰安婦問題は、紆余曲折を経ても未解決である。

沖縄の慰安所には、朝鮮人女性だけでなく沖縄県女性も存していた。沖縄戦期の慰安所と慰安婦、戦後の基地周辺歓楽街の女性たちと地域の関係はどのようなものだろうか。ひた隠しにされてきた戦争犯罪、あるいは軍隊の暴力性は、どのように論ずると女性たちが納得できるものになるのか。そのことは今後の課題である。