火曜会

火曜会は、言葉が帯びる身体性を押し隠すのではなく、それを多焦点的に押し広げることこそが研究行為ではないか考えています。また研究分野の境界は、分野の前提を再度議論する中で、連結器になるとも考えています。

火曜会通信(68)ーShifting Frontiers of Empire

 

 

Shifting Frontiers of Empire(5/30/2018) リスポンス

Wendy Matsumura

 

 

発表を終えた翌日には東京に行って大原社研、公文書館などに“資料集め”を一週間ほど行った。そのおかげで自分が発表したセッションの内容について考えることを避けることができた。実は、ノートはたくさん取ったが、そこで何が起きたか、そして自分がどう言った応答をしたのかなどまだ整理ができていない。だた、とても印象に残って、この一週間よく振り返るシーンがいくつかある。その一つ一つは私が考えずに翻訳したことで少し混乱を生じさせた、場の構築、正確に言うと”place-making” とも深く関わっていると思う。発表で一番悩んだのは構造的 (これも不十分な表現だが)な状況に左右されながらも、違うロジックによって関係性を築こうとした人々の力をどう表現したらいいか(そしてそれができたとしてもするべき行為なのか)という歴史記述の問題だった。それは冨山先生がおっしゃったように、過去に他人が築こうとした関係性では全くなく、いま、ここにいる私たちがおかれている状況の中、そして、私たちが築こうとしている関係性の中で見えるものであり、語られることでしかない。だからこそ、自分の立ち位置をはっきりさせて記述を進めていかないと過去は現在ときり離されたものにしかみえず、著者としての見解・世界観を肯定することしかできない、つまらない“歴史家”にしかなれないと私は思う。

前に言った自分に印象に残ったシーン、そして議論の整理の難しさはこの点と深く繋がっている気がする。今週何回も振り返って考えたことは何人かが違う表現を使って、解らない、と言ってくれたことである。とても気の毒だけど、ありがたいと思ったのはチョウさんが一周近く回ったところで解らなかったのでコメントは控えると言ったことだった。わけのわからないペーパーを読んでくれて、ずっと座って、自分の順番が来るのを耐えていたんだと思う。福本さんも同じだったかもしれない。私の応答でますますわからなくなったかもしれない。一番反省しないといけないのは応答で、どこが理解しにくかったか、どこに疑問を持っているのか、と言うような怖いことは聞けず、必死で、他の方々がしてくれた質問に答えようとしたり、とりあえず自分が解っていることをできるだけ喋ろうとしたことだ。この調子では “place-making” は不可能だと今は反省している。発表の内容に関しても、通じなかった理由は多分、上で述べた、“過去の”ことを今と切り離したまま記述する、つまらない歴史家を脱出することができないまま書いてしまったからだろう。この研究を通してどのような場を構築することができるのか、そして今に必要な批判とはどんなものでなくてはいけないのか、と言う根本的な問いにまだ答えられていないことが議論(の停止)に繋がってしまったのだと思う。こんな不完成な時を耐えてくれた皆様に感謝しています。