火曜会

火曜会は、言葉が帯びる身体性を押し隠すのではなく、それを多焦点的に押し広げることこそが研究行為ではないか考えています。また研究分野の境界は、分野の前提を再度議論する中で、連結器になるとも考えています。

 火曜会通信(72)ーニューカレドニアと人間動物園

 

ニューカレドニアと人間動物園

友寄元樹

 

いろいろと考えた結果、「ニューカレドニアと、1931年のパリ国際植民地博覧会の、人間動物園から、植民地主義とは何か、ということを議論したい」と思った。そう思うに至ったのは、(後から思い出したのだけれども)2018年現在で植民地主義の暴力とはどのように現われるのかということを考えているときであった。

何気ない日頃の会話に、植民地主義の変化形、「え?それが植民地主義なの?」と問われそうな何かを感じることが多かったからだ。「日本人?」と聞かれたときのもどかしさや、1分でも時間に遅れると「沖縄タイムだね」とか、「沖縄人なら、暑くないでしょ。暑いのは慣れているんじゃない?」とかが、それである。

今回のディスカッション(2018年6月27日)では、NHKが製作し2009年4月5日に放送した「Japanデビュー」シリーズの第1回目「アジアの一等国」とRachid Bouchareb監督の”Exihibitions”をまず見た。「アジアの一等国」は、放送直後に内容が偏向しているとして批判が殺到した。そして、映像に登場するパイワン族の人からも名誉毀損で訴えられるなど、「わけあり」映像として知られている(名誉毀損についての最高裁判決については、NHKのHPを参照ください)。後者の”Exihibitions”は、2009年の第2回アルジェリア パン アフリカフェスティバルに出展された作品である。フランスの歴史家であり移民研究者のPascal Blanchardも脚本に関わり、フランスの植民地支配がどのようなものであったのかを映像で拡散し、その事実を知ってもらうというのが目的だといえる。(この映像の監督は他にも、『デイズ・オブ・グローリー』や”outsider law”(原題 : Hors la loi)などの映画も製作し、フランスの植民地支配について問い続けている。)これらの映像から、植民地支配というのはそれぞれのかたちで存在しているが、かたちを変えて、植民地関係だけに留まらず帝国の問題として、そして越帝国的に拡がり、繋がっていたということがわかる。

たくさん出された論点のなかで、関心を多く惹きつけたうちのひとつが、植民地博覧会に対抗する「反帝国主義展」だと思う。この展示会がどのような様子であったのかは、これからの課題にしたい。ここでおもしろいと思ったのは、共産党系の労働組合がこの展示会を企画していたということである。共産主義の潮流変化の一端がここで見出せるのでないだろうか。いずれにせよ、この展示会については、要調査である。

「歴史が単純化されている」、「歴史として終わっている」かのように語られているという議論も多くあった。そこには人間動物園という表象の問題に留まらない問題があること。歴史として、それはおわったのではなく、今もかたちを変えて存続/継続しているということ。それぞれが交差し、繋がっている議論として再考する必要性をあらためて感じた。

ほかにも多くの論点が出されたが、最後にこれからの記録として「島嶼」ということを改めてしるしておきたい。労働力と島々。資本と島々。軍事と島々。植民地化と島々。脱植民地化と島々。など、ヒトの移動や資本の移動、ヒトの過剰/不足や資本の集中/欠如などを、島嶼が抱える特徴のひとつとして考えることはできないだろうかということである。それを見つめ、考え直して、今後の研究に挑みたい。

今回は、さまざまな論点がありましたが、割愛させていただきました。頂いた多くのコメントや疑問を参考にして、論文もしくは何かしらの文章を残したいなと思いました。