火曜会通信(74)ー 根釧パイロットファームと「朝霧文学会」から何を問うことができるのか
根釧パイロットファームと「朝霧文学会」から何を問うことができるのか
(2018年7月19日)
番匠健一
猛暑のなか集まっていただいた方々に感謝しつつ、また最後に見た映像を自分で思い返しながら、当日応えることができなかったコメントに応答し、火曜会のなかで得たもの、考えたものを言葉に変えていきたいと思います。
ディスカッションペーパーを再読すると、前半でフィールドまでのプロセスや調査が織りなす関係性のようなものを論じながら、後半ではサークル誌『朝霧』の玉井さん個人の作品の分析に集中していく。二つに分かれているかのように見える両者が議論で問題とされ、かつ映像においても更に浮かび上がってきたように思います。冨山先生、姜文姫さんからの、玉井個人の作品とサークル誌『朝霧』をイコールにして良いのかという指摘や、上地さんからは、『朝霧』の値段はいくらだという重要な指摘、媒体としての『朝霧』にどのような関係性が折り重なっていたのかということが重要なのではないかという問いだと受け止めました。その上で、共有した『朝霧』5号の短歌や詩は、鶴見和子の『生活記録運動のなかで』における短歌の大切さ、松下竜一の『豆腐屋の四季』にある短歌へのこだわり、「生きている証」の痕跡のようなものとしての短歌や詩を考える必要があるという冨山先生の1点目の指摘は、今回行った研究手法の大きな展開へと導く重要な指摘です。
玉井さんの作品「凍土の怒り」について、後半の入植者と農協職員の会話から、佐久川さんは農協の側の「農民を経営者に置き換える力」を指摘しつつ、入植者の言葉からは農協に生活資金を要求しながらも自身の窮状を理解してもらうのではなく、理解できるものか突き放す意志を読みとられました。この言葉の応酬によって浮き上がるのは、むしろ入植者の労働経験と農協職員の労働の落差や労働の質の違いのように思いました。これは冨山先生の3点目の指摘にあった玉井文学の読み方にも関わるのですが、農業経営者として赤字か赤字でないかということで労働が評価される入植地の世界において、短歌や小説とともに労働することは何なのか、労働は金銭だけではなく「営み」であり自然や人との関係でもあることを抱え込む言葉のようなものを考えることでもあります。それは農民の日記において毎日の作業を書きのこす行為が、研究者にとって単なる事実の確認ではなく、「書きのこしておきたい気持ち」として扱うことでもある、と。ディスカッションペーパーに書いた私が冬を経験しなければならないという思い込みは、「凍土の怒り」において労働とアカギレが文章として残ることの意味を考えることにもつながるのかもしれません。あるいは手嶋さんが、運動史における「怒り」の表現の可能性/不可能性と、それが文学作品に書き残されることによる当事者の問題を指摘されましたが、作者の玉井さんが作品を読み返し改めて怒り、今起こっていることのように番匠につきつける(それは作品を突きつけているのか、自身の経験を突きつけているのかよくわからない)ことにも関わっています。作品化することが、作者と作品の分離分割であり、経験とテクストの分離であるとは全く言えないような状況が、後半の映像にも出ていたかと思いますが、そういうことがなぜ起こっているのかを考えたいです。
またディスカッションペーパーのルート336の文章に言及してくれた岡本さん、マレードさん、安里さんのコメントはとてもうれしかった。岡本さんならそこを拾ってくれるなと思っていた、単なる風景だけではなく軍事演習やレーダー基地がそこにあることをこのテーマと一緒に考えること。このあたりは、今回のペーパーに書けなかったのですが、別海町の根釧パイロットファームが立ち行かなくなるなかで、別海町議会で自衛隊の軍事演習場の誘致が決議され、パイロットファーム計画のあった場所に矢臼別軍事演習場が成立することへと繋がっていく歴史を考えていました(この内容は9月に日中韓農業史学会での発表原稿に書いたため強引に切り分けてしまいました)。そして調査には毎回同じルートで行く派のマレードさんからは、明解に論点の整理をしていただき、①調査者が物質的にフィールドに行く時間、そして②集団性を担う名前が、その集団の企画にどう影響を与えていくのか、③「文学表現」というペーパーの言葉のなかの「文学」の意味(これは多くの方からコメントがありました)、④映像がフィールドに返ったあとどのように見られるのか、あるいは調査者であり撮影者である番匠と事後的に映像を見て編集行為を行う番匠の違い、という一筋縄では応えることができない展開可能性のあるコメントと質問をいただきました。特に④を今後考えたいなと思いましたが、撮影者・編集者と被写体・調査対象者ではなく、いろんな集団や他の人にちょっとずつ見てもらうことが重要な気がしました。次回改めて報告して議論できればうれしいです。そして安里さんからは、①サークルの経緯、②メノナイト教会の意味、③パイロットファームの意味、④農協と雪印、⑤森進一「港町ブルース」、⑥石川啄木の詩、についての指摘がありました。今回は、歴史叙述として時系列で事象を説明せずお配りしたサークル誌の資料、そして映像資料から議論できることが何なのかのヒントをもらうことを狙っておりましたので、①-④までは意図的な不親切であったのですが(②は記述忘れ)、映像からなんとなく浮かび上がっていれば良いなと思いましたが、そうでなければ発表者の責任による失敗です。⑤、⑥は自分の感覚を伝えたいがためのものですが、⑤の森進一の歌は、山田洋次の映画『家族』で炭鉱夫家族が道東の入植地をめざし北海道に入ったその瞬間に流れている歌ですが、僕はこの歌の「港町」的雰囲気は函館よりも釧路がとてもにあっていると思っています。そのシーンでは入植地へと向かい家族は、全然知らない旅人として寅さんとすれ違うという非常に重要なシーンです。寅さんこと渥美清は、別海町との関係も深く酪農家の若者たちと都会の女性との集団お見合いの助っ人として会場に参加し、別海町の酪農家たちの集団結婚式にも参加する活動を行っています。
また小路さんからは、「サークルのメンバーになりすぎている」、あるいは「純文学へのフェティシズム」(番匠が玉井の言葉をそのまま受けすぎであるという指摘)、「ロマンを感じた」(これは両義的?)、「いまはまだオタク感がある」という非常に厳しいコメントを受けました。あるいはこの議論におけるアイヌの不在は開拓で開かれた自然とも重なるという重要な指摘・批判や、文学作品の分析において分析の言葉を投げ出しているという批判は、そうであり、十分に言葉を練り直し応答したいと思います。また「問いをつくっていく過程をドキュメンタリーできれば面白い」というコメントは、「問い」を「関係のなかでの問い」と言い換えるならば、火曜会後に寒梅館でハートランドを飲みながら議論の続きをしたように、映像においてその可能性がかいま見えたかもしれないなと思っています。
冨山先生から、単に調査対象を資料とするのではなく、関係を考えること、それが「思案する」という言葉にも表れているという指摘をいただきました。
「遠方から研究者がくることを良い機会にして、休刊状態が続くサークル誌のメンバーを集めてメディアにもアピールする玉井の戦略を理解しつつ、話をしてくれた人たちに単に撮影した映像を送るだけではない関係性をどうやって作っていけばよいのか。この集会を機会にして再刊され、自身も寄稿者となった『朝霧』の最新26号を受取りながら、ますます別海に惹かれるようになった私は思案する。」ディスカッションペーパー、2頁
今回の議論のなかで使っていた「文学」という言葉の中身を、この関係性を思案するという文脈のなかで、番匠の側からもう一度違う言葉にし直す作業を行いたいと思います。8月末には夏の北海道へ旅立ちます。今回とは異なるルート、会いたくて会えずにいた人たちに出会うなかで、また違うお話を以上、皆様への御礼に代えて。
2018年7月26日 番匠健一