火曜会

火曜会は、言葉が帯びる身体性を押し隠すのではなく、それを多焦点的に押し広げることこそが研究行為ではないか考えています。また研究分野の境界は、分野の前提を再度議論する中で、連結器になるとも考えています。

火曜会通信(78)ー北海道における炭鉱の文化運動

 

 

北海道における炭鉱の文化運動―太平洋炭鉱の主婦会と『母のうぶごえ』を中心に

(2018年10月31日)

姜文姫

 

今度の火曜会では、思いがけないコメントがたくさん寄せられて嬉しかったです。というのは、まず『母のうぶごえ』というサークル誌の表題から『母のうぶごえ』自体の意味が問われ、またその問いから私のディスカッションペーパーで問題視している「文化」を考えるきっかけを作っていただきました。そして一緒に読んでいただいた資料を『母のうぶごえ』と合わせて如何に読めるかについて、『母のうぶごえ』をつくった主婦たちが生活改善講習会への参加拒否の旨を表した資料から、主婦たちの強い意志によるものとして意味付けられました。私としては、『母のうぶごえ』というものの意味と意義、重さを改めて感じる貴重な時間でした。

多くの方のコメントにも共通していたような気がしますが、やはり「生活」と「暮らし」を書くということが、「文化」に関わる(私はディスカッションペーパーで文化を「獲得」するという表現をしましたが)プロセスとしてあるということです。さらに冨山先生の指摘の通り、話し合う、読むという行為も欠かせないプロセスです。2018年現在、私の手にあるものは確かに紙媒体の『母のうぶごえ』であるが、沢山の話し合いと互いに読んで書く、ことが前提にされていることを忘れてはいけません。そしてそれは「生活記録運動」「文化運動」のカテゴライズの手前のあるものとして論じるべきだと言われました。

その批判会の力はどこから来るものかと考えたときに、「主婦」が家庭内の生活を経営する立場にあるものであり、生活改善講習会だけではなく、主婦会の活動を行う立場にもあるということが指摘されました。つまりこれは、戦後(主に1960年代から)の農村において生活改善の担い手として注目されるのが「主婦」であったが、その役割が家族・家庭生活のケアでありながら家庭内から地域社会までにつついていく[1]という、限界を持った農村女性とは異なる文脈を持ちます。そのため、『母のうぶごえ』は主婦自身が言葉を発しようとするときの「足場」になるというコメントでした。

ほかにも色々なコメントがありましたが、今後の課題として考えさせていただきます。ありがとうございました。

 

[1]岩島史「戦後日本の生活改善普及事業における“農村”“農民”認識の変遷―公共圏からのまなざしに注目して―」『G-COEワーキングペーパー』、2012年。