火曜会通信(80)ー伊江島から運動のアーカイブを考える
岡本直美「伊江島から運動のアーカイブを考える」(2018.12.19報告)
今回の報告では、自身にとっての研究の場について考えてみたかった。それは、火曜会という場が自身にとってどのような空間であるかを考えるためでもあった。そして、わたしにとって研究の場を考えるということは、自身の研究自体を考えることにも接続している。
わたしから見える伊江島の運動は、複数の空間で、多様な人びとが交わるなかで現在の形で続いている。また、その運動の痕跡が阿波根昌鴻の遺した膨大な資料をはじめとしてアーカイブ化されていっているし、阿波根が創設した㈶わびあいの里では現館長が語り続けている。運動の世代交代が起こりつつあるなかで、人びとの関係性やその中にある感情は、アーカイブにどう組み込まれるのであろうか。
ディスカッションペーパー(以下、DP)の冒頭部分に、わたしはこう書いた。
―今でこそ、1950年代前半の「銃剣とブルドーザー」と呼ばれる時代の伊江島土地闘争について考えていて、そこから抜け出せないわたしであるが、元々は、闘争や軍用地、基地といった「ごつごつとした」ことはやりたくなかった。伊江島で阿波根昌鴻(あはごん・しょうこう:1901-2002)がつくった反戦平和資料館「ヌチドゥタカラの家」や、阿波根の反戦平和に込めた思いを、まずは基地問題に関わらない方法から知りたかったのだ。(DP p.1)
当日のコメントでFさんは、Fさん自身が「おろおろ」しながらも喜びがあるから続けられるような運動が、報告者には「ごつごつとした」ように見えるんですね、と呟かれた。ひとまずここでは、Fさんの「おろおろ」や喜びは、わたしが書いた「ごつごつ」とは少し違うと言っておきたい。
この「ごつごつとした」という語をDPに書いたわたしは、あくまでも運動がどのように記述されるのかということにこだわっていた。つまり、運動の場で「おろおろ」したり、喜びが見つかるような時間の流れが、研究として、歴史的/社会的/政治的事例として記述される際に、なぜか「ごつごつ」してしまう、ということについて考えてみたかったのだ。もう少しいえば、「おろおろ」や喜びがあるからこそ、継続するような運動を記述する方法を火曜会で議論してみたかった。
わたしは、学部の卒業論文で政治学的な観点から沖縄の基地問題について一応書いたものの、それからわたしは沖縄の「基地問題」に関する本や文字が読めなくなった。わたしが研究の作法を初めて教わったのは、政治学の専門家からだった。そのこともあって、わたしにとっての身近な研究関連の読み物の一つが、岩波が発刊する雑誌の『世界』だった。もちろん、世界の構造から考察することは重要なことである。しかし、ここに書かれている沖縄は、政治になじめないわたしにとっては、「ごつごつ」としていた。
博士課程に入学してから、阿波根昌鴻のことを知り、伊江島を訪れるようになった。そこで見たことや聞いたこと、感じたこと―わたしの中で反応する何か―があるにもかかわらず、それを研究として表現する方法の手がかりを見つけられないでいた。そこでわたしは、縁あって、少しずつ火曜会に参加させてもらうことになった。
わたしが参加し始めた時について、今回のコメントでMさんは、「なんだかこの人(報告者)は『世界』を参考資料として大量に持って来る人だなという印象でした」と仰った。そのコメントに思わず笑ってしまったけれど、今そのように笑うことのできる場に自身がいることに感謝した。
参加当初のわたしは、自身の感じる伊江島を表現する手掛かりを探していた。でもその方法を知らないから、(そういう研究の作法を知らないから)、とりあえず、研究の場で言葉として見なされるであろうこの雑誌の記事を火曜会の持ち込んだのであった。
話がそれるが、今回のDPで「すだ」(ハングルで「おしゃべり」という意味)[1]について少し書いた。「すだ」とは、例えば以下のようなものだ。
―しかしこの柚鎮さんとの「すだ」は、単なる日常的言語や慣習的行為ということではない。むしろ意識的に、自らの日常や身体性に引き付けて言葉を探し、語るということなのだ。だが他方でアカデミアの学知においては、知を語る者の感情や身体感覚は、直接的には見えてこない。むしろそうしたことが表出することは、禁じられているといってよい[2]。
火曜会ではこれについても多くの貴重なコメントがあったが、とりあえず、この「すだ」とは研究や知の行為と無関係ではない。DPの中で、わたしは自身にとっての「おしゃべり」は、「自分たちで自分たちの置かれた位置を確認する」ためのものであり、「言葉としてみなされない言葉(違和感やモヤモヤ感、また感情と捨象されるもの)を外部に通用する言葉としてつくり直すこと」であると書いた[3]。
この点に関わって、Sさんがコメントで、わたしが過去に火曜会でした報告や文書にも言及してくださった。特に嬉しかったのは、報告者が今回のDPで書いたような「おしゃべり」を研究としての議論と接続させようとする動機が、過去に報告した伊江島の「乞食」と「パンパン」の女性たちとの繋がりの可能性と関わるものであると捉えてくださった点である。これについては、改めてじっくり考えてみたいが、ひとまず感謝したいのは、今回のDPが、これまでの火曜会の議論と共に議論されたことだ。
つけ加えると、報告当日、複数の方々が欠席の旨をわざわざ知らせて下さった。この方々は、わたしがいつも「おしゃべり」する人たちだし、火曜会や別の授業で議論する人びとである。当日参加して議論できた方々と、これらの人びと、また火曜会で繋がった他の人びととの「おしゃべり」が重なって、「ごつごつとした」だけではない伊江島の運動を書きたいわたしが保てている。
さいごに、一つ一つの大切なコメントにまだ応答できないことを謝るとともに、長時間議論してくださったことに感謝いたします。
[1]冨山一郎・鄭柚鎮編著『軍事的暴力を問う 旅する痛み』青弓社、2018年。「すだ」については終章を参照されたい。
[2]冨山一郎・鄭柚鎮編著、前掲書、pp.263-264。
[3] DP p.13。