火曜会通信(82)ー困難な日常を生きることと書くということについて
困難な日常を生きることと書くということについて(2019年1月16日報告)
りえ
1月16日に報告した火曜会での議論を振り返り、改めて、応答の意味も込めながら、考えたことを書いてみたいと思います。今回の報告では、あるドキュメンタリー映像や、論文の中の事例に登場する、障がいのある本人や家族、そしてそこに関わる医療や福祉や教育に携わる者にとっての、「日常を生きる」ということをどう考えるか、ということについて報告しました。そして、火曜会での議論をとおして、さまざまな視点や問いを投げかけられたように思います。その場で考えを整理して答えることがなかなかうまくできなかったのですが、いただいたコメントの1つ1つについて、火曜会が終わった後も時間をかけて考えていました。
議論の中で、困難な日常を生きることと、それを文章に書くこととは、どう関わっているのだろうかという問いがありました。改めて考えてみると、困難な日常を生きる人々について文章を書くということと、自分もその日常を構成する者の一人として文章を書くということの両方があって、それが重なっているということがあったように思います。そのような中で書くというのは、それを書くことで新しい知見を得たり広めたりするという知のあり方とも異なって、書くことで/書きながら/書く作業のさなかに、振り返って「あの時のあの言葉(行動)はこういう意味があったのかな」「自分はあの時こうしたけれど、今考えれば、ちょっと違ったんじゃないかな」と気付いていくような内省的な知のあり方であるということ、そして、一人で抱えられている(かに見える)困難を、ある複数性の中に置く(「複数性の中に置く」というより初めからすでに複数性の中に存在していたことを浮かび上がらせる)ということがあるのではないかと思いました。実践とか臨床というものがそうであるのかもしれませんが、一つ一つの出来事はやはりその場で(その場に関わる者の間で)起きたことであり、書くということは、それを複数形へと開こうとする行為なのでは(それは、書くということ自身がもつ複数性や他者志向性にもよるから)と思いました。個人の抱える困難や課題とそれへの解決ということではなく(もちろん実践自体はいつもそれを目指しているにせよ)、個人が抱える困難を個人だけのものにしないような、そのような点も、なぜ書くのかということに関わっているように思いました。
また「生活場面の中で、難しい状況に直面したり確信のもてないまま手探りで関わったり、今できる中で最善の対応を考え関わろうとしても、うまくいかないことが続き、その原因が分からない・掴めないことも多い」と書いた文章に対して、「分からない、掴めない」ということをきちんと持っておくことが大切かもしれない、というコメントがありました。あるいは、1つ1つやりとりする中で相手を理解したり関わり方を発見したりしていくしかないのかな、これまでどうすれば良かったのかとずっと悩んできたし、今も悩んでいる、というコメントもありました。
「分からない」ということは、本人にとっても、また周りで関わる者にとっても、苦しいことではあるのですが、でも、そのことから始まるポジティヴな意味というのか、分からないということが、思考させ、格闘させ、関係を深めていく、その可能性というのも重要なことのように思いました。
また、報告の文章で私が取り上げた、医療に関わるいくつかの用語についてもコメントをもらい、そうした言葉のもつ意味についても考えました。
私自身は、日々の関わりの場で直接それらの言葉を使ったり意識したりするわけではないのですが、それらは常に自分自身の実践のいつも周囲にあるという感覚がありました。けれど、議論を受けて改めて、それらの言葉がどのような意味をもつのか、どのような状況で誰が誰に言うものとしてあるのかということや、その言葉では掴み切れない関係性についても、考える必要があるように思いました。そのことと関わって、事例の中に登場する子ども自身が発した、「どうして僕はここに来たの?」という問いの重さ、自分で振り返るという話も含めて「本人自身が変えうるという契機が入るべきでは」というコメントも、考えていきたい大切な問いであると思いました。
いただいたコメントも含めて、まだ書き切れなかったことはたくさんあるのですが、引き続き考えていきたいと思います。たくさんの問いを投げかけていただいた、議論の時間をありがとうございました。(2019年2月18日)