火曜会

火曜会は、言葉が帯びる身体性を押し隠すのではなく、それを多焦点的に押し広げることこそが研究行為ではないか考えています。また研究分野の境界は、分野の前提を再度議論する中で、連結器になるとも考えています。

火曜会通信(83)ー福島原発事故をかみ砕き呑みこむ

 

 

福島原発事故をかみ砕き呑みこむ

―食べる、話す、つくる、そうぞうする―

 

2019年1月30日報告

佐久川恵美

 

初めての火曜会での報告では、福島県田村市で約40年間椎茸を栽培してきた基子さんと幹一郎さんの語りや文章に注目しながら、福島原発事故が発生してからの暮らしについて考えました。報告からかなり時間を置いた今でも、火曜会という場で頂いたみなさんからのコメントや質問を咀嚼している最中で、あの場では呑みこめなかった言葉が少しずつ解れていく感覚がしています。また、呑み込めなかった言葉とは、あの時応答することができなかった言葉でもあります。今回の通信では、火曜会のあの瞬間あの場で、言葉にできなかった、言葉が出てこなかった感覚について考えてみようと思います。その連続線上に、多くの方から指摘された「編集」や「納得」があるように思うからです。

 

まずディスカッションペーパーを書いてみての手触りから記せば、自分で書いたものだけれど自分の文章とは言い切れない感覚が強くあります。ディスカッションペーパーには、基子さんと幹一郎さんが行ったことを書き留め、基子さんとの会話や幹一郎さんの文章を多く引用しました。引用の後には、ふたりの行為や言葉を通して考えたことを、如何に言葉にするか模索しながら記しました。この引用と模索の往復は、文章を通して二人と対話している感覚を生み出し、ディスカッションペーパーに記した文章は、ふたりとの対話において出てきた言葉たちだと思えるようになりました。ですので、基子さんや幹一郎さんがいない火曜会という場で、ふたりに関する物事をどのように語ればよいのかという戸惑いがありました。基子さんや幹一郎さんと共有した時間や言葉を自分の責任において、書くのではなく、如何に口にすればよいのか、その方法が分からなかったのです(口頭で議論する場数を踏んで慣れていけば方法が見つかるのか、それも分かりません)。

 

そのような戸惑いの一方で、福島原発事故をどのように言葉にするかという問いも常にありました。その問いとは、放射性物質量をベクレルで表し、被ばく線量をシーベルトで表す語りと重なりながらも、ベクレル数が高くて販売出来ないとわかっていても椎茸を育て、「年に1度は」と言いながら食べる行為をどのように考え記せばいいかという問いでした。放射能汚染によって販売できないと理屈では分かっていても納得できずにどうにかしようと行動する状況において、言葉は状況に追いつかず、行為や態度が言葉に先立っているように思いました。だからこそ、議論の場で指摘を受けた通り、線量が高いとわかっていても年に1,2回椎茸を食べる、出荷できないことに思いを馳せるというように行為や態度を記そうとしたのだと思います。何かを名付けるような理論や名詞で説明するのではなく、行為や会話が積み重なっていくプロセスを書くことで、「暮らしの中の何気ない行為を通して、福島原発事故によって生じる受け入れることのできない、受け入れたくない物事に、異なる意味を付与している(ディスカッションペーパーp.14)」様をつかみ取ろうとしたのだと、今になって思います。放射能汚染物質と名付けられた椎茸を食べることで、放射能汚染物質という意味付けをずらし、同時に、放射能汚染された事態が終わっていないことを確認するのです。

 

食べる、思いを馳せるといった何気ない行為を通して納得できない物事に異なる意味を付与する過程を、ディスカッションペーパーでは、編集する作業と言い換えましたが、その編集作業に私自身が関わっているという指摘についても、その通りかもしれません。私自身、福島原発事故が発生して数年は特に、原発事故に巻き込まれながらどのように暮らしていけばいいのか、これからどうしたらよいのか混乱していました。そのような混乱をなんとかしようとするための私にとっての編集作業が、基子さんと共有した時間を書き、幹一郎さんが記した文章を読み引用する過程だったのではないかと思います。行為や態度が言葉に先立っているように感じられる(混乱したあるいは危機的)状況において、ふたりとのやりとりをとりあえず書いてみることによって、とんでもないことがおこっていることを確認する場をつくろうとし、とんでもない状況を表現する言葉をつかみ取ろうとしたのでしょう。だからこそ、ディスカッションペーパーの文章が、自分で書いたものだけれど自分の文章とは言い切れず、ふたりとの対話において出てきた言葉だという感覚がするのだと思います。放射能汚染という現実の中でどのように暮らしていくかを宗像夫妻の傍らにいながら模索する試みの一つとして今回のディスカッションペーパーは位置づけられるかもしれません。

 

火曜会通信を書いたものの、何人もの方から頂いた豊かな問いや感想に未だ応答できずにいます。咀嚼する時間をもう少し頂き、またの機会にお返事できればと思います。ディスカッションペーパーを読んでいただいたこと、議論をしていただいたことに感謝します。