火曜会

火曜会は、言葉が帯びる身体性を押し隠すのではなく、それを多焦点的に押し広げることこそが研究行為ではないか考えています。また研究分野の境界は、分野の前提を再度議論する中で、連結器になるとも考えています。

火曜会通信(85)ー「非暴力の伝統」を書くために:花田清輝『もう一つの修羅』をめぐって

 

 

「非暴力の伝統」を書くために――花田清輝『もう一つの修羅』をめぐって――

(2019/07/03開催)

 

加藤大生

 

 

花田清輝という人物について、火曜会で発表させていただくにあたって、いろいろと迷いましたが、今回は『もう一つの修羅』という評論集について考えてみることにしました。花田における非暴力の問題系を考察するうえで、この評論集が一つの起点をなしているように感じたからです。そのような視座のもと『もう一つの修羅』を読むことが今回の試みでした。当日はさまざまな角度からご意見を賜ることができ、とても嬉しかったです。

花田のいう非暴力とはなにか(同時にまた、そこで暴力とはなにか)。ペーパーでは「もう一つの修羅」と「ものぐさ太郎」を特に取り上げ、そこに描かれた抵抗の戦術について考えました。しかし、花田のいう非暴力の具体的な内実やその意味合いについては、いまだ明瞭にできていません。非暴力という言葉を用いて、花田はなにを企図していたのか。「口舌の徒」のようなありようと「ゴロリと寝ころぶ精神」はどのような関係にあるのか。あるいはまた、非暴力的な積極行動、集団的な運動の次元は、そこにどのようなかたちで絡んでくるのか。「非暴力の伝統」を書こうとする花田の営為全体を刺し貫く問題意識について、これからも考えていく必要性を感じました。

怠けるのではなく働かない、という姿が称揚される「ものぐさ太郎」のありようには精神的な強さが求められる、というご意見も頂きました。「口舌の徒」も含めて、花田がここで描いたのは非常に強い主体だと思います。花田が描く形象には、一定、そのような傾向が看取されます。言い換えれば、一種の知識人論として、やや自閉的な面が否めないということです(花田の孤独さも話題にあがっていたかと思います)。花田が特権化する形象について考える際には、その問題が常に張り付いています。それは同時に、花田にとっての大衆というものの位置について考えることでもあると思います。口承文芸や伝説、フォークロアに対する花田の姿勢を見ることは、その意味で重要です。『醒睡笑』や『御伽草子』といったテクストに花田が着目することの意義についても、併せて考察することができるでしょう。

「ものぐさ太郎」に書き込まれた飢えの重要性についてもご指摘頂きました。飢えの恐怖をいかにして抱え込むか、あるいは、飢えが駆動する力をどのような仕方で捉えるのか。黒田喜夫の名前も挙げて頂きましたが、「ものぐさ太郎」について考えるうえで、極めて重要な論点だと感じました。ともすれば暴力的なものの基盤にもなり得るような飢餓の力動、どんな理屈をも超えていくそのムチャクチャな力に対して、どのように向き合うのか。花田の非暴力論は確かにその問題に踏み込んでいると思います。重要なのは、物理的暴力として現働化するのではない仕方でその力を把捉することであり、花田の非暴力論はそうした回路の立ち上げを企図していると考えられます。ゴロリと寝ころぶものぐさ太郎の精神が、サボタージュやストライキにおけるエネルギーの発動と接続されていることとも併せて、飢餓というポイントから「ものぐさ太郎」を読むことができるということに気がつきました。

プレテクストに積極的に介入していく花田の書きぶりもまた、重要な論点としてありました。花田の作品は夥しい史料の引用とそれに対する解釈によって構築されていますが、そのなかには、しばしば花田による完全な創作もまた、何食わぬ顔で滑り込んでいます。ウソが混じっているわけです。真偽不明の書きぶりをあえて採用するという戦略――それは「口舌の徒」のイメージとも結びつきます。書く行為において、そこで表現されたものと花田自身とがどのように関係しているのか。そのような、花田における書くことをめぐる実践の問題は、批評と同時に彼が小説を書き始めたこととも結びついているはずです。日本の歴史に材をとった小説作品の創作もまた、花田にとって、「非暴力の伝統」を考究する試みとしてありました。暴力に彩られた歴史から「非暴力の伝統」を救出するために、花田が採用した言語行為の戦略性について、より深く考察していく手がかりを得ることができたように思います。

『もう一つの修羅』という評論集それ自体の同時代性もまた、議論の俎上に載りました。直接的なかたちでは取り上げておらずとも、安保闘争など、花田が自身を取り巻く情況を常に意識しながら、こうしたエッセイを書き継いでいたことは確かです。鶴見俊輔などの言説とも突き合わせながら、花田の位置付けをさらに明確にしてみたいと思います。花田自身のキャリアのなかでも、記録芸術の会などの運動に携わりながら、多くの作家と論争を繰り広げるなど、このころは激動の時期としてありました。そのなかで、花田の言説がどのような水脈と呼応しあっているのか、確認しなければなりません。戦中における交友関係、影響関係をも視野に入れながら、そのことを見ていきたいと思います。

重要な論点をいくつも提示して頂いたのですが、どれに対しても、現時点ではあまりうまく答えることができませんでした。しかし、実際にみなさんと議論を交わすなかで、自身の持っている関心の在処が、より明瞭なかたちで知覚できるようになりました。同時に、花田が用いた言葉に対する向き合い方、あるいはそれを論じる際の議論の姿勢についてなど、改めて考えなければならないことが多くありました。課題は山積していますが、今後も花田の言葉とともに思考を続けていきたいと思います。