火曜会

火曜会は、言葉が帯びる身体性を押し隠すのではなく、それを多焦点的に押し広げることこそが研究行為ではないか考えています。また研究分野の境界は、分野の前提を再度議論する中で、連結器になるとも考えています。

火曜会通信(88)-「社会福祉(ウェルフェア)」から書く沖縄戦後・米軍統治の歴史

 

 

「社会福祉(ウェルフェア)」から書く沖縄戦後・米軍統治の歴史

(2019/7/24 開催)

 

増渕あさ子

 

今回の火曜会では、議論の冒頭に、事前に配布したディスカッション・ペーパーに付随して、以下3点を論点としてあげた。第一に、沖縄の公衆衛生看護婦制度や米軍統治下の医療福祉政策を、「達成されたこと」「完成されたこと」という観点から綴られることの多い既存の医学史や社会政策史の枠組み(のみ)で考えることへの違和感である。米軍統治期の沖縄では、医療保険制度を筆頭に、議論の俎上には何度もあがっても結局は成立に至らなかったり、日本本土と同一の法制度が表面的には導入されていても、実質は全く伴っていないような医療福祉政策・制度が数多くあった。それら政策・制度上の「失敗」「欠陥」とされたものを、個別の事象としてではなく、つなげて眺めてみることで、沖縄の「社会福祉」がどういうものとして存在しようとしていたのか、それを機能不全に陥らせていた米軍統治下の「社会」とは何なのか、福祉・幸福(ウェルフェア)を達成しようとする人々の営みと統治権力・軍事主義が、どう連関してしまったり、時には、ずれていったのかを考えたいというのが、このプロジェクトのねらいだった。第二に、多種多様な事柄を横断するように記されている『福祉新聞』を読む難しさに関連して、議論の場に集まった皆さん一人一人にとって「福祉」は、どういうものかをお聞きしたかった。第三に、このディスカッション・ペーパーには、今期の火曜会のいくつかのセッションで議論の中心となり、私自身が議論を通して考え続けてきた問題系が反映されている。一つは、〈生活〉をどういうものとして捉えて記録するのかという問いである。“The Personal is Political (個人的なことは政治的なこと)” という 1960年代以降のフェミニズムが掲げてきた(時を経ても色褪せない)スローガンを念頭に置きつつも、狭義の意味での「政治」の道具として使い捨てられてしまわないような方法で、どうやって個々人の生活・人生に刻み込まれた政治性・歴史性を読み解き、それを記していくことができるのか。もう一つは、そのような作業が、個人的な作業としてだけではなく、人と人をつなげていくような〈場〉の営みとしてあり続けるためには、どうすればいいだろうか、という問いである。

 

議論の場で、私の予想をはるかに超えてたくさんの、色彩豊かなコメント・質問をいただいた。まず強く感じたのは、「社会福祉」という概念・事態が、あの場にいた誰一人にとっても全くの他人事ではないということだった。猪俣さんや西川さんのように研究領域として重なっている方々もいれば、高橋さんや竹内さんのように、今まさに福祉の現場に立ちながら、あるいはそれと対峙しながら考え続けていらっしゃる方々もいた。特に印象的だったのは、高橋さんの「福祉は仮想敵」という言葉である。「ひきこもり」の「生への意志」が、「福祉的就労」などを通して「福祉」の名の元にかこわれていってしまう。一方で、沈正明さんが指摘してくださったのは、そのように国家権力の道具であると同時に、福祉は、「私の問題を社会がどうにかしろ」という、民衆の抵抗の産物でもあるという点である。おそらく私は、その両極の意味での「福祉」-一方では、統治の装置として対象を抱え込み、馴致しようとする「福祉」のあり方、もう一方では「より良い生命・生活 (well-being)を求める」個人の意志であり、それを何とか実現させようとする人々の営みとしての「福祉」−両者の織り重なりと、そして、より重要なこととして、「ずれ」を書いていきたいのだと思う。その意味で、松谷さんが『福祉新聞』の文体から読み取って下さった「(統治の言葉と)重なりつつ、ずれていく」というのは、とても大切なキーワードとして響いた。

 

番匠さんが提出して下さった「軍事(化)をどう定義するのか」という問いも非常に重要なものである。軍事主義 (militarism)を、身体の規律化や生・性への暴力的な介入・支配という意味で捉えれば、軍事化されていない近代国家・社会はないとも言える。沖縄における福祉と軍事の結びつきを、そのように戦前から戦後を結ぶ継続する軍事化〜近代的主体化の系譜に位置付けることが重要なのは言うまでもない。一方で、実際に目の前に軍事基地がある、戦闘機が上空を飛び交う、米兵が街を闊歩する、というような、極度に可視化された (hyper-visible)ミリタリズムが日常生活の視覚的・聴覚的(&味覚的・触覚的?)な風景の一部となっている事態をどう考えるかは、前者の議論とつなげながらも、少し別の問いの立て方が必要になってくるように感じている。

 

岡本さんの、「「臨床の言葉」は「台所の言葉」とつながるのか」という問いかけは、私にとって、とりわけ重要なものだった。看護婦と違い、駐在公衆衛生看護婦にとっての「現場」は多くの場合、医療施設ではなく、患者の家庭である。他人の家族の生活の場に、定期的に入り込んでいき、さらに佐久川さんが指摘してくださったように、患者の身体に触れ、触れられるというのは、一体どういう経験だったのか。もう一度、そこに立ち返って、公看の経験を考えてみたい。

 

他にもたくさんの方々から、その一つ一つについて、吟味して、打ち返したい(さらにラリーをしたい)ようなコメント・質問をいただいた。今後、私が書いていく文章を通して、応答させていただきたい。

 

火曜会の場で、私は色彩あざやかなコメントの数々に触発されたのか、自分の中で、まだ言葉になっていなかったり、忘れてしまっていた事柄がどんどん出てきて、溢れ出すように話してしまった。ディスカッション・ペーパーを書くのに、あれだけ時間がかかって、苦しい時間を過ごしたのに、今、この火曜会通信を、言葉が先走って追いつけないほどのスピードで書けてしまっているのは(支離滅裂な部分が多々あるのはご容赦ください…)、やはり、あの議論の場を通過したからだと思う。不特定多数に向けて書いているのではなく、あの場を共有したり、後になってコメントをくださったり、言葉を交わした、あの人やこの人に向けて伝えたい、という気持ちがとても強い。言葉を交わす純粋な楽しさを改めて教えてくれたあの〈場〉を一緒に作りあげて下さった全ての方に、心から感謝します。