火曜会通信(89)-報告のこと、特別編のこと、今期のことなど
報告のこと、特別編のこと、今期のことなど
西川和樹
遅ればせながら、初めにこの場を借りて、5月18日に火曜会の特別編として行われた『始まりの知』の書評会について書き残しておきます。この集まりについては、碑石のように密度の濃い文章が火曜会通信特別編として既に投稿されていて(「読む・書く・そしてノート・棗茶・炊き込みご飯」)、これを読むと、自分はそこにいながらも、ここに刻まれていることの多くを取り逃しながら、ぼんやりと座っていたのだな、というのが率直な実感としてありますが、それでも当日話し出された細かな内容からも、この会のために寄せ集められた文章からも、あるいは評者として招かれた二人の言葉との向き合い方からも、自分にとって大切な発見を見出すことできた集まりでした。
共同性、敵意を含み込む関係、対立線をどこに引き出すか、ということが論点の一つとして話し合われたことから、あるいはその場自体『始まりの知』という一冊の書物に引き寄せられて集結した人びとによって担われた場所であったことから、「場」というものをどのように作りだすか、ということが常に問われ続けていた会であったように記憶しています。今、改めて振り返るならば、ここには書物を片手に議論を交わす場が含まれるのはもちろんですが、他にも、事前の話し合い、当日の買い出し、議論のあとの宴の場、子どものいる空間、調理室(火力の強さに助けられました)、会場のあと始末など、「場」という言葉によって指し示されるべき、いくつものそれがあったように思います。
それがどんなにささやかな集まりであれ、一つの「場」を成り立たせるためには、準備や作業や仕事と呼ばれる時間を持つことが必要で、これを敢えて陰の労働と呼ぶならば、このような陰の労働が、特定の誰かに偏ってしまうという問題をどのように考えれば良いでしょうか。「場」はみんなでつくるものだ、という共通の了解がありつつも、それぞれの自発性や余裕を担保にして協力が求められる際には、応じられる人とそうでない人がいて、今回の場合、応じられる人が少数であったが故に、いつしかこれらの人びとが担当者とされて、そうであるが故にますます陰の労働が偏ってしまう、という構図があったように思います。このような構図があるにもかかわらず(率直に言えば、むしろそうであるが故に)、忙しさや煩雑さを理由にして、それぞれの場にほとんど関わることができなかった自分を、美しい白身魚の身に取り去られ忘れた透明な小骨として置いておきます。労働を通して関係性が編み直され、それが集団の動力源にもなることを考えれば、陰の労働が偏在すること自体を一概に否定することはできないにしても、今回、大なり小なり、いくつもの不本意のあったことが察せられるし、会場の後始末に急き立てられるなかで、ごみ出しの仕方に不備があったことはここに書き残しておかねばなりません。
「ところで一昨日の場は、「へんなことを言っちゃいけない」という雰囲気がなかったわけではないようにわたしには思われました」という言葉が、火曜会通信特別編のなかにありました。「何故ああいう雰囲気になったのかについては、少し考えてみたいところです」とも。これについては、まだ言葉になっていないことが山積みになっているように思いますが、そのなかの小さなひと山に、この際、陰の労働の問題を見出すことはできないでしょうか。陰の労働者は、自分の労働に手が一杯のとき、他にどのような問題について議論できるのか、という問題がいつもあるように感じています。その一方で、議論の場で自身の労働について語りだせば、それは「へんなこと」とみなされる雰囲気が往々にしてあります。こうして行き場を無くした幾ばくの言葉が、陰口や独り言のなかに安住の地を見い出すことは止めようがないにしても、そうすることをせず、これらの言葉と、「場」をつなぐ回路を、どのようにつくりだすか、ということが問われているように思います。
ここまで記したことがあるいは集団性についての留意点だとすれば、それとは別のところで、この集まりでは、当然のこと、自身の研究に通じるような、より個人的とも言える諸々の発見を受け止めています。この火曜会通信を、先の集まりについて記すことで書き起こしたのは、それが、今回の自分の火曜会の報告にとっても重要な意味を持つからです。とりわけ印象深かったのは、評者として来られた二人、そして『始まりの知』の筆者の三人のあいだ柄——決して、頻繁に会うわけではないけれど、どこかでお互いの存在を近しく感じていて、言葉を送り合っている関係——が垣間見えたことです。
今回の火曜会の報告(6月5日)では、「栄養士、そして料理家の戦争」として花森安治、近藤とし子、沢崎梅子という三人の人物を取り上げ、決して直接的な関係があるとは言えないこれらの人びとについて、それぞれの活動を長々しく書き連ねたのも、同時代の雰囲気を共有するなかで、お互いの息遣いを感じつつも、それぞれの持ち場で筋を通そうとした彼ら彼女らの活動の、重なる部分とそうでない部分を描出することで、これらの人びとが何に拘っていたのか、少しでも明らかにしようと考えたからです。『始まりの知』を語るために集結した人びとが、新しい言葉を紡ぎだすことによって、この時代を何とかせねばならない、という思いに駆られていたのだとするならば、今回のディスカッション・ペーパーで取り上げた、花森、近藤、沢崎は、編集者、栄養士、料理家と別々の呼称を持ちながらも、「生活」という領域を立て直すことによって、自身の生きる時代を何とかせねばならない、と考えていた人たちなのでした。
今回の議論を通して、いつにも増して、深い、深いところまで行けたように感じています。自由学園のこと、花森の妖しさ、雉肉を食べたのか、農村の共同炊事に料理はない、「お」料理について、料理が科学に収れんしきれないこと、著作権をもたないレシピ、『食道楽』のこと、軍隊と栄養士、地域婦人会のなかの料理、割ぽう着のおしゃれ、身体改造学、栄養学が排除してきたもの、などなど、ここには断片的にしか記せない数々の応答を、これからの考察の導き手として受け取りました。
議論の場に居合わせることがなくても、あるいは直接お会いすることはなくても、メーリングリストを通じて、既知の人、未知の人が、どこか別の時に、別の文脈で、このペーパーを読んでいるのかもしれない、ということに、遅ればせながら思い至っています。火曜会に時折やってきて議論に参加する方々が、「言葉を置く」ためにやってくる旅人のような存在だとするならば、今回の文章は、そうして周囲に控えている人びとの存在を感じつつ、外へ向かって言葉を投げつけることをイメージして書いた文章でもありました。また、今期の終わりの方になって、栄養や料理という視座から生活という場を問うてきた自分のこの数年間の研究が、思わぬ宛先に配達され、その結果、戦時期における監獄施設の栄養状態を問うという、また一つの研究の端緒を開いたということも分かりました(そう述べた当人は失念しているかもしれませんが)。
こうしたことは、火曜会から発せられる言葉が、様々な水準で幾重にも広がっていくことを表わす証左として、丁寧に抱え込みたい出来事の一つでもあるのですが、自分の研究自体、これまでこの会で交わされた累々の言葉によって開かれたものであるとするならば、むしろ考えるべきなのは、ある研究が別の研究に与える単線的な影響力というものではなく、既にそれ自体複数の中から生み出された研究が、やがてもう一つの複数を作りだすという、この状況であり、その複数性の土台として確保される、その場所なのです。物事を動詞的に捉えることの大切さはいつも言われていて、変わり得ないと思われる秩序を前にして、それでも状況を動かしていくことの可能性が言われています。あるいは、火曜会という場を一つの流動系として描き出し、流れ着くものたちの姿勢や言葉を原動力として、いくつもの別の流れを生み出していくことの契機が探られる。そうした流動系としての姿を念頭に置きつつも、今期、諸々の出来事を経過したいま、それが会としてあることの重さ、それも複数名詞として、絶えることなく、そこに、あり続けることの大事に、改めて思いを馳せたい心持ちになっています。
名詞として、その姿をつかみ取ろうとすると、手ざわりはいつも滑らかなわけではなく、ごつごつ、ざらざらとした触感にはっとさせられ、存外の冷気や熱気に戸惑いを覚えることも珍しくなく、いつしかそうした手ざわりは、言葉の調子を決定づけるアクセントのように議論のなかに紛れ込むようになる。ここには、人と人との相性も、陰の労働も、通り過ぎていった人々も、かつて発せられた言葉の亡霊も、すべてがすべて含まれていて、そうした場において、まるで終わりのない対局に生涯を賭ける棋士のように、あるいは、週末になると飽きることなく馬場を駆け出す騎手のように、言葉を生業とするものは、来る日も来る日も顔を合わせて言葉を交わすのだとするならば、そうした営みが繰り返されるなかで、時に、言葉が淀み、流れが停滞し、その果てに倦むような言葉の応酬が行われる、そうしたことがないではありません。凝り固まってしまった状況、役割、関係性を打開しようとして、思わず立ち上がってしまう瞬間が訪れるとしても、この会を、不可算の抽象名詞とするのではなくて、具体的複数名詞としての姿にとどめるために、口舌の徒でしかありえない人びとは、そこで何を語りだすのだろうか、今はまだ分からない幾つもの問いを抱えながら、秋の再会/再開を楽しみにしています。