火曜会

火曜会は、言葉が帯びる身体性を押し隠すのではなく、それを多焦点的に押し広げることこそが研究行為ではないか考えています。また研究分野の境界は、分野の前提を再度議論する中で、連結器になるとも考えています。

火曜会通信(94)-「オフ・リミッツ」から考える那覇の占領・戦後

 

 

「オフ・リミッツ」から考える那覇の占領・戦後

(2020年1月15日 報告:増渕・謝花)

 

謝花直美

 

今回、増渕あさ子さんとの共同報告を行ったのは、昨年7月に火曜会で報告した「那覇市出身者の生存―沖縄戦前後の飢餓、病、死」を聞いてもらい、沖縄でお互いの研究について話したことがきっかけとなった。私は、沖縄戦から米軍占領の時代を生きた人々を、戦争や占領という時代で区分せずに、「生存」という言葉を手掛かりに描いていきたいと考えていた。しかし、米軍や住民機構側の資料からは見えづらい人々の姿をいかにとらえるかに課題を感じていた。また、分厚いオーラルヒストリーの記録がある沖縄戦でも、住民が巻き込まれた戦闘の記述は多いが、生存に関わる食や住居に関する記述は多くはない。そのため、戦前戦後の食料配給、占領期の軍労働、収容地区からの帰還など、個々の事象のからみあいの中から、人々の姿をとらえようと試みてきた。占領を公衆衛生の領域から考える増渕さんとの会話で、それまでとは違った沖縄の占領地図がおぼろげに立ち上がる感覚があり、あらためて言葉を重ねてみたいと思ったのが今回の報告だ。報告では、増渕さんが米軍における衛生管理の変遷、私が旧那覇市の空間編成におおいてどのように現れたのかを考察した。

次にそれぞれの報告についてまとめたい。

増渕さんの報告は「米軍と衛生-米軍統治下沖縄における公衆衛生政策」。まず米国の軍事主義的帝国拡張において公衆衛生が、駐留地の住民を「浄化」し、米兵の「白人男性性」の維持を果たす役割をしていたという。沖縄の米軍政においても、衛生を通した境界管理が、沖縄の人々と米兵、双方の規律化にとって必要だったいう。占領直後に公衆衛生組織が立ち上げられたことは、食料配給と並び、沖縄の「自治」や「地域(社会)」が、衛生や食の管理という生存を根源的に支える領域で始まり、必然的に米軍への積極的、自主的協力が要請されたのではないかと指摘した。しかし、住民に関する環境衛生の改善は、米兵と軍属の健康保持に支障をきたす場合に取り組まれる限定的なものだった。朝鮮戦争勃発後、沖縄駐留米兵に性病が蔓延した結果、保健所設置の促進や、公衆衛生看護婦制度の確立などに現れたという。1950年には米国民政府が設置され、FEC指令では沖縄の福祉向上の責任が明確化された。それは「戦前の生活水準の回復」が目標であり、それ以上は住民の努力によるとされた。住民の家屋建築など建造物を、米軍用地から1マイル(1.6㎞)離す「1マイル規制」の背景には、米軍との関係性・距離によって医療福祉・衛生政策の優先度を決定するという基本的態度があったという。植民地医療が被植民者を管理し安定した労働力の創出を目標としたとすれば、米軍統治下における衛生管理は米軍施設から住民を「遠ざける」ことを目指していたのではないかという。

私は「占領下那覇の空間開放―公衆衛生、オフ・リミッツ」のタイトルで報告した。1950年代に沖縄の経済復興が目指される中で、「1マイル規制」が撤廃された。同時期に米兵の住民地域の立ち入りを禁止した「オフ・リミッツ」も撤廃された。住民と米兵の空間が重なることで、新たな公衆衛生対策が必要となり実施されたものの一つが美化運動だった。住民地域から不衛生な状態を取り除く試みは、環境の浄化にとどまらず、沖縄の人々の振る舞いを改めることを要請した。変化は、人々が拡大する米兵との交流のため「国際性」を身につけ、沖縄戦の遺物を「汚れ」を取り除くという決意に現れた。同時期、米軍への「協力」は、多様な言葉で表現され、強化され始めた「米琉親善」事業ともつながっていったといえる。

増渕さんの報告で、諮詢会の主業務だった食料配給と衛生管理から住民が「自治」を求めていくという指摘は、「自治」を狭い政治の場から語るのではなく、選択の幅のない生存から語るというという視座を提示していると思う。また、これまで考察が十分とはいえない朝鮮戦争と沖縄の関わりでは、沖縄が兵たんや後方の役割を果たしたことを考えると、公衆衛生の視点からとらえなおすことの重要性に気付かされた。

増渕さんからは、「1マイル規制」など衛生を根拠にしてはいるが、方便でしかなくなっており、本当に規制したいものは何だったのか、それは沖縄の人々を基地に近づかせなことではないかという指摘があった。冨山さんからも同様な指摘があり、衛生や居住制限などによってつくられる境界が物理的な隔てだけではなく、込められた意図をより詳細に分析する必要があると思い、今後の課題にしたい。

「衛生がいろんなところに地滑りしていく。他の言葉『健康』『美化』に変わっていく」「『ミリタライズド・ウェルフェア』は、統治に有効であり、住民が一部を取り入れる一方で、方向性がずれたところで、どうとらえたか」(西川さん)、「米国が主導する国際化と人々がいう時にずれている。政治的な他地域、独立、信託、復帰…、政治的な場面でどう使っているのか」(森さん)という指摘からは、言葉が示す意味が大きくずれていることに改めて気付かされた。地滑りの経過、さらにずれた先で言葉がすくいとる意味に、米軍占領によって何が排除され、人々がどうとらえなおしたのかという痕跡が表れているのであり、今後あらためて考えていきたい。それを考察することが、「見えない形の暴力と美化運動のつながり。暴力としてどのような暴力だったのかの説明が必要」(ニコラスさん)の問いへの回答することになると考える。

また、「(戦争や占領による)身体の過密ゆえにつくりだされた不衛生、それに差別も内包されていることへの違和感」(山本さん)という問い掛けは、「不衛生」と「差別」と括りつけられることで、「浄化」されるべき人々の対象化がなされたことの現れであろう。しかし、復興のために土地利用が課題になり、米兵と沖縄の人々からあらかじめ設定した境界によって隔てることが難しくなった結果、「浄化」すべき人々の振る舞いを変更をせまる方向、「琉米親善」の強化として現れたのではないだろうか。「美化と経済活動は別というが、どのようにからまっているのか」(沈さん)の質問には、オフ・リミッツを課されないための規律化していく美化運動と、経済活動の関連性をより詳細に関連づける必要性を感じている。

美化運動が戦争の「汚れを取り除く」という知事の発言について、「アメリカの存在が、殺した存在から、統治者へと変化していく。敵が消えていく」(冨山さん)との指摘があった。沖縄の人々の中で、日本帝国の衛生施策と占領による米軍の衛生施策が接合しているのか、いないのかとの指摘もあった。今後、帝国の衛生が米軍占領を生きる人々の身体にいかに取り込まれていたのかを検討したい。