火曜会

火曜会は、言葉が帯びる身体性を押し隠すのではなく、それを多焦点的に押し広げることこそが研究行為ではないか考えています。また研究分野の境界は、分野の前提を再度議論する中で、連結器になるとも考えています。

火曜会(第36期)の予定

 火曜会(第36期)は既に終わりました。

               火曜会(第36期)
              同志社大学志高館SK214
                 15時より
                               2021年10月6日
                                   冨山一郎

Ⅰこの二年
 この二年間、自分の生を宣言やら禁止やらのかけ声にゆだねてしまっている気持ち悪さを感じてきました。また解説するどの専門家を信用するのかということにおいても、同じ感触があります。どんなに信用できそうな専門家の意見であったとしても、やはり自分の生なのに、あるいは自分と関係のある、あるだろう人々の生なのに、それをゆだねてしまっているという思いは残ります。
 この感触は、身に覚えがあります。放射線量、放射性物質ということめぐってです。あの時、国の言い分に自分の生をゆだねることはできないと固く決意した思いは、何人かの信用できる科学者の言い分に向かいました。私が学生の時、京都大学の熊取原子炉が放射性物質を垂れ流したことに対する糾弾闘争がおきました。その際、集会や講演で呼んだ人たちです。それでも、ゆだねているという感触は変わりません。それは学生の時も同じでした。
 しかし2011年の3月11日、あるいは12日以降、様々な場所で小さな勉強会がうまれ、また自らに日常で放射線量を測定する活動もはじまりました。テレビから流れる国や東電や専門家の言葉ではなく、自分たちの生をどのような言葉にゆだねるのかをめぐって、人々は動き始めたと思います。私もいくつかの場所に参加し、また討論会や映画の上映会などを大学やカフェやイタリア料理店などといった場所で行いました。目に見えない恐怖を何とか自分たちの生とのかかわりで把握しようと、もがいていたように思います。正解は見つかりませんが、解説を聞くよりはもがいている方が生の実感はありました。
 この二年の間に膨らんだ感触を手放さないでおこうと思っています。国の言い分はどうしようもないのですが、信用できる専門家を探すより自分あるいは自分たちで考えようと思っています。時間はかかります。またそのためにはやはり、場所が必要なのだとも考えています。

Ⅱ進め方について
(1)火曜会の構造
 火曜会の場は、三重の構造になっています。まずメーリングリストにおいて表現される場ですが、これ火曜会で議論をした経験を持つ人々において構成されています。人数は100名を超え、また東アジアや北米だけではなく、ヨーロッパ、北欧、北アフリカにまでひろがっています。こうした広がりの中で、定期的な火曜会が開かれています。またそうであるがゆえに、時々、「「言葉を置く」ためにやってくる旅人のような存在」(西川さんの「火曜会通信」89号http://doshisha-aor.net/place/619/)として、登場する人々がいるのです。この人たちも含めて三重構造(間の旅人は構造というより流動系ですが)になっている。
また火曜会は「アジア比較社会論」「現代アジア特殊研究」でもありますが、さらに対外的に使える形式として次の三つがあります。一つは、火曜会を同志社大学<奄美―沖縄―琉球>研究センターによる「定例研究会」の通称としても使えるようにしています。また今期でしたら定例研究会(第35期)としたいと思います。定例研究会、通称「火曜会」です。
つぎは、後でふれる「火曜会通信」についてです。この通信はウェブペーパーとしての「研究会報告」としても使えるようにしたいと思います。定例研究会報告「火曜会通信」。
もちろんこのような名称を用いるかどうかは、自由です。基本的には「火曜会」は「火曜会」なのであり、カリキュラム上の科目でもなく、「定例研究会」でもありません。ただ擬態を用意しておこうという訳です。
最後に「ディスカッション・ペーパー」(これについてもあとでふれます)ですが、この間、ディスカッション・ペーパーが学術雑誌などになる、あるいは学術雑誌に向けてのペーパーがディスカッション・ペーパーとして出されるということがありました。既存のメディアに掲載された場合には、火曜会で議論したことをどこかで明示してください。またディスカッション・ペーパーの先に、後述する雑誌『MFE』を考えています。
(2)すすめ方
事前に文章を読んできた後、一人ひとり順に注釈やコメントを話すようにしています。このやり方において見えてきたのは、言葉が堆積していく面白さです。しかもその言葉たちが、順に回すという力によってなされているので、しばしば「無理にでも」話そうとするという性格を帯びるため、ある種の受動性が能動性に転化していくような出発点を一人一人の言葉が担っているような感触もあります。すべての参加者の「私」が出発点になっているのです。こんな言葉が、私たちの前の空間に次から次へと降り積もっていくのが、面白いのです。あたかも一人ひとりが参加してノミをふるい、批評し合いながら一つの彫刻を作り上げていくような感覚です。火曜会ではディスカッション・ペーパーを前にした平等を前提に、一人ひとりが報告者であり、彫刻者です。
 ただ問題もあります。次の展開、すなわち一人ひとりが一通りコメントし終わった後の全体として議論を進めるのに時間がかかるという問題です。堆積は、とりあえずはメモすることはできますが、それを一筋の議論、線形性を帯びた議論にするのはかなり時間が必要です。堆積はメモとして眺めることはできますが、議論は別物です。ただ第一の問題は時間がかかるということであり、議論が困難だということではありません。辛抱強く時間をかければいいのです。火曜会が原則終わりの時間をきめていないのもそのためです。ですがおなかがへり、喉が渇く。体力が持たない。これはどうしようもない。
 この時間にかかわって二点提起します。
ひとつは一人ずつのコメントについて以前から「パス」ということを気軽にいおうということが提起されています。これは続けたいと思います。また最初の注釈やコメントを、最初の「読む時間」において各自できうる限り考えを準備しておくように心がけるというのもいいかもしれません。
いま一つは、コメントの後の議論のすすめ方です。雪だるま式に積もっていくコメントを議論にするのは大変です。またあせってすすめると多くの場合論点が見失われることがおきます。これをできるだけ防ぐのは一つには司会の役割ですが、司会だけではなく参加者が目の前に堆積したコメント集合を丁寧に彫刻していくことが重要です。

(3)ディスカッション・ペーパーの配布について
ディスカッション・ペーパーは事前に配布します。前の週の土曜日までにMLで配布してください。また上に述べた火曜会の構造にもかかわりますが、配布をMLでおこなうことは、かなり大人数に文書をくばることになります。これにかんして「誰が読んでいるのかわからない」「勝手に引用されたら」といった危惧があるかもしれません。ただ他方で、「議論の場に居合わせることがなくても、あるいは直接お会いすることはなくても、メーリングリストを通じて、既知の人、未知の人が、どこか別の時に、別の文脈で、このペーパーを読んでいるのかもしれない」(前述の西川さんの「火曜会通信」)というのは火曜会の広がりでもあり、またこのひろがりにおいて、先に述べた「「言葉を置く」ためにやってくる旅人のような存在」が確保されているともいえます。まずはペーパーの無断引用厳禁ということを再確認しておきたいと思います。
(4)精読会
 11年前に火曜会の中で「精読会」というのを提起したことがあります。その時の文章を火曜会のHPにアップしています(「火曜会の中に精読会の増築を提起する」http://doshisha-aor.net/place/173/)。よければぜひ読んでください。内容は要するに本読みですが、火曜会の中でそれをやることの意義を考えました。前期から意識的に復活させましたが、今期もこの精読会を続けたいと思います。
(5)司会についてなど
 第34期から司会を回り持ちにしています。今期も報告者が事前に司会者を指定することにしたいと思います。司会をどのようにやるか、たとえば積極的にコーディネイトするかどうかは、司会者におまかせします。そのうえで司会については、上記の(2)の最後で述べたように、コメントから議論へという展開をどうするのかということにおいて、少し意識的に考えてほしいと思います。またそのためには司会になった人は、全体のコメントに注意を向ける必要があります。

Ⅲ『火曜会通信』
 火曜会にかかわる様々な文書は、http://doshisha-aor.net/place/644/に収められています。火曜会が初めての人はぜひアクセスしてみてください。これまで火曜会で何をしてきたのかということがわかります。また『火曜会通信』というものがあり、それは火曜会での毎回の議論をふまえた『通信』です。しばしば『通信』を楽しみにしているという声が届きます。それは上記の火曜会の構造の第一の層にもかかわるでしょう。
 前回の火曜会で、この『通信』をもっと充実させようと提案しました。すなわちディスカッション・ペーパーへのコメントを、文章でも行えるようにして、それを『通信』にするということです。ですが結果的には、『通信』自体を前期一度も出せませんでした。今期どうすればいいか、少し議論しましょう。

Ⅳ金曜日
雑誌『民話』を読む(金曜2限 10時45分より SK214)
別紙参照
謝花直美『戦後沖縄と復興の「異音」』を読む(金曜3限 13時10分より SK214)
別紙参照

Ⅴ雑誌『MFE』について
 ようやく動き出した雑誌『多焦点拡張 MFE』です。合評会が10月23日に予定されています。また原稿も募集中です。第二号は2月刊行です。ぜひ!

趣意書

http://doshisha-aor.net/place/652/

次号原稿募集について

http://doshisha-aor.net/mfe/708/

合評会告知

http://doshisha-aor.net/mfe/706/

創刊号

http://doshisha-aor.net/mfe/700/

準備号

http://doshisha-aor.net/mfe/680/

Ⅵその他
今の状況下で大学施設を使う以上、もうしばらくの間冨山は、管理者として動かざるを得ません。また大学への説明も、しばらくの間必要になります。もし、大学入構の際、その目的を尋ねられたら、私に会いに来るということ、そして私と既に連絡をっていると応答してください。あとSAをM2の人にお願いしています。山口沙妃さん、フロロワ・アナスターシア(ターシャ)さん、孫宏傑さんです。ただ報告の準備等は原則として報告者自身が行ってください。新しい人はメーリングリストに入っていただきます。冨山にご連絡ください。
 最後に、火曜会メンバーの森亜紀子さんからの連絡です。小豆島に移り住み、域学連携という仕事をするとのことです。合宿所もあり。春には来てもらって大丈夫とのことでした。火曜会メンバーでぜひとのことです。また考えましょう。

Ⅶ予定
 表題は仮です。ディスカッション・ペーパー配布時に報告者から再度アナウンスを行ってください。

10/13 国際会議出席のため休みます(オンラインですが)。
10/20 中間報告会のため休みます

10/27      報告者 山本真知子
             移動と運動
         ー鶴見良行の経験を参照軸としてー

11/3       報告者 木谷彰宏
      作文から見る「基地の街」・コザの情景

11/10       報告者 山口沙妃
           透明な雄琴の考察 
        -性産業との「あいだ」からー

11/17  報告者 内藤あゆき
       林芙美子と戦場における動物

11/24       案内人 張夢霄
       崎山多美『うんじゅが、ナサキ』を読む

12/1       報告者 安岡健一
        私の歴史と地域の歴史

12/8       報告者 金大勲
        ハルモニの遺したもの

12/15       報告者 姚一鳴
           言葉への復讐
        ―魯迅の文学復興と悪趣味―

12/22       報告者 桐山節子
       嘉手納基地爆音訴訟と区事務所

1/12       報告者 李啓三
         流民をめぐって
       ―石牟礼道子と森崎和江―

1/19        報告者 増渕あさこ
      島マスの活動から考える沖縄の福祉

最終日の来年1月19日に、打ち上げパーティーを!