火曜会

火曜会は、言葉が帯びる身体性を押し隠すのではなく、それを多焦点的に押し広げることこそが研究行為ではないか考えています。また研究分野の境界は、分野の前提を再度議論する中で、連結器になるとも考えています。

火曜会通信(97)ー沖縄で生まれ育った私を曝す試みについて

火曜会通信(97)

「沖縄で生まれ育った私を曝す試みについて」(2023年1月18日)
佐久川恵美

今回秘めていた目的の一つは、書き手と読み手の両者が「居心地悪さ」を感じるディスカッションペーパー書くことだった。ディスカッションペーパーで引用した李静和の文章を改めて記したい。

分からないこと。分かってはならないこと。消費するのではなく受容しなければならないこと。それは語る私に、聞く我々に、居心地悪さを残す。外部からはどう解釈してもいい。だが、いったん枠に入った瞬間からは、解釈することを拒否しなくてはならない。(略)
一番気をつけなくてはならないのは特殊化してしまうこと。語られる事柄、あるいは語るという行為を特殊化しないようにしたい。語ったあと、聞いたあと、どう生きるかという問いを忘れないために。(李静和1998『つぶやきの政治思想 求められるまなざし・かなしみへの、そして秘められたものへの』青土社)

ディスカッションペーパーや火曜会での報告を通して、たとえ学問的でないとみなされたとしても、さまざまな人に「居心地悪さ」を残しながら「語ったあと、聞いたあと、どう生きるかという問い」を確保しようとした。私や他のだれかが、安心できたり、居心地がよかったり、他者の(批判的)まなざしに曝されることのない安全な場としてディスカッションペーパーを位置付けるつもりはなかった。あえて「沖縄で生まれ育った私」と名乗ることで自分を曝し、自分の存在や自分が感じてきた痛みを語れる場をつくろうとする第一歩だった。
このような文章を読んだことで、居心地悪く感じる人、戸惑う人、痛みを感じる人、不愉快に思う人、結局何が言いたいのか疑問に思う人、何を言えばいいのか分からない人、思わず自分のことを考えてしまう人がいただろう。また、勇気づけられたと言ってくれた人や痛みのなかに希望を見出せると言ってくれた人もいた。
石原真衣が『〈沈黙〉の自伝的民族史(オートエスノグラフィー)』を通して、自らの痛みからアイヌの歴史や社会状況を問うてきたように、今回の私の拙い試みは、ある意味では議論の場や学知への問題提起でもあった。決して、個人的アイデンティティを主張するためではなかった。
今後も、今回のように「居心地悪さ」を極端に目指した文章を書くかどうかは分からないし、書きなぐるように記した物事を論文として形にするためには試行錯誤しないといけないことばかりだ。それでも、痛みを無かったことにせず、自分を歴史化することで複数の人々につながる可能性(すわなち「私の、そしてあなたの生に重なる言葉」)を模索する試みは始まったばかりだ。
最後に、貴重な時間と労力を割いて、このような試みに付き合ってくださった皆さんに心から感謝したい。