火曜会

火曜会は、言葉が帯びる身体性を押し隠すのではなく、それを多焦点的に押し広げることこそが研究行為ではないか考えています。また研究分野の境界は、分野の前提を再度議論する中で、連結器になるとも考えています。

火曜会(第37期)の予定

 火曜会(第37期)は終了しました。 

              火曜会第37期
               (2022年春)
  
                              2022年4月20日
                                 冨山一郎

Ⅰ場に身をおくということ
 いつも火曜会の最初の日には、火曜会という場が何かを考えることにしている。とりわけ、この3年あまり、集まるということが困難になり、その代替としてオンラインということが急激に広がったことがある。火曜会に限ることではないが、あらためて「場に身をおく」とはどういうことなのかを、考えておきたいと思う。火曜会の私にとっての系譜のようなことがある。もちろん場の系譜は個人に占有されるものではなく、様々な系譜が広がっているのだが、少なくとも私にとっての系譜は、三つぐらいあるように思う。
まず一つには、自分の学生、院生時代における自主講座運動がある。「災害研」、「漁災研」、「合成洗剤勉強会」、「農薬ゼミ」、「有機農業研究会」、「芦生ゼミ」などの自主的な研究グループとその連絡機構として自主講座実行委員会を創設したことがある。このあたりの事情は、『始まりの知』に補論として所収した「接続せよ! 研究機械」の文章で述べていることで、その最初の文章は、火曜会のHP(http://doshisha-aor.net/place/167/)にある。ここで書きだすと、とてつもなく長くなりそうなので、よければそれをぜひ読んでください。
いま一つは1990年代に私が出会い、積極的に参加し運営したカルチュラル・スタディーズとよばれている潮流だ。その中でも重要なのは、そのアジアで起きたこの潮流だ。それは単なる研究分野ではない。イギリスにおけるスチュワート・ホールらの研究グループがまずあり、1993年ハワイの東西センターで「Internationalizing Cultural Studies」という国際会議が開かれ、その後、各地で同様の会議や研究団体が形成されていくが、今述べたアジアにおいては、Inter-Asia Cultural Studies Conferenceという形で、台北、東京、ソウル、上海などで会議やコンファレンスが開かれ、その合間には頻繁に研究会が行なわれるようになった。こうした研究活動には、研究テーマだけではなく、新しい研究組織を自覚的に検討するという目的意識が一貫して存在しており、そこではネットワーク型の研究組織が追及されていた。現在それがうまくいっているかといえば必ずしもそうではなく、とりわけイギリスと米国からはじまった前二者は、既存の学問枠に帰着しているように思う。
しかし潮流の成否など問題ではない。重要なのはこうしたネットワーク型研究組織は、それぞれの当該社会の社会運動における文化表現の形式とも深く関連しているということだ。とりわけ、東アジアにおけるカルチュラル・スタディーズの浸透・拡大は、80年代をへて90年代に一気に登場した社会運動が、国家の境界を超えた文化表現を獲得していくプロセスでもあった。それは民主化というひとことではくくれない動きであり、統一の運動方針や既存の政治団体の綱領にかわり、文化表現がある種のゆるやかな運動の連帯をつくりあげていく動きが、そこにはある。がんらい民主主義とは、共通の制度や普遍的理念の問題ではなく、まずは自律の問題だ。あるいはそれは自分の怒りを、あるいは夢を、どのようなことが語るのかということだ。「自」が縁どられなければならないのである。そしてこうした自律的な動きと「自」を閉塞させることなく外に開くこと、この重層的な動きの中で言葉や表現が問われたのである。
鶴見俊輔が、戦後日本の学知のありかたで新しい「つつみこみ学風」というものが登場したと指摘したことがある(鶴見「サークルと学問」)。そこでは、閉鎖的な学知の制度そして大学が、戦争という状況に置いていちど崩壊したということを前向きにとらえようとしている。侵略戦争と密接にかかわっていた学知は間違いなく一度崩壊する必要があったのだ。つまり戦争という時代経験を共通の通奏低音とすることにより、学知を新しく作り変えようとしたのが、「つつみこみ学風」なのだ。そこにはやはり閉じない自律性を担う知がめざされていたのだろう。それがないところでは戦後はありえないと鶴見は考えていたと思う。越境的に広がる運動の中にあって東アジアのカルチュラル・スタディーズも、同様の側面があるように思う。また、出来事をどう受け止めるのかということにおいて学知を考えることは、いまも重要だ。
三つ目は、上記の自主講座やカルチュラル・スタディーズの動きと重なりながら、極めて具体的に場を作り出したソウルでの試みだ。さきほど述べた「接続せよ!研究機械」は、私が責任編集をした雑誌『インパクション』の特集名でもあるのだが、そこで取り上げたのは、当時<スユ+ノモ>とよばれた研究集団である。この動きに出合ったのも1990年代で、東アジアでのカルチュラル・スタディーズの動きの時期と、だいたい重なっている。院ゼミでも少し触れたが、この集団の初期の文章をあつめた金友子編『歩きながら問うー研究空間(スユ+ノモ)の実践』(インパクト出版会 2008年)を、最近読み返している。以下そこから、「場に身をおくということ」にかかわって、いくつか論点を引き出しておきたい。
自らも<スユ+ノモ>に参加し、『歩きながら問う』の編者でもある金友子さんは、同書の最初のイントロで、一気に結論的な断言をする。「一人でできないこともみんなで集まれば可能になる」。それは知ということにかかわっているが、ここで金友子さんが集まることを「集合的身体」と述べているように、それは「場に身をおく」ことだ。この断言をまずは無条件で受けとめたい。
ところでこのグループの始まりには三人の人物がいる。いじんぎょん(李珍景)さん、こみすく(高美淑)さん、こびょんぐぅおん(漢字が出てこない)さんだ。その一人であるこみすくさんは、次のようにいう。「同一の内容も関係の構成によって著しく異なる共鳴と触発をもたらす」。これはすごいことだ。ここでは知や言葉において、その内容は後景に退き、共鳴と触発が重視されている。そしてそこには関係性が浮き上がるのだ。関係の中の知、それは共鳴であり触発なのだ。場とはこうした関係性が浮かび上がる空間なのであり、そこでは内容の伝達ではなく、共鳴と触発が重要なのである。身をおくとは、共鳴するためであり触発されるためであり、言葉以前の言葉を始まりとして抱え込むことなのだろう。
場にはそのつど人が集まる。集まるたびに予期しない関係が共鳴と触発の中で浮かび上がる。「空間が構成されると予測されなかった諸関係が構成され始める」(こみすくさん)。場は生起する偶然性を持続的に抱え込む空間なのだろう。
こうした共鳴と触発において何が重要なのか。こびょんぐぉんさんは次のようにいう。「十分に聞くことは十分に語ることにも劣らない」。だが多くの場合、自分の知識を披露する者、報告する者があたかも場の主人公になる。こびょんぐぉんさんは、このことを批判する。それでは、「「あんた、これ知ってる?」レベルを超えられない」(こびょんぐぉんさん)のだ。くりかえすが内容は後景に退く。あえて言えば内容とは、「あんた、これ知ってる?」ではなく、触発と共鳴であり、関係性とともに不断に生成するのだ。そしてこうした生成を確保し続けるところに場という問題が浮かび上がるのだ。この生成を持続的に遂行するために。
しかし、こびょんぐぉんさんがいうように、実際には、なかなかそううまくはいかない。報告は業績としてカウントされるが、聞いているという行為はそうではない。場にはすでにある種の評価という秩序が支配している。フェリックス・ガタリは、1964年に大学を論じて(「制度的療法と学生社会における精神衛生問題に関する考察」)、そこには将来〇〇になるという近未来に牽引された評価軸が支配していると指摘している。大学院の場合この〇〇の中に、研究者、あるは研究職、あるいは准教授や教授といったポストもあるのかもしれない。言葉は業績であり、その業績においては書くことと話すことのみが重視されている。そしてその秩序は、いまより一層浸透しているといってよい。
だがガタリの指摘で重要なのは、秩序自体のことではなく、そこから外れることへの不安を問題にしている点だ。自分は順調に秩序にそっているのだろうか。秩序にそって話をしているだろうか。ガタリはこの不安に新たな関係を作る必要があるといい、「学生運動が担うべきである」と述べる。このガタリの文章は大学生や大学院生に向けた講演にもとづいている。こみすくさんや、こびょんぐぉうんさんがいう、そこに身をおき聞くこととは、こうした不安を、触発や共鳴や新たな関係性へと変えていく始まりでもあるのだろう。そして、大学を支配している評価軸は、実のところ虚妄になりつつある。それは上記の「接続せよ!研究機械」でものべたことであり、<スユ+ノモ>が生まれる背景でもあるのだが、研究プロジェクトは「砂糖菓子」になり、「中身のない海老天」(平井玄『ミッキーマウスのプロレタリア宣言』)になり、〇〇になるという秩序は行先不明の幽霊電車になっているのではないか。それはとりあえず不安の増大ではあるが、だからこそ、それを別物に変える試みが遂行されているのだろう。
ところでこの不安ということについて、少し別の話をしたい。今まで述べたのは秩序からの離脱として不安だったが、元来知とは、不安そのものではないかということだ。あるいはこういってもよい。論文を含む文章読む行為は、あるいは言葉を受け取るという行為は、一つ内容をうけとることなのか。あるいは端的にいって、文章の解釈は一つなのか。もちろんここで、論文の解釈は一つだが、小説は違うというジャンルに分けて納得することはできる。しかし文章を読むという行為そのものが、不定な解釈を重ねながら、すなわち解釈が定まらないまま、不安定な複数の解釈が重なっていくような重層的なプロセスなのではないか。いわばこみすくさんが予期しない関係性の共鳴や触発といった事態は、一人で文章を読んでいる時でもおきているのではないか。誰が読んでも一つの意味しかないなどということは、ありえないのではないか。
最近読んだものだが、布山美慕さんはこの問題を文字通り数学的に考察した(「解釈の不定性の価値と量子認知による文章解釈研究の展望」(西郷甲矢人との共著))。いま要点のみ述べれば、ものを考えるとは、物理的にはあり得ない状態を考えることであり、たとえば実際にはグーとパーは同時に出せないが、それをどう乗り切るのかというところに思考の領域がある。そしてこの思考の領域をふくめて現実なのだ。そして、読むあるいは解釈の不定性こそがこの思考を、いわば現実を支えているとする。
そしてその上で布山さんは次のように述べる。「近年いっそう求められる多様性のない文章、そしてそれへの即時の反応は、あたかも身体が一つの場所、行為しかとれないように、私たちの思考が不定な状態を取りうる能力をそこなっているのかもしれない」。わからないがそこに留まり、考え続けること。それが許されないとき、場は、おまえはグーなのかパーなのか、あるいは賛成派なのか反対派なのかという身体の場所においてしか構成されないのではないか、というだ。これはとてもつまらない場所だ。不安にそして不安定にとどまらなければならないと改めて思う。
そして布山さんはこの不定な意味にとどまり続けることを、レベッカ・ソルニットの「迷う」という問題と重ねていく。「迷う、すなわち自らを見失うことはその場に余すところなくすっかりと身をおくこと」(ソルニット『迷うことについて』)。報告者/司会/コメンテータ/観客とまではいかなくても、場は既に評価の秩序に支配されている。そこから意識的迷うこと、それは自分の場所が見つからず不安ではあるが、布山さんはそこに熱中という言葉を重ねる。その熱中状態のなかでは、全ての人が場の中心になる。「場に余すところなくすっかりと身をおく」のだ。あるいはわかることだけ話し、わかることだけ聞くという場ではない場をつくること。「身をおく」とはそういうことなのだろう。これはオンラインではなかなかできないことのように思う。
 布山さんがいうように、研究の領域において議論は益々窮屈なり、同質な場所の分類だけが進行しているように思える。またその背景には、ガタリがいうような大学自体がますます不安を生み出す空間になっていることもある。2000年代にはいって、一気に進む大学改革。そのなかに、カルチュラル・スタディーズもスユ+ノモも、また火曜会も巻き込まれていく。そんなことが、火曜会の今にいたる系譜としてある。ただもう一つここではかかなかったことがあるが、それはまたの機会に。

Ⅱ進め方について
(1)火曜会の構造
 火曜会の場は、三重の構造になっています。まずメーリングリストにおいて表現される場ですが、これ火曜会で議論をした経験を持つ人々において構成されています。人数は100名を超え、また東アジアや北米だけではなく、ヨーロッパ、北欧、北アフリカにまでひろがっています。こうした広がりの中で、定期的な火曜会が開かれています。またそうであるがゆえに、時々、「「言葉を置く」ためにやってくる旅人のような存在」(西川さんの「火曜会通信」89号http://doshisha-aor.net/place/619/)として、登場する人々がいるのです。この人たちも含めて三重構造(間の旅人は構造というより流動系ですが)になっている。
また火曜会は「アジア比較社会論」「現代アジア特殊研究」でもありますが、さらに対外的に使える形式として次の三つがあります。一つは、火曜会を同志社大学<奄美―沖縄―琉球>研究センターによる「定例研究会」の通称としても使えるようにしています。また今期でしたら定例研究会(第37期)としたいと思います。研究センターの定例研究会、通称「火曜会」です。
もちろんこのような名称を用いるかどうかは、自由です。基本的には「火曜会」は「火曜会」なのであり、カリキュラム上の科目でもなく、「定例研究会」でもありません。ただ擬態を用意しておこうという訳です。
(2)すすめ方
事前に文章を読んできた後、一人ひとり順に注釈やコメントを話すようにしています。このやり方において見えてきたのは、言葉が堆積していく面白さです。しかもその言葉たちが、順に回すという力によってなされているので、しばしば「無理にでも」話そうとするという性格を帯びるため、ある種の受動性が能動性に転化していくような出発点を一人一人の言葉が担っているような感触もあります。すべての参加者の「私」が出発点になっているのです。こんな言葉が、私たちの前の空間に次から次へと降り積もっていくのが、面白いのです。あたかも一人ひとりが参加してノミをふるい、批評し合いながら一つの彫刻を作り上げていくような感覚です。火曜会ではディスカッション・ペーパーを前にした平等を前提に、一人ひとりが報告者であり、彫刻者です。
 ただ問題もあります。次の展開、すなわち一人ひとりが一通りコメントし終わった後の全体として議論を進めるのに時間がかかるという問題です。この時間にかかわって二点提起します。
ひとつは一人ずつのコメントについて以前から「パス」ということを気軽にいおうということが提起されています。これは続けたいと思います。また最初の注釈やコメントを、最初の「読む時間」において各自できうる限り考えを準備しておくように心がけるというのもいいかもしれません。
いま一つは、コメントの後の議論のすすめ方です。雪だるま式に積もっていくコメントを議論にするのは大変です。またあせってすすめると多くの場合論点が見失われることがおきます。これをできるだけ防ぐのは一つには司会の役割ですが、司会だけではなく参加者が目の前に堆積したコメント集合を丁寧に彫刻していくことが重要です。
(3)ディスカッション・ペーパーの配布について
ディスカッション・ペーパーは事前に配布します。前の週の土曜日までにMLで配布してください。また上に述べた火曜会の構造にもかかわりますが、配布をMLでおこなうことは、かなり大人数に文書をくばることになります。これにかんして「誰が読んでいるのかわからない」「勝手に引用されたら」といった危惧があるかもしれません。ただ他方で、「議論の場に居合わせることがなくても、あるいは直接お会いすることはなくても、メーリングリストを通じて、既知の人、未知の人が、どこか別の時に、別の文脈で、このペーパーを読んでいるのかもしれない」(前述の西川さんの「火曜会通信」)というのは火曜会の広がりでもあり、またこのひろがりにおいて、先に述べた「「言葉を置く」ためにやってくる旅人のような存在」が確保されているともいえます。まずはペーパーの無断引用厳禁ということを再確認しておきたいと思います。
(4)精読会
 11年前に火曜会の中で「精読会」というのを提起したことがあります。その時の文章を火曜会のHPにアップしています(「火曜会の中に精読会の増築を提起する」http://doshisha-aor.net/place/173/)。よければぜひ読んでください。内容は要するに本読みですが、火曜会の中でそれをやることの意義を考えました。前期から意識的に復活させましたが、今期もこの精読会を続けたいと思います。
(5)司会についてなど
 第34期から司会を回り持ちにしています。今期も報告者が事前に司会者を指定することにしたいと思います。司会をどのようにやるか、たとえば積極的にコーディネイトするかどうかは、司会者におまかせします。そのうえで司会については、上記の(2)の最後で述べたように、コメントから議論へという展開をどうするのかということにおいて、少し意識的に考えてほしいと思います。またそのためには司会になった人は、全体のコメントに注意を向ける必要があります。

Ⅲ『火曜会通信』
 火曜会にかかわる様々な文書は、http://doshisha-aor.net/place/644/に収められています。火曜会が初めての人はぜひアクセスしてみてください。これまで火曜会で何をしてきたのかということがわかります。また『火曜会通信』というものがあり、それは火曜会での毎回の議論をふまえた『通信』です。しばしば『通信』を楽しみにしているという声が届きます。それは上記の火曜会の構造の第一の層にもかかわるでしょう。前回の火曜会で、この『通信』をもっと充実させようと提案しました。すなわちディスカッション・ペーパーへのコメントを、文章でも行えるようにして、それを『通信』にするということです。ですが結果的には、この一年あまり『通信』自体を一度も出せていません。

Ⅳ雑誌『MFE』について
 ようやく動き出した雑誌『多焦点拡張 MFE』です。また原稿も募集中です。ぜひ!
3号の原稿募集は下記をみてください。http://doshisha-aor.net/mfe/771/
2号の合評会については近日中にご案内します。

Ⅴシンポジウム(6月25日土曜 多分午後、多分ここ)
「移動する人びとの生から沖縄の復興と米軍占領を考える」
謝花直美、安里陽子、岡本直美  司会 冨山一郎
<奄美―沖縄―琉球>研究センター主催

Ⅵ予定
4/27  カタツムリが詩うときー出逢いの場としての運動ー
        報告者 山本真知子

5/11  ドキュメンタリー「沖縄のハルモニ」(監督山谷哲夫)を見る
        案内役 廣野量子

5/18  近代日本の動物思想における平岩米吉
        報告者 内藤あゆき

5/25  李琴峰『彼岸花が咲く島』を読む
        案内役 増渕あさ子

6/1   チェ ウニヨン『ショウコの微笑』を読む
        案内役 姜文姫

6/8   セックスワーカーと私の距離
        報告者 山口沙妃

6/15  ハルモニの遺したもの
        報告者 金大勲

6/22  魯迅の文学革命とユーモア
        報告者 やお

6/29  沖縄は犠牲のシステムから脱することはできるのか
      ―集団記憶と政治の関係を中心としてー
        報告者 金美佞
7/6   福島原発事故自力避難者がつくる話せる場所について
        報告者 佐久川恵美

7/13  ハワイにおける沖縄救援運動
    ―沖縄救済厚生会を中心にー
        報告者 木谷彰宏

7/20  宮沢賢治をどうみるか
        報告者 李啓三

7/27  ハイエクから考えるグローバル時代の沖縄
        報告者 島袋琉
     (この後打ち上げパーティ)