火曜会

火曜会は、言葉が帯びる身体性を押し隠すのではなく、それを多焦点的に押し広げることこそが研究行為ではないか考えています。また研究分野の境界は、分野の前提を再度議論する中で、連結器になるとも考えています。

火曜会通信(98)-障害者と動物の解放について

山口沙妃

 今回の火曜会(2024年5月22日)では、山口詩央里さん(以下、詩央里さん)が持ってきてくださったスナウラ・テイラーの『荷を引く獣たちー動物の解放と障害者の解放―』を読みながら、参加メンバーと障害者と動物の解放について考えた。
 正直に話せば、動物の解放と障害者の解放は同じように議論できるものなのか、できるのならば、それはどういったものなのかはわからなかったし、これを書いている今においてもわからない。詩央里さんもこの点を悩まれているようで、さまざまな論点を提示してくれた。なかでも印象的だったのは、彼女がテイラーの本を用いながら、動物の権利に関する今までの多くの議論の出発点が「倫理」であることを指摘したことであった。肉食もその例外ではない。動物は痛みや苦しみを感じる。だから、肉を「食べない」が「食べてはいけない」になってしまった時に生じる「倫理」。批判するべきは自分たちが動物をどのように扱っているのかであり、工場式畜産の実状であり、「肉を食べる/食べない」という選択に「倫理」を課そうとした時のある違和感。そしてそれは誰かを裁く根拠になってはいけないし、裁かれてもいけないものだと、私は思う。
 全体としても、動物の権利や肉食に関しての議論が目立った。自治体が外来種を捕まえて殺していることへの疑問や、「肉食をやめることは難しいけれど、とりあえず肉を残さず食べる」実践など、会に参加した人たちがそれぞれの日常に結びつけてこの問題を考えようとしているのが伝わるような議論の内容であった。殊に肉食に関してはすぐに何かを結論づけることはできないし、やはり結論づけてしまうことはきっと何か、誰かに対して暴力性を含むものであると感じた。
 会は全体を通して、動物と障害者を分けて議論していたと思う。しかし障害者に関しての議論のなかでは、「当事者の語りに寄り添わざるを得ない」という戸惑いのような誰かの呟きに、私は共感していた。また、その戸惑いを聴きながら、マイケル・J・フォックス(以下、MJ)の事を考えていた。本当はその時に話しても良かったのだが、何となく言えなかった。だからこの場を借りて、彼のことについてちょっとだけ書いてみたいと思う。MJは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の主演などで知られる米国の俳優だ。しかし、私が考えていたのは彼がパーキンソン病を患ってから出演した作品―ドラマシリーズ『グッドワイフ』である。この作品は法廷が舞台なのだが、MJは遅発性ジスキネジア病という障害者の弁護士役を演じる。主人公の弁護士と法廷で対峙する時、ハッキリ言って、彼はとても嫌味な弁護士である。自分の障害を裁判においてアドバンテージとして振る舞う箇所が多く出てくるからだ。MJは撮影後の取材で、今まであまり表象されてこなかった障害者の役を演じたかったと語っていた。会で誰かが呟いた「寄り添わなければならない」戸惑いに対して、MJの素晴らしい演技は何かの糸口になると思う。その相手と自分との関係性において、自分の感情を持つこと、意見を持つこと、選択をすることを、私は大切にしたいと思う。詩央里さん、このテイラーの本を紹介し、今回議論をしてくださり、ありがとうございました。楽しかったです。