火曜会

火曜会は、言葉が帯びる身体性を押し隠すのではなく、それを多焦点的に押し広げることこそが研究行為ではないか考えています。また研究分野の境界は、分野の前提を再度議論する中で、連結器になるとも考えています。

火曜会通信(特別号)

雑誌『多焦点拡張』第5号掲載予定(2024年夏刊行)の文章を、「火曜会通信」として掲載します。この文章は、高秉權『黙々 聞かれなかった声とともに歩く哲学』(影本剛訳、明石書房、2023年)に寄せてかかれたものです。編集委員会の許可を得てここに掲載します。

 

「いつ出られるますか?」、あるいは黙々の認知(reconnaissance )(注1)

冨山一郎

 

希望によって膨らんだが絶望によって消えた場所、そこには何もないと思っていた。しかし空っぽの場所と空っぽの言葉があった。わたしは、何のために、何ゆえに歩んだのか。目的と理由を失い、長い間じたばたしていた。しかし「~のために」と「~ゆえに」を消していくと、沈黙が声を発し、空席が姿を見せる。希望が目を奪い、絶望が目を閉じさせようとした場所。いったいこの沈黙と空席にどのように対するべきなのか。よくわからない。それでもこのような言葉は言いたい。道標を失った場所で道が見える。ああ、私はこのような道の上にいるのだ。(高秉權『黙々』)

 

Ⅰ「私」への反転
私の机の横には、あるノートがおかれている。それは、精神疾患をながいあいだ患い、入退院を繰り返し、8年前にワンルームのマンションの一室でその生涯を終えた者が綴ったものだ。そのノートには、毎日自分が何にお金を使ったのかということが、綿密に書かれている。そこにはバス代や電気代といった費目とともに、毎日自分が購入したものが丁寧に書きこまれている。その多くは食料品であり、「食料品」と書かれている時もあれば、具体的な品目が記されている時もある。「バナナ」、「牛乳」、「豆乳」、「しいたけ」、「もやし」、「プーアル茶」、「みかん」などが頻繁に登場する。またこうした食料品や日常品にまじって、時々文具が登場する。それは毎日欠かさず行っていたフランス語の学習にかかわるものだと思われる。「辞書」の項目もあった。部屋には、学習のために使用したフランス語がぎっしり書かれている別のノートも、遺されていた。
ノートは私の妹のものである。それはいつも私に、迫る。何を迫っているのかということは、言葉にすることは難しい。説明できないし、その存在自体が迫ってくるとしかいいようがない。机の横から圧がいつも発せられているのだ。こうしたことは妹という家族関係に起因するというより、そこに記されている毎日の事柄の傍らに、私自身がい続けたということによるものであり、入退院を繰り返してきたその生の傍らには、いつも自分がいたということによるものだと思う。そしてその場では、拘束や自由を剥奪する事態が多々あったのだ。「いつ出られますか?」という声も、何度も聞いた。それは高秉權さんが障害者収容施設で出会った声でもある(注2)。この声に対して私はどうすればよかったのか。そして、どうすればよいのか。
ノートは、すぐさま応答できない問いであり、内省を迫る存在だ。だからめったにノートは開けない。しかし高秉權さんの『黙々』にある「ある脱施設障害者の経済学」を読んだとき、このノートを開くことができた。その冒頭にはシン・ギョンスさんが書いた詩、「必ず買わなければならないもの」がある。「かごに/野菜を入れて/果物を入れて/二万ウォンくらい/レジに行ってみると/五万ウォンくらい/果物を戻し/ツナ缶は残して/ご飯は食べないと/ツナ缶、コチュジャン、ごま油は/切れたらだめ」(注3)。ギョンスさんは30歳になってから自立生活を始めた重度障害者だという。そして高秉權さんはこの詩に、「私の食べ物」、そして「私の獲得」という言葉を添える。ストンと腑に落ちた。
妹のノートには、この「私」が確保されているのだ。それは日記といってもいいかもしれないが、そこには自らが自らを記録するという自分自身への働きかけがある。毎日「私の食べ物」を購入したということ、一日の生を支えるために自分が何をしたのかということを確認する作業として、書くという行為がある。一日を想起し、場合によってはもっと前の過去の出来事を思い出しながら、ノートを書くという営みが、「私の獲得」に他ならないのだ。妹はノートを綴りながら、「私」を確保し続けたのだろう。それはまた、明日を生きようとする「私」でもある。
この明日を生きようとする「私」からは、何が始まろうとしているのか。ここで私の思考は「私」を支点にして反転し始める。「いつ出られますか?」という声は、社会復帰を望む声ではなく、新たな始まりに向けて「私」が待機中であることを伝えているのではないか。「どうすればよかったのか」という過去を振り返る内省的な私の問いは、未来に向かおうとするこの「私」にこそふさわしいのではないか。「どうすればいいのか、どうしていこうか」という問いこそがあるべきであり、その主語は、私ではなくこの「私」だ。
いまから影本剛さんによって翻訳された高秉權さんの『黙々』(明石書房、2023年)とともに、この「私」から何が始まるのかについて、考えてみたい。本書の記述の多くは、ノドゥル障害者夜間学校の哲学教師としての高秉權さんの活動にかかわるものだ。そこには、高秉權さんがかかわる現場の具体的な事柄と学的な思考が、往還するかたちで記述されている。あえていえば、障害者の夜学という現場と人文学という学知が出会うところに、現場でもなければ学知でもない領域が浮かび上がるのだ。それは現場を小賢しく学知で説明するという、巷に流布するよくある記述ではない。
そしてこの『黙々』を読むことは、「私」からはじまる今述べた問いを知ることであり、まずは恥じ入ることなのだ。「私」への反転は、まずは私を停止させ、恥じ入らせる。『黙々』の日本語版の帯には、「考える歓びを教えてくれる」と記されているが、むしろ訳者である影本剛さんがいうように、そこでなされているのは「読み取る実践」といった方がよい(注4)。すなわち考えるということは、自分がよって立つ場を読み取ることであり、その実践において新たに気づくことであり、知らなかった自分を恥じ入ることなのだ。鄭喜鎮は次のように述べている。

 

知るとは、傷つけられることでなければならないと考える。知るということ、それに決定的に重要であるがゆえに意図的に削除されたある歴史を知るということは、知らずに済んでいたことで守られてきた自分の生(生き方)に対する恥ずかしさ、秩序に対する憤怒、意思疎通に対する絶望が生じるため、傷つけられるしかないのだ。(注5)

 

『黙々』の記述の起点として抱え込まれているのは、まずはこの知にかかわる恥ずかしさだ。だがそれは、たんにこれまで知らなかったということではない。知の不足が恥ずかしいわけではないのだ。すなわち、「障害者たちとともに勉強をしていると、障害者を差別し排除する制度と慣行が何よりもわたしたちの時代の人文知識と噛み合っていることを知ることになる。そして人文学者自身がそのような知識の生産者だということも知ることになる」のだ(注6)。かかる「知る」という実践は、やはり恥ずかしい。再度、鄭喜鎮の言葉を繰り返せば、「知らずに済んでいたことで守られてきた自分の生(生き方)に対する恥ずかしさ、秩序に対する憤怒、意思疎通に対する絶望が生じるため、傷つけられるしかないのだ」。そしてこの傷こそが、新たな知の始まりに他ならない。

 

Ⅱ拘束と追放

「不法」、「犯罪」、「保護」、「教育」、「医療」といった言葉で構成される理由により、人の自由をうばい、拘束し、収容することが正当化される。拘束はこの理由において区分けされた異なる事象として登場するにもかかわらず、その正当化の基底には、拘束がまかりとおることを受け入れている人々の心性がある。「〇〇だから仕方がない」という訳だ。「社会は防衛しなければならない」(フーコー)とは、法や制度というより、こうした「〇〇だから」という何気ないセリフに抱え込まれている命題だ。そして忘れてはならないのは、そのセリフが必ずしも差別的で排外的な響きを持つは限らない、ということだ。すなわち、「それが〇〇のため」という善意の言葉としても、拘束は登場する。さらにこうしたセリフは、社会を効用や効率あるいは費用で理解しようとする認識とも共鳴している。たとえば健康や豊かさといった効用を定義する基準が、そこには深く関係しているのだ。だからこそ、高秉權さんは次のようにいう。

 

収容所がすでに閉鎖されたのか、あるいはまだ建設されていないのかは副次的だ。魂の根底に埋め込まれている認識の木が健在する限り、収容所はいつでも施工許可のみを待つ建物のようだ。(注7)

 

この文章で言及されているのは仙甘(ソンガム)学院であり、そこは犯罪予防を理由に路上にいた子供たちを強制的に収容した施設だ。その施設は日本の植民地時代に建設され、その後1982年まで運用されていた。またそこに、植民地支配と独裁政権の連続性を見ることも可能かもしれない。

しかし高秉權さんは、帝国日本の植民地支配から独裁政権へという支配形態の連続性ではなく、すくなくともそれだけではなく、「魂の根底に埋め込まれている認識」を問題にする。それは先ほど述べた「○○だから仕方がない」というセリフであり、このセリフを当たり前のように受け入れる心性である。この心性は、1982年で消滅するのではなく、私たちが生きる今の日常の深いところにも根をはっている。また近代の学知においてもこうした心性が、前提として追認されているといってよい。前述したように、「障害者を差別し排除する制度と慣行が何よりもわたしたちの時代の人文知識と噛み合っている」のだ(注8)。
さらに、こうした「○○だから仕方がない」という心性と無関係ではないが、仕方がないという意識さえ生じることのない拘束が、本書では述べられている。それが「障害化される(disabled)」(注9)ということだ。いいかえればそれは、存在自身に固着し、自然化された「障害」だ。そこで語られていることの一つに、移動の自由という問題がある。拘束が身体の動きをある空間に問答無用で閉じ込めることだとするなら、たとえば車いすが進むことのできない階段や段差は、拘束を担うことになる。さらにはラッシュ時の地下鉄は、物理的に車いすを排除している。「そのような空間設計自体が障害者たちの人身を限定し束縛する行為ではないのか」(注10)。あえていえば拘束を担っているのは、意識においては風景のように受け入れられている自然化された空間そのものなのだ。
そして、こうした自然化された空間を拘束に結び付けたうえで、高秉權さんが次のように述べていることが重要だ。「これは単純な「放置」ではない。積極的「追放」だ」(注11)。既にある空間自体が問答無用で人々を追放し、拘束し続けている。そしてこの追放や拘束は、意識の外に予め排除されている。空間という生の基盤そのものが、暴力を前提にしているのであり、それを手助けや配慮、あるいは介護制度といった問題として考えてはならないのだ。多くの人々が生きる空間が、既に積極的に追放と拘束をおこない続けているのであり、かかる重大な事態を、制度の未整備という文脈にしてしまってはならないのである。くりかえすが拘束は、配慮やケアという問題ではない。たんに放置された段差に対してリフトを設置すればいいということでない。問題が放置されているということではないのだ。
拘束は暴力であり、「障害化」とは暴力が行使され続けていることを意味する。そしてかかる暴力は自然化され、当たり前の前提として受け入れられている。問われているのは、この社会が暴力を行使し続けることを前提にして成り立っているということであり、さらにかかる暴力が意識の外に予め排除されていることだ。だからこそ拘束が問われるということは、暴力が顕在化する事態としてまずはある。そして対策を急ぐことが、この顕在化というプロセスを予め押し隠すことにつながるのだ。そこでは対策は予めの排除の追認であり継続でもあるだろう。くりかえすが、だからこそ問題は放置ではないのだ。
意識にも上らなかった暴力が顕在化するプロセスとは、当たり前の風景としてあった自然が、敵意を帯びだす事態でもある(注12)。「青い芝の会」が1970年代、車いすで乗ることができないバスに強引に乗り込もうとし、またバスを破壊したのも、あらかじめ排除されていた前提を現前に浮かび上がらす行動だ。そして過激と評され暴力的と非難もされたこの「青い芝の会」の行動は、まったくもって正しく、また同時に、「主張は理解できるが暴力はいけない」という態度は、顕在化した拘束を再度意識の底に押し隠すことでもあるだろう。「暴力はいけない」という汎用性のある便利な言葉が、「障害化」をささえている。
また移動の自由とは、人は自らが望む場所に行けるということであり、望む場所で生きることができるということだ。たとえばそれを阻止する国境は、先ほど述べた「魂の根底に埋め込まれている認識」であると同時に物理的壁であり、その壁を維持し続けるために拘束と追放が繰り返されている。「障害化」は難民にもかかわるであり、したがって難民はたんに国境というボーダーの問題ではなく、暴力にさらされ続ける生にかかわることに他ならない。入国を許すか許さないかという問いの立て方自体が、まちがっているのであり、重要なのは難民が既に「障害化」され、生の危機にさらされているということなのだ。また国民といった言葉を躊躇なく使えるとしたら、それは既に暴力を前提にした思考であるだろう。拘束は国民の内部において自然化されている。
いま法や制度を問う必要がないということを、いおうとしているのではない。植民地支配もふくめ、法や制度を問うことも、またさまざまな制度的改善も、重要だ。しかしそれでもって解決したと考えては断じてならないのだ。高秉權さんが放置ではなく、既に積極的に追放しているというときに見据えている拘束は、この解決において継続することになる。

 

Ⅲ復帰、あるいは不在

拘束は、「〇〇だから仕方がない」ということにおいて継続するだけでなく、この世界において既に自然化されている。それは、暴力にさらされ遺棄される生を前提にした世界だ。この自然が問われない限り、世界は不断に暴力を行使し続けることになるだろう。そしてだからこそ、「不法」、「犯罪」、「保護」、「教育」、「医療」でもって拘束を説明してはならないのだ。こうした説明は、拘束という暴力を問題解決というレールを進むための道具にすることにより、その暴力を追認することになる。だかこそ、いかなる極悪人と思える人間であろうと、罪と拘束は無関係であるといいきる必要がある。そしてその上で、あの「いつ出られますか?」という言葉に向き合わなければならない。つまり「出る」とはどういうことなのか。罪を償ったから出るのか、治療が完了したから出るのか。それは、追放し続ける世界に復帰することなのか。問われているのは復帰という言葉それ自体だ。あるいはこういいかえてもよい。拘束され続けている身体を抱えた者たちが見つめる未来とは、どのような未来なのか。
そしてこの問いは間違いなく、出た先に予定されている今の世界に住まう者たちへの問いでもある。すなわち、拘束された身体を抱える者たちが見つめる世界が、追放し続けるこの世界ではないのなら、「私」から発せられる「いつ出られますか?」という問いを拘束されていないと考えている者たちがうけとめるとは、どういう営みなのか。あるいは拘束されていないと考える者は、どうしてそう考えることができるのだろうか。本当に拘束されていないのだろうか。「出る」ということを考えることとは、自らの身体は拘束されていないと考えている者が、拘束されている者とともに自らの身体感覚を問うことでもある。
妹は、入退院をくりかえすなかで、ある時から、医療そして私から身を隠すようになった。通院が拒否されるので、ある時期から妹の居住するアパートまで医者にきてもらうようにしたが、その結果妹は失踪し、捜索願を出したこともある。治療は確かに必要だったと今も思う。しかし治療は拘束でもあった。身体の拘束や閉鎖空間への留置は、私のすぐそばの出来事であり、医者も警察も、そして私も、拘束者だったのだ。妹がくりかえした「いつ出られますか?」という言葉は、この拘束にかかわる問いであり、それは医者や私のみならず、拘束されていないと考えている者たちへの問いであった。そしてこの問いに答えられない限り、「出る」とは復帰ではなく、拘束から逃げ続けることとしてある。そして妹はそれを実行した。
2017年5月24日に獄死した東アジア反日武装戦線のメンバーだった大道寺将司について、太田昌国は次のように記している。

 

彼は無念にも獄死したが、仮に生きながらえていたなら、彼が社会に「復帰」し、あらためて生き直すことができるような世の中であればよかった、と私は心から思う。(注13)

 

太田の記す復帰には、カッコがつけられている。したがって「復帰」は、今の社会からの逃亡でもあるのだろう。そしてこのカッコをはずすことは、この世界に生きているすべての人々の責任だ。太田はこの文章のあと、「現実には、私たちは真逆の世界に生きている」と続けているが、問われているのはこの「真逆の世界に生きている」者たちに他ならない。そこには私も含まれる。そして拘束された身体を抱える者たちが発し続ける「いつ出られますか?」という問いかけは、世界が真逆である限り、今も続いている。復帰がはたされないまま、大道寺将司は亡くなった。しかし潰えた生とともに、問いは続いているのだ。

高秉權さんは「セウォル号事件」の死者に言及するなかで、「わたしたちは現実を変えることなしに現実へと復帰できないということを認めなければなりません」と述べ(注14)、そしてこの「復帰できない」ということを問いとして抱えこむことを、「不在を消さないまま生きてい」くと表現する(注15)。「不在」、それは復帰できない生のことであり、暴力にさらされ遺棄される生を前提にした世界は、このおびただしい「不在」に包囲されているのだ。またそこには復帰できないまま逃亡し、消失した者たちも、含まれるだろう。
高秉權さんが述べる「セウォル号事件」の死者たちの復帰は、太田が述べる大道寺の復帰と同じではない。そして、暴力にさらされ遺棄される生を前提にした世界が「不在」に包囲されているという現実から始まるべき復帰という営みは、それぞれの場から始めるべきであり、未来はそれぞれの「不在」において獲得されるのだろう。そしてこの複数の営みにおいて、新たな知の姿が求められることになる。

Ⅳ黙々の認知
だがしかし、拘束された身体から発せられる「いつ出られますか?」という問いを前にして、無力感にも似た絶望感に襲われる。それは最初に述べた「私」への反転であり、知るという行為に帯電する傷の感覚でもあるだろう。そしてこの無力感は実のところ極めて重要だ。なぜなら無力感を押し隠すことと、問いを法や制度といった問題に置き換え、また過去や別の場所の問題として限定しようとすることが、重なってしまうからだ。もちろん法や制度がどうでもいい問題だということではない。たが法や制度の基盤となる普遍的正義や客観的正しさは、自らのよって立つ場に根深く存在している心性や思考自体を成り立たせている知識が排除にかかわっていることを、見ないで済む作法として、しばしば登場する。自由をうばう収容所は廃止しなければならない。しかし問われているのは、私自身も含む多くの人々が住むこの世界自体ではないのか。無力感とは、この世界にかかわる認知としてある。
訳者あとがきで影本剛さんは『黙々』について、本書が運動の側からの社会への介入であるとしたうえで、「安易な希望でお茶を濁すよりも、自らの挫折の体験も含め、きちんと絶望を直視する点も本書の独自性だ」と、的確に述べている(注16)。「絶望を直視する」ということ。これは今述べた無力感ということとも深くかかわるが、こうした絶望を起点として確保することから動き出す認知について、もうすこし考えてみよう。
確かに本書には、高秉權さんの挫折や絶望が何度も登場する。たとえば高校で「知は生を救うか」という講演をした際に、ある参加者からだされた「兄は知的障害者です。先生、知は兄の生も救えますか?」という問いに「きちんと答えられなかった」という経験を、その時の発言者のふるえる声色とともに高秉權さんが抱え続けていることが、記されている(注17)。あるいは女性に対する暴力が蔓延する現実を自分が既に知っているとしたうえで、次のように述べている。

 

わたしが知る現実はこのように統計の、情報の、論理の現実だ。このような不当な現実を非難しつつも、なぜわたしはわなわなとふるえないのか。(それはー引用者)私にとってこの不当性は統計的で知的で論理的な不当性であったからだ。(注18)

 

ここで問われているのは、たんに現実の不当性だけではない。問われるべきは、「統計的で知的で論理的な不当性」であり、あえていえば不当を不当だと認定する知であり論理である。前述したように、こうした知や論理が、実のところ不当な現実に加担しているのだ。だからこそ高秉權さんは、「わなわなとふるえる」ことから知を再開しようとする。それは確かに無力感かもしれない。しかし同時に、無力ということを規定する枠組み自体が変わろうとしているのだ。その時ふるえは、新しい始まりを掴もうとするワクワク感や喜びでもあるかもしれない。たんに無力感にさいなまれているわけではないのだ。

冒頭のエピグラフを見ていただきたい。末尾に、「道標を失った場所で道が見える。ああ、私はこのような道の上にいえるのだ」とある(注19)。高秉權さんがこう記す時、そこには感性の気流とでもいうべき動きがある。「ああ」という声とともに感性が動き、視覚が変わり、自分のいる場所が再度認知(reconnaissance)され、、そして道が眼前に浮かび上がってくるのだ。
そして「いつ出られるのですか?」、あるいは「知は兄の生も救えますか?」という問いかけに応答しようとする営みに、こうした感性的な領域における転換が伴っているところにこそ、高秉權さんが示す認知の広がりあるといってよい。あえていえば、ふるえることや傷つくことそれ自体が重要だといっているわけでも、ワクワク感や喜びを大切にしようといっているわけでもないのだ。重要なのは、この当たり前のように受け入れられている感性的な領域が流動化し、自分のいる動かしがたい場所が変態していくということが、新たな知とともにあるということに他ならない。
高秉權さんが活動したノドゥルの夜学の火の車組(中等クラス)では、「仕方がない」というスローガンが掲げられたという。この「仕方がない」という言葉は、まずは無力感の近傍にあるだろう。どうしていいのかわからないので、諦めるのだ。またそれは前述した「〇〇だから仕方がない」という、あの現状を追認する心性とも関連するだろう。それにたいして高秉權さんは、「仕方がない」は諦められない時に言う言葉だと述べたうえで、次のようにいう。

 

どのようにであれ「生きぬかなければ」ならないからだ。生を諦めるのか、生きぬくのか。私は人文学の勉強の領域はここにあると考える。どのようにであれ生きぬかなければならない、それも「よく」生きぬかなえればならないという自覚、生に対するそのような態度、そして姿勢のようなもののことだ。(注20)

 

この文章を読むには、「仕方がない」という言葉にまとわりつく無力感よりも、生きるということを優先しなくてはならない。「仕方がない」が諦めにむすびつくのは、「仕方」を定義する枠組みを前提として承認したうえでのことだ。その枠組みでは「ない」は無でしかない。しかし枠組みの承認よりも、生きることを優先させてみよう。生きるという動きが枠組みをはみだす地点、すなわち枠組みが枠組みとして成り立たなくなるとき、諦めとは異なる事態が新たな感性とともに始まるのだ。無はこの始まりの地点でもある。しかしそれは、すぐさま新たな「仕方」を定義する枠組みを構成するのではない。

そして、根拠はないが何かが始まるという、この既存の枠組みから外れていくときに獲得できる感覚が、高秉權さんのいう「自覚」であり「態度」であり、「姿勢」なのだろう。またあえていえば「仕方」を定義する枠組みが既存の知だとするなら、高秉權さんのいう人文学はそれではなく、この「態度」や「姿勢」とともにある。またこの知は、生きるということにかかわるのであり、そこでは「仕方がない」は諦めではなく、生きぬくことを諦めないという生への強い思いとしてある。
本書がなそうとしているのは、既存の知が未来を示すことができなくなるゼロ地点から始まる事態の中に、知的営みをすえようとすることであり、このゼロから先に進もうとする動因として、生きるということがある。またそこから始まる新たな知の営みは、感性の領域とともにあり、知の言葉が感性の言葉を併意しているところに、高秉權さんがこの『黙々』で示している認知の、最も重要な要点があるといえるだろう。あるいは、言葉による意味作用と感性的な動きが、新たな関係を探り始めているといってもよい。
この認知が、普遍的枠組みや正しさを求める知とはまったく異る姿を纏っていることを、看過してはならない。すなわち生にかかわる知的な営みは、身体を拘束し生を断念させることを当たり前だと受け入れてしまう感性的領域が、転換してくプロセスとともに始まるのである。そこで重要なのは、普遍や正しさではなく、こうしたプロセスの出発点としてある複数の現場であり、受動的な位置におかれた生が動き始める場であり、そこから生起する感性の領域なのだ。
現場とは、解決すべき問題がある場所のことではない。また現場にある問題を一般的に解説し、普遍的な回答を与えるために知が待機しているわけでもない。現場とは、生きる場であり、だからこそそこは知が始まる場なのだ。生と知が交差するところが現場なのである。そしてそれぞれの生が一様ではないように、場も同じではなく、知も異なるだろう。一般性や普遍性をもとめることが知だと考える人には不満かもしれないが、それでいいのだ。かかる知においては、現場と知の関係は、対象と考察として区分されるのではなく、生きるということと考えることの関係において見出されている。知の姿が違うのである。そしてこのような知とともに登場するさまざまな活動が、「いつ出られるのですか?」という声から始まるのではないか。

 

Ⅴ始める

本書から始まるのは、そこかしこで開始されるこうした同様の実践ではないだろうか。私たちの生きる現実が、暴力にさらされ遺棄される生を前提にした世界である限り、生と知が交差する同様の場は、そこかしこで始まるはずだし、始めるべきなのだ。そしてここでいう同様とは、先ほど述べたように知の姿において同様なのであって、同時にそこにはそれぞれが異なる複数の場が存在してしている。それは、この『黙々』で示される認知が、実践の場としてのノドゥルの夜学や「スユ+ノモ」といった多くの活動の場とかかわっているということでもある。この点を看過してはならない。
だがしかし、高秉權さんの文章はあまりにも明晰で美しすぎる。また読む者も、意味内容を受け取ることで納得してしまうというこれまで身に着けてきた読むという慣習から、なかなか抜け出すことができない。そしてもしそうであるなら、本書は読むことは、「高秉權の認知」を、知識として知ることとなり、また記されている具体的な実践を、事例として知ることにとどまることになるかもしれない。そしてこの時の知るという動詞は、依然としてこれまでの知のそれである。「黙々の認知」は新しい知を目指すが、この本を読むことが逆にその試みをこれまでの知の中にファイル化することになりはしないだろうか。
しかし私は本書が、そこかしこで場を生み出し、実践に結び付いていくことを考えたい。くりかえすがこうした場や実践は、様態において重なりはするが、決して同じ場でも実践でもない。そしてだからこそ、本書がこうした場や実践に結び付いていくには、「高秉權の認知」といったときの「の」という所有格を、解体していく作業が必要になる。
もとめられているのは、「黙々の認知」を場として確保するということだ。認知を場として確保するという、いいかえれば知るという営みが場を生み出し、場が知るという営みそれ自体でもあるという、知ることと場という異なるように思える二つの文脈を往還する運動が、本書の前提として存在している。すなわち新たな知の姿は、この往還運動の中にあるのであり、本書でも指摘されているように、それは正しさや責任に直結する倫理的命題ではない。しかしこの知るという営みと場を往還する運動は、本書において記されていないように思う。あえていえばこの運動は、本書を読む者一人ひとりの生きる場にゆだねられているのであり、したがって私が説明することでもない。
ただいえることは、知とは何かというよりも、やはり場が問題なのだ。暴力にさらされ遺棄される生を前提にしないという場をどう作り上げるのかということが、まずもって重要なのだ。そこは、「不在」を存在しないこととして消去することにより成り立つ関係でなく、「不在」とともに生きていくことにおいて生まれる新しい出会いに満ちている。知の姿を問う前に、こうした関係や出会いをなかったことにしない場を確保することが、まずもって重要であるように思う。
またそこは、明日を生きようとする「私」から発せられる「いつ出られますか?」という声が当たり前のように響く、生が復帰の手前で待機する場なのだ。また絶望や無力感を、隠すことなく語れる場でもあるだろう。そのときの言葉は、沈黙かもしれないし、身振りかもしれないし、表情かもしれない。そしてこうした言葉の区分があいまいになり、別の言葉の姿が登場することになるだろう。またこうした動きは、本書でもふれられているように、無意味に思える言葉が場において意味を担い始めることでもあるだろう。
だからこそ言葉は、落書きでもいいのだ。いやまずは落書きこそふさわしい。そしてこうした言葉たちにより、関係が作られ、場が生まれる。さらにこうした場に新たな生が参加することにより、また言葉とともに関係が生まれ、場は更新され拡散していく。場の展開を担うのはこの参加だ。そしてこの参加とは、すべて生に居場所があるということにかかわる行為であって、資格や責任、能力や知識の量といったこととは全く無縁だ。
知とは、こうした場で生起する出来事や言葉たちを注意深く吟味する作業であり、またそこかしこに生まれるこうした場たちが、どのようにともにあり続けることができるのかという極めて具体的な問いにかかわることなのだろう。そして知は、場の動きを予測したり計画したりすることではなく、動きに遅れて登場するのであり、したがって急ぐ必要はない。

 

 

注1 この認知(reconnaissance)には、英語における偵察という軍事的意味ではなく、フランス語の、承認や状況を再認識するという意味を込めている。フランツ・ファノンの『黒い皮膚・白い仮面』(みすず書房、1970年)の第7章「ニグロと認知」に対して、訳者である海老坂武は「白人―黒人の相互認知の要求であり、これを拒否する者への闘争宣言である」とのべているが(海老坂武『フランツ・ファノン』みすず書房、2006年、253頁)、そこでの認知とは、関係や状況を再認識し、自らの態度や姿勢を確認し、次の行動に結び付けていくような一連の動きの中におかれた言葉でもあるだろう。ちなみにこの第7章の末尾は、「人間をして作動的(actionnel)ならしめること」とある(同書、138頁)。また同書の原著の第二版(1965年)には、ファノンの死後に書かれたフランシス・ジャンセンによる文章が付加されているが、ジャンセンは、ファノンの生涯の活動とすべての著作をふまえたうえで、その表題を「ファノンの認知」としている。

注2 高秉權『黙々 聞かれなかった声とともに歩く哲学』影本剛訳、明石書房、2023年、103頁。
注3 同、220頁。
注4 影本剛「訳者あとがき」(同、248頁)
注5 정희진, <페미니즘의 도전>, 2020, 개정증보판, 교양인, 31쪽。また鄭喜鎮(チョン・ヒジン)はこの「絶望」を、別のところで「生産的絶望」とも述べている。すなわち「希望は安住しない生から生まれる。…これは、絶望だけがもつ可能性だ。根拠のない希望より生産的な絶望が必要なのである」チョン・ヒジン「被害者アイデンティティの政治とフェミニズム」クォンキム・ヒョンヨン編『被害と加害のフェミニズム』影本剛、ハン・ディディ監訳、解放出版社、2023年、242頁。
注6 高秉權『黙々』(前掲)、22頁。
注7 同、90頁。
注8 注の6を参照。
注9 同、213頁。
注10 同、218頁。
注11  同、218頁。
注12 ファノンのいう「敵意を含んだ自然(la nature hostile)」を念頭においてる。ファノンは、植民地化を「一つの領域を占拠すること」としたうえで、植民者であるフランス人以外の存在が「自然の背景布」になることだと述べている。そしてこの自然の手前の状況を「敵意を含んだ自然」とよんでいるのだ。フランツ・ファノン『地に呪われたる者』鈴木道彦・浦野衣子訳、みすず書房、143頁。
注13 太田昌国「大道寺将司『最終獄中通信』に寄せて」大道寺将司『最終獄中通信』河出書房新社、2018年、315-316頁。
注14 高秉權『黙々』(前掲)、140頁。
注15 同、148頁。
注16 影本剛「訳者あとがき」(同、247頁)。
注17 同、35頁。
注18 同、122-123頁。
注19 同、2頁。
注20 同、23頁。