火曜会(第38期)の予定
火曜会(第38期)は終了しました
火曜会第38期
(2022年秋)
同志社大学烏丸キャンパス志高館
SK214
15時より
2022年10月5日
冨山一郎
Ⅰモノローグにつつまれてしまう前に
信頼できる精神科医の一人に、高木俊介さんという人がいます。高木さんは、早くから出前診療と地域医療にとりくんできました。ACT-Kという(Kは京都)医療グループを作り、医療と精神疾患を持つ人の支援に取り組んできました。個人的にもよく知っていて、「心神喪失者等医療観察法」をめぐって話をしてもらったこともあります(「保安処分の新展開」『インパクション』141号、2004年)。
その高木さんがいまとりくんでいるのが、「オープンダイアローグ」という医療実践です。これについては、いくつか高木さん自身が本を出しているので、よければそれを参照してみてください(たとえば『対人支援のダイアローグ』金剛出版、2022年)。で、夏の間読んだ高木さんのものを読んだのですが、医療に限らず、言語的実践として受けとめることがありました。火曜会の初めにはいつも火曜かとは何かという問題を少しでも考え、提起をしたいと思っています、ここではこのことを書いてみます。
高木さんは、薬学中心の精神医療から、社会構築の精神医療を今めざしています。「新しい共同体」あるいは「共同体の再生」というやや古めかしい言葉を使っていますが、そこには病が社会的なものであり、新しい社会性の創造こそが治療という実践であるという、かつてフランツ・ファノンやフェリックス・ガタリなどがとりくんだ「治療共同体」に通じる内容が含まれています。そういう意味では、患者を直すというより、社会をつくる実践といってもいいかもしれません。また広い意味での精神医療の実践の中には、こうした潮流が少なからず存在します。
高木さんの文章「「トラウマ時代」の対人支援とオープンダイアローグ」を念頭に、高木さんがなぜいま「新しい共同体」ということをいいだしたのかを考えてみます。「トラウマ時代」という何気ない言葉は、上尾真道のいう「プレ・トラウマティック・オーダー」という概念から引かれています(上尾真道「プレ・トラウマティック・オーダー:現代の一般化したトラウマについての試論」田中雅一・松嶋健編『トラウマを生きる』京大出版会、2018)。それは傷つくことを予め察知し、それを避けようとする社会のありようです。いいかえれば傷を与える力が日常的に存在しまたすぐ近くに迫ってきているということでもあるでしょう。あるいは、自分が傷つくかもしれないという怖れが社会に蔓延する事態ともいえるかもしれません。それは社会に暴力がせり上がってくる事態ともいえると同時に、それを察知する言葉として「トラウマ」ということばそこかしこに広がっているということだと高木さんはいうのです。
危険にさらされている恐怖は言葉においては、なかなか言葉が見つからない恐怖でもあります。あるいは言葉がないがゆえに怖れるともいえるかもしれません。ただしこのことがないとは、表現上の問題というよりも言語上の秩序の問題として考えてみたいと思います。たびたび参照しているバトラーの「予めの排除」も、言葉でどうあがいてもどうしようもないということが危険にさらされている感触につながっています。「発話可能性が予め排除されているときに主体が感じる、危険にさらされている(at risk)という感覚」なのです(バトラー『触発する言葉』)。いいかえれば「プレ・トラウマティック・オーダー」あるいは高木さんのいう「トラウマ時代」とは、予めの排除にさらされる恐怖が広がり、暴力がせり上がってくる社会のありようとして受けとめることができるかもしれません。
傷つくかもしれない恐怖は、自分は安全だという分類技法を生みます。私はあの者たちとは違うという保身。あるいは逆もあるでしょう。自分の傷は、あの者たちにはわかるはずがない。それはあからさまな排撃になることもあり、あるいは高木さんが取り組む支援の場の問題としても登場すると高木さんはいいます。支援者と傷ついた被支援者の区分です。また安全を引き受けるふりをする強力な権力も登場するかもしれない。〇〇人の安全だけは守るというわけです。こうして社会は、個人であれ集団であれ、モノローグに包まれていきます。
高木さんのいう「オープンダイアローグ」は、こうした流れに対して共同性を構築していく運動としてあります。「互いが理解しあえる言葉をダイアローグによってつくりあげることで、両者の間に新しい現実を作り上げる」のです。患者を直して社会に戻すのではなく、社会を構築する運動としての医療とでもいえばいいのでしょうか。またモノローグの底流には恐れがある以上、ダイアローグには話でも大丈夫ということが帯電するでしょう。MFEの編集委員である沈雅亭さんが、よく、「安心して議論のできる場所」といっていたのを思い出します。
私事になりますが、大学との付き合いも今年を入れてあと5年です。火曜会にそくしていえば、そのあと火曜会をどうしていけばいいか時々考え始めています。そのようなことを考えながら、高木さんの文章を読んだ次第です。高木さんとは同年代ということもあるのですが、社会を構築する運動としての研究ということはあり得ないか考えています。
Ⅱ進め方について
(1)火曜会の構造
火曜会の場は、三重の構造になっています。まずメーリングリストにおいて表現される場ですが、これ火曜会で議論をした経験を持つ人々において構成されています。人数は100名を超え、また東アジアや北米だけではなく、ヨーロッパ、北欧、北アフリカにまでひろがっています。こうした広がりの中で、定期的な火曜会が開かれています。またそうであるがゆえに、時々、「「言葉を置く」ためにやってくる旅人のような存在」(西川さんの「火曜会通信」89号http://doshisha-aor.net/place/619/)として、登場する人々がいるのです。来れた二つ目の領域、最後が直接対面で行われる火曜会です。こうした三重構造(間の旅人は構造というより流動系ですが)になっています。
また火曜会は「アジア比較社会論」「現代アジア特殊研究」でもありますが、さらに対外的に使える形式として次の三つがあります。一つは、火曜会を同志社大学<奄美―沖縄―琉球>研究センターによる「定例研究会」の通称としても使えるようにしています。また今期でしたら定例研究会(第38期)としたいと思います。研究センターの定例研究会、通称「火曜会」です。
もちろんこのような名称を用いるかどうかは、自由です。基本的には「火曜会」は「火曜会」なのであり、カリキュラム上の科目でもなく、「定例研究会」でもありません。ただ擬態を用意しておこうという訳です。
(2)すすめ方
事前に文章を読んできた後、一人ひとり順に注釈やコメントを話すようにしています。このやり方において見えてきたのは、言葉が堆積していく面白さです。しかもその言葉たちが、順に回すという力によってなされているので、しばしば「無理にでも」話そうとするという性格を帯びるため、ある種の受動性が能動性に転化していくような出発点を一人一人の言葉が担っているような感触もあります。すべての参加者の「私」が出発点になっているのです。こんな言葉が、私たちの前の空間に次から次へと降り積もっていくのが、面白いのです。あたかも一人ひとりが参加してノミをふるい、批評し合いながら一つの彫刻を作り上げていくような感覚です。火曜会ではディスカッション・ペーパーを前にした平等を前提に、一人ひとりが報告者であり、彫刻者です。
ただ問題もあります。次の展開、すなわち一人ひとりが一通りコメントし終わった後の全体として議論を進めるのに時間がかかるという問題です。この時間にかかわって二点提起します。
ひとつは一人ずつのコメントについて以前から「パス」ということを気軽にいおうということが提起されています。これは続けたいと思います。また最初の注釈やコメントを、最初の「読む時間」において各自できうる限り考えを準備しておくように心がけるというのもいいかもしれません。
いま一つは、コメントの後の議論のすすめ方です。雪だるま式に積もっていくコメントを議論にするのは大変です。またあせってすすめると多くの場合論点が見失われることがおきます。これをできるだけ防ぐのは一つには司会の役割ですが、司会だけではなく参加者が目の前に堆積したコメント集合を丁寧に彫刻していくことが重要です。
(3)ディスカッション・ペーパーの配布について
ディスカッション・ペーパーは事前に配布します。前の週の土曜日までにMLで配布してください。また上に述べた火曜会の構造にもかかわりますが、配布をMLでおこなうことは、かなり大人数に文書をくばることになります。これにかんして「誰が読んでいるのかわからない」「勝手に引用されたら」といった危惧があるかもしれません。ただ他方で、「議論の場に居合わせることがなくても、あるいは直接お会いすることはなくても、メーリングリストを通じて、既知の人、未知の人が、どこか別の時に、別の文脈で、このペーパーを読んでいるのかもしれない」(前述の西川さんの「火曜会通信」)というのは火曜会の広がりでもあり、またこのひろがりにおいて、先に述べた「「言葉を置く」ためにやってくる旅人のような存在」が確保されているともいえます。まずはペーパーの無断引用厳禁ということを再確認しておきたいと思います。
(4)精読会
11年前に火曜会の中で「精読会」というのを提起したことがあります。その時の文章を火曜会のHPにアップしています(「火曜会の中に精読会の増築を提起する」http://doshisha-aor.net/place/173/)。よければぜひ読んでください。内容は要するに本読みですが、火曜会の中でそれをやることの意義を考えました。前期から意識的に復活させましたが、今期もこの精読会を続けたいと思います。
(5)司会についてなど
第34期から司会を回り持ちにしています。今期も報告者が事前に司会者を指定することにしたいと思います。司会をどのようにやるか、たとえば積極的にコーディネイトするかどうかは、司会者におまかせします。そのうえで司会については、上記の(2)の最後で述べたように、コメントから議論へという展開をどうするのかということにおいて、少し意識的に考えてほしいと思います。またそのためには司会になった人は、全体のコメントに注意を向ける必要があります。
Ⅲ『火曜会通信』
火曜会にかかわる様々な文書は、http://doshisha-aor.net/place/644/に収められています。火曜会が初めての人はぜひアクセスしてみてください。これまで火曜会で何をしてきたのかということがわかります。また『火曜会通信』というものがあり、それは火曜会での毎回の議論をふまえた『通信』です。しばしば『通信』を楽しみにしているという声が届きます。それは上記の火曜会の構造の第一の層にもかかわるでしょう。前回の火曜会で、この『通信』をもっと充実させようと提案しました。すなわちディスカッション・ペーパーへのコメントを、文章でも行えるようにして、それを『通信』にするということです。ですが結果的には、この一年あまり『通信』自体を一度も出せていません。
Ⅳ雑誌『MFE』について
ようやく動き出した雑誌『多焦点拡張 MFE』です。http://doshisha-aor.net/mfe/742/
創刊準備号を入れて二号まで出ました。現在第三号の編集作業中です。
「MFE」は「多焦点的拡張主義(Multifokaler Expansionismus=MFE)」の略語です。この言葉は、1960年代後半に西ドイツのハイデルベルク大学医学部精神科の助手や患者を中心に生まれた社会主義患者同盟(Sozialistisches Patientenkollektiv=SPK)が遺した言葉で、それは、「精神病」が体現する禁止の領域を人々が集まる場所(暖炉)に変えていく運動を意味しています。また「焦点(fokus)」という言葉には、禁止と暖炉の二つの意味が重ねられています。とても乱暴にいえばそれは高木さんたちの活動と通じるものがあるように思っています。またここでいう拡張、すなわち広がるということとは、同質な多数派を構成していくことではなく、自らの住まう既存の世界がその存立前提として禁止してきた領域を問い、禁止された領域とともに変わっていく運動としてあります。また焦点とは、このような既存の世界の前提を問う動態の中で見出される場なのです。
SPKについては詳しくは冨山の『始まりの知』を読んでいただきたいのですが、ともあれ学の領域や区分にかかわる言葉ではなく、禁止を暖炉に作り変え続けていく運動(expansionismus)を、雑誌名に掲げました。それは、雑誌『MFE』が担う、思考の場の新たな生成と連結が、既存の世界の前提を問い続ける運動になると、確信しているからに他なりません。
Ⅴ予定
以下の予定にある表題は仮のものです。直前にそれぞれの報告者から直接アナウンスをしてもらいます。
10/12 雑誌『沖縄公論』にみる国際交流と経済的自立の論理
報告者 島袋琉
10/19 中間報告会のためありません。
10/26 冨山が国際会議「女性人権と平和国際会議」(ソウル)出席のためありません。
11/2 暮らしと運動
ー山代巴が見つめたカタツムリー
報告者 山本真知子
11/9 名誉をめぐる抗争
―D・グレーバーをてがかりにー
報告者 高橋侑里
11/16 立命館大学中国研究会の残存資料を読む
―1960年代から70年代にかけてー
報告者 姚一鳴
11/23 1960年代から70年代におけるイタリア既婚女性の告発
報告者 姜喜代
11/30 マンガ「ながい窖(あな)」(手塚治虫 1970年)を読んで「在日」の現在地を考えてみる
報告者 李真煕
12/7 例外としての生
―戦後日本における「在日」の人種化-
報告者 南宮哲
12/14 日本における軍用犬の歴史
報告者 内藤あゆき
12/21 人の名前とアイデンティティとジュンパ・ラヒリ
報告者 山口沙妃
炭鉱と女性を研究する
報告者 姜文姫
1/11 キッチュと少女
報告者 手嶋彩世子
1/18 安心して話せる場所について
報告者 佐久川恵美
1/25 ハワイの初期移民者を通じて見る差別の重層性とマイノリティの連帯の可能性
― 朝鮮人と沖縄人を中心にー
報告者 金美佞
この日は大打ち上げパーティ
Ⅵその他
金曜3限 色川大吉の自分史を読む
金曜4限 森宣雄『地のなかの革命』を読む