火曜会

火曜会は、言葉が帯びる身体性を押し隠すのではなく、それを多焦点的に押し広げることこそが研究行為ではないか考えています。また研究分野の境界は、分野の前提を再度議論する中で、連結器になるとも考えています。

共に考えるということー「火曜会」という構想(13)

2015年8月26日、27日、同志社大学において開催されたスユノモと火曜会の合同のワークショップのために執筆した原稿です。火曜会という場について考えました。

 

共に考えるということ―動詞的思考、あるいは遅れて参加する知のために―

冨山一郎(火曜会)

 

『土曜日』は人々が自分たちの中に何が失われているかを思い出す午後であり、まじめな夢が瞼に描かれ、本当の智慧がお互に語合われ、明日のスケジュールが計画される夕である。はばかるところなき涙が涙ぐまれ、隔てなき微笑みが微笑まるる夜である(『土曜日』創刊号、1936年7月4日)

 

Ⅰ言葉が始まる

通じると思っていた言葉が次第に無効になり、とうとう停止してしまった。さて、どこから始めようか。言葉が停止し、そして言葉が始まる。この始まる言葉は、停止した言葉と同じ次元で考えることは出来ないのではないか。停止と始まりは、同じ線上にはないのではないか。停止はただの停止ではなく、既に次元を異にした始まりでもあるのかもしれない。だとするなら、始まりだした時間とは何だろうか。それは停止してしまった時間が指し示す線上とは異なる未来の始まりなのかもしれない。

言葉の停止には二つの論点がある。一つは規範的、あるいは制度的判断において語ってはいけないとされる言葉の領域にかかわることだ。検閲というのもそうだ。それはまた、言葉の世界の秩序でもあるだろう。またこうした秩序への批判として、たとえば表現の自由といういい方もあるのかもしれない。しかし何を表現とみなすのか、そして何を言葉とみなすのかという問いが、やはりある。これが二つの目の論点となる。

それはいわば言葉の外部、あるいは言葉とみなされない領域にかかわることだ。またいいかえれば、この外部が設定されることにおいて、言葉自体は存立しているのであり、語ること、あるいは語る主体そのものが、この外部を前提することにおいて成立しているともいえる。またこの外部は、言葉としてみなされていないがゆえに検閲の外であり、表現の自由の外でもある。それはいわば予め排除された領域であり、この「予めの排除」[1]を前提にすることにより、言葉それ自体と語る主体が成立しているのである。いいかえればそれは、常に既に存在する外部性といってもいいかもしれない。

そして言葉の停止には、一つ目の論点であった規範的あるいは制度的な判断と同時に、この予めの排除、あるいは外部性が入り込んでいるのである。そして今日考えたいことは、この予め排除された外部と言葉との新たな関係である。いいかえればそれは、外部を設定して既存の言葉の秩序を説明することではなく、その外部と言葉の新たな関係ということだ。これが先に述べた、始まりということにかかわっている。

だがもう少し議論が必要だ。ここでは言葉の外部という一般的な設定を、話しているのに話しているとはみなされない状況として考える[2]。すなわち言葉がないという外部にかかわる一般規定ではなく、語っているのに語っているとはみなされない、言葉を発しているのにそれが言葉とはみなされない事態が、社会にせり上がってくる具体的状況としての言葉の停止である。通じると思っていた言葉が次第に無効になり始め、同時に状況は言葉とは無関係な力において展開し始める。何をいうかではなく、言葉自体がないがしろにされ無効になり、停止するのだ。

それは、言葉の意味内容における語ってはいけないこととは異なる。またかかる意味で言葉の停止と再開は、発話の再開ということよりも状況の再構成でもあるのだ。予め排除された外部と言葉との新たな関係とは、状況がいかに新たに構成されていくのかということにおいて問われなければならないのであり、かかる再構成からすれば言葉の停止は、状況の始まりでもある。またかかる構成の起点になるのは、言葉の単なる停止でもまた始まりでもなく、言葉が意味の伝達を放棄し、あたかもモノのように状況に漂っている事態なのかもしれない[3]。いずれにしても、言葉の停止を新たな状況に向けて開いていきたいと考えている。先取りすれば、これが共に考えるということなのだ。

2月のスユノモでのワークショップでは、話しているのに話しているとはみなされない言葉の停止を、尋問が支配する状況として考えようとした。したがって言葉の再開は、尋問が支配する状況を新たに再構成していくこととしてある。ところでこの尋問では言葉は言葉の内容ではなく、ふるまいとして判断され、何を語るかではなく、語る行為そのもの、あるいは語る身体自体が危険に曝されることになる。話しているのに話しているとはみなされない、言葉が次第にこのような状況におかれ始める。あるいはそれが常態化する。それが尋問である。それは暴力が秩序の軸にすえられていくことでもあるだろう。言葉が社会を担うことをやめ、同時に問答無用の暴力が社会にせり上がり、秩序を担うのだ。

この状況は、いま世界に蔓延する、路上に戦車が常駐し社会にボーダーを打ちこみ続ける戒厳状態かもしれない[4]。あるいはそれは、何を説明しても、「他者は身ぶりや態度や眼差しで私を着色する」[5]ような植民地状況かもしれない。あるいはそれは、「沖縄語ヲ以テ談話シアル者ハ間諜トミナシ処分ス」とされる戦場かもしれない。そこでは発話はスパイの身ぶりとしてのみ了解される。あるいはそれは、「おい、貴様、ジュウゴエンゴジツセンといって見ろ!」(壺井繁治「十五円五十銭」『戦旗』1928年9月号)という尋問の場面かもしれない。そこでは言葉は、殺してもいい暴徒であることを示す動作となる。それはまた、いかなる言葉も許されず、「黙って野たれ死ぬ」ことを想定されている人々のことだろう。あるいはそれは、何をいっても、病状としてのみききとられる精神「病」者の日常かもしれない。

また他方でそれは、饒舌な言葉の世界でもある。ある発話が動作として制裁の対象なる一方で、軍命の反復が大声で求められる軍事教錬。あるラインを越えない限り、饒舌に語りうる世界。それはまた自由に話ができると思い込んでいる学者の世界かもしれない。あるいはまた、ここから進むなという機動隊の命令を、当然のこととして受け入れている言葉の世界の饒舌さかもしれない。あるいは、決められた笑顔とともに発せられる「いらっしゃいませ」という発話以外は、いかなる言葉もさぼっている身ぶりとみなされる職場かもしれない[6]。そしてこの均質な言葉の饒舌さの傍らには、問答無用の暴力が支配する領域が常に既に存在している。

だからこそ次のように問いを立ててみたい。饒舌な言葉を発するたびに、どこかでラインに気がつかないだろうか。自分の言葉はラインを越えているのではないかという不安はないのだろうか。本当に自らの言葉は問答無用の暴力に曝されてはいないか。程よくライン内におさまっているか。失敗はしないか[7]。自分の言葉が完璧に守られていると思い込むのではなく、どこにいようと失敗しうる可能性があるのだということから、議論を始めてみたい。その時言葉を発することは、問答無用の暴力を感知する神経系にもなるだろう。

ファノンはアルジェで尋問を受けた際、この暴力を感知した。「しばしば私は、アラブ人と間違われ、白昼、警官に尋問された。私の生まれを知ると、彼らは急いで弁明するのだった。『マルチニック人とアラブ人が違うってことは、われわれもよく知っていますよ』と」。こうファノンが述べる時、身柄を拘束しようとする警官の暴力が、自分がマルチニック人であるという説明において回避できないことを感知しているのだ。すなわちファノンが感知しているのは、間違われる危険ということではない。感知しているのは、自らの場所が既に何かを予め排除しているということであり、そこに働く暴力に自分の身体も曝されているということなのだ。

この間違われるということにかかわって、次のような弁明のフレーズをたててみよう。もし〇〇なら仕方がないが、私は〇〇ではなく□□だ。だがこの〇〇には、アラブ人という名前のみが入るのではない。そこには犯罪者、テロリスト、異常者といった領域が重層的にかつ遡及的にひろがっている。ファノンを尋問した警官によって先どりされた、〇〇に間違われないように説明するという暴力を回避する弁明のフレーズは、アラブ人に間違われないよう、テロリストに間違われないように、異常者に間違われないようにという弁明の連なりでもある。そこには、連なりながら登場する複数の〇〇を区分けしながら成り立つ共同性が創出されているだろう。この共同性は〇〇と□□の区分の繰り返しにおいて分割されており、そこにはファノンが感知した問答無用の暴力は、いつも待機中である、間違われないようにということでは、回避することは出来ないのだ。「自分がいくら弾圧される人間ではないといいはったところで、警察とは友達だとアピールしたところで、弾圧される時はされるのだ」。またこうした共同性においては、たとえ○○に「人間ですらないもの」[8]がはいろうと、問答無用の暴力は常に既に存在し、待機している。

この○○ではないということにおいて回避できない暴力は、逆にいえば○○ということにおいて運命づけられているわけではなく、したがってまた□□になるということにおいて脱出できる訳でもない。暴力は□□であるといういい方においては回避できないのだ。間違いであるといって回避できるものでもなく、また運命でもない暴力。ファノンが感知したのはかかる暴力に他ならない。そして私たちは2月のセミナーで、この分割において構成される共同性とは異なる世界の為に、かかる問答無用の暴力に曝されている受動的状況を、始まりの地点としたのである。また臆病者とは、かかる受動性を体現したものであり、始まりの宣言だ。私たちはみな臆病者だ!

少しこの臆病者の受動性について、述べておきたい。この受動性には二つの含意がある。受動性が確保するのは、言葉が停止する場所からの再開であり、始まりである。そしてこの始まりにおいては言葉の領域が保証されているという前提はない。○○だからといって暴力に曝されるべきではないといった、ありがちな議論が再開ではないということだ。また〇〇への暴力を許さないといった公共的知識の言語空間を想定してはいないということでもある。言葉はあくまでも臆病者の身体から始まるのだ。

そしてこの○○や□□こそ、既存社会の集団を形作り、社会を語る範疇を作り上げている類的な同一性を持つ、李珍景さんのいう「存在者」[9]なのだろう。したがってこの受動性の重要な第二の含意は、それがこの「存在者」から離脱し別物になるというプロセスにかかわっているということだ。今日議論していきたいことは、このプロセスにかかわる言葉の姿であり在処である。それは〇〇ではない、まだ〇〇ではない、〇〇であることを許すなということではない。あるいは日本はまだ〇〇ではない。日本を〇〇にするな、ではない。あるいは、□□を守れでも、さらには○○を救え、でもない。

だがこの類的な同一性をもつ「存在者」において分割された世界に、再開される言葉は依然として囚われている。またその言葉の分割は、実の多くの知識や制度において守られている。しかし守るべきものは既になく、言葉がよって立つ制度も、既に崩壊しているのではないか。類的同一性が消え入り、既に何者かが動き出しているのだ。くりかえすがそれは、問答無用の暴力が秩序を担いはじめる戒厳状態でもある。そしていま求められているのは、戒厳状態の中で言葉を始めるということなのだ。「黙って野たれ死ぬ」のではなく、言葉を始めるのだ。

その始まりは、言葉の停止であり問答無用の暴力がせり上がってくる事態だろう。しかしこの事態をファノンが「自らをモノとなす」[10]と述べ、さらにそれを「身構える」[11]と述べる時、やはりそこでは、言葉が剥奪された位置におかれた存在が、新たな主体と言葉の始まりとして確保されていることを忘れてはならない。言葉の停止は同時に、尋問が支配する戒厳状態においても言葉を手放さないことでもあり、語れないだけではなく、やはり、語らないのだ。饒舌な言葉においては語れない何ものかは、問答無用の暴力を予感しながら、自らをモノとなすことにおいて既に話し始めている。この既に始まっている言葉の在処から議論を始めよう。それを、状況を構成するプロセスとして考えよう。名詞的に定義された「存在者」において区分された饒舌な言葉に満たされた世界においては言葉とはみなされない領域から、すなわちただ身構えている領域から、言葉が始まるプロセスを、新たな主体が生まれることを、そして状況が構成されることを、確保すること。動詞的思考とはこのことだ。以下そのための要点を述べていく。

 

Ⅱ討議する―思惟と言葉の間

類的同一性の中にいる「存在者」から別モノが動き出す。それを「存在」とよんだ李珍景さんが重視したのは、巻き込まれることであり、出会いである[12]。その出会いという出来事からはじまる「思惟の言語」。それは、「私が慣れ親しんだ世界の呼びかけにわたしを任せるような存在論ではなく、わたしがわたしと別の世界に属すると思ったものたちに、取るにたらずたいしたことものないものたちに、避けがたく遠ざかりたいものたちに、いつの間にか巻き込まれ、私が属していた世界を離れさせる、そのような存在論」である[13]。私はそこにさらに、他者との関係という問いを重ねてみたいと思う。「話すとは、断固として他人に対して存在することである」[14]。このことを焦点化するために、思惟と言葉の間にある決定的な転轍に、焦点をあててみたい。

言葉を発することには、他者に対して類的同一性にある「存在者」としての私の内部にひそむ別の存在が主張しはじめ、自分が分からなくなり、既存の私が台無しになる事態がいつも含まれているのではないだろうか。それはバトラーが自分自身を説明するということにおいて、まだ見ぬ他の存在により自分自身が台無しになることを、「呼びとめられ(addressed)、求められ、私でないものに結ばれるチャンスでもあり、さらに動かされ、行為するように促され、私自身をどこか別の場所へと送り届けようとし(address myself elsewhere)、そうして一種の所有としての自己従属的な『私』を明け渡していくチャンス」と述べたこととも関わる[15]。

思惟することとは、私の思惟を書くということであり、話すということである。すなわち思惟は何を思惟するのかということだけではなく、書くあるいは話すといったことにおいて自分自身を説明することとしてあり、それは私が「私でないものに結ばれるチャンス」なのだ。したがって何を思惟するのかという問いに、いかにこのチャンスを逃さず思惟を続けるのかという問いを重ねる必要がある。そしてこのチャンスは、名詞的「存在者」である私が台無しになる(become undone)ことなのだ。あえていえば思惟は言葉との関係において失敗するのだ。そしてそこには、もう一つ別の思考がうかびあがる。この思考は失敗の後で、遅れて参加するのである。説明出来ないことがあらわになった状況から始まるのだ。この思考に向けて動き出してみたいと思う。それはまさしく「どこか」に向かうプロセスにかかわる思考であり、このプロセスを確保し続ける動詞的思考である。「どこか」に向かうのは私ではない。台無しになる中で出会う誰かと共に向かうのだ。そこに共に考えるということを確保したい。

この台無しになるプロセスを言語一般のことではなく、具体的状況において考えるために、饒舌な言葉の氾濫の中で言葉が停止していく1930年代の日本社会におけるある議論を検討してみたい。それは中井正一の1936年に書かれた「委員会の論理」と題されたものである[16]。この文章は、公的な言論空間が既に存在せず、問答無用の暴力が社会にせり上がり秩序を担うという状況の中で、いかにして言葉の在処を生み出し、言葉を再開するのかという問いの中で書かれたものである。そして中井も思惟とそれを話すこと、あるいは書くということの間、すなわち思惟と言葉の間にこだわっている。思惟と言葉の関係は、一般的には知識人による思惟の伝播あるいは啓蒙として理解されるかもしれない。それは今日の、大衆に正しいことを訴えようとするいわゆる良心的知識人においても共通している。しかし彼はそこに、思惟から「問い」へという転換を見るのである。

思惟において確信したことを言葉において主張することは、その確信が問いへと変わることであり、ある種の否定性、あるいは外部性を抱え込むことなのだ。「すべての主張は一つの問い」なのだ[17]。すなわち思惟による確信を言葉にすることは、どうすることもできない外部性に自らを曝すことであり[18]、それはバトラーの「台無しになる」ということでもあるだろう。そしてまさしくこの問いにおいて、中井は討議という言葉を用い、さらにはその要点を審議性という言葉で表現する。思惟が台無しになる中で、私ではないものに結ばれるチャンスが到来するのだ。これが討議であり審議性に他ならない。いいかえれば、李珍景さんがいうような、複数の出会いがわたしの口を介して言わしめる「思惟の言語」は、不断に討議の中にある。この討議に滞留する言葉たちは、声であり、歌であり、身ぶりであり、記憶であり、モノなのかもしれない。そこでは聞くこと読むことが、視ることと重なり合い[19]、語る時の表情、あるいは声の響き、その時の空気の色などが討議における審議性を確保する。そしてその中において思惟が台無しになっていく。討議はやはり、スカイプやメールによる伝達ではまったくダメなのだ。そこには合意を急ぐ、せっかちで均質な集団しか生まれない。

「存在」が言葉を持つプロセスは、この討議に看取されるある種の集合的で身体的な展開ではないだろうか。それはまた思惟が別物に変わっていくプロセスであり、このプロセスを確保し続けることが、討議であり審議性なのではないだろうか。「個人の思弁なるものは集団では委員会的討議なのだ」[20]。「存在」が語り出す時、思惟は問いとなり、判断は中止され、問いは審議性の中で関係を生み出す媒介となる。だからこそこの審議性において特徴づけられる討議は、意見の一致や準備された正しさの啓蒙において維持される集団を意味しない。言葉が外部に曝され、自分が台無しになる中で、それでも「どこか」に向けて言葉にかけようとする構えにおいて登場し継続する集合性である。私の思惟は、討議において「どこか」に向かう集団的思考となるのだ[21]。

またこうした中井の議論は、ファシズム的状況において理解する必要があるだろう。中井がいうようにこの時期は、「人々は話し合いはしなかった。一般の新聞も今は一方的な説教と、売出し的な叫びをあげるばかり」なのだ[22]。「売り出し的」な饒舌な言葉の氾濫の中で、問答無用の暴力が状況を支配し、言葉の停止が進んでいく。話しているのに話しているとはみなされず、ただ「アカ」を意味する行為として見なされ、問答無用で拘束されていく。そして繰り返すが、それは今の状況でもある。話す場所が準備されていると思い込むラインを越えない饒舌さと、話しているのに話しているはみなされない問答無用の領域の共存である。

その中にあって中井は、別の始まりを討議にかけたのだ。またその討議は、彼と彼の仲間たちが作成した『土曜日』という新聞、あるいはダンスパーティーと共にあった[23]。「集団は新たな言葉の姿を求めている」[24]。戒厳状態の中で「存在」が語り出したのだ。しかも集団的に。それが彼のいう討議ということに他ならない。そしてこの討議は中井の場合、治安維持法という問答無用の暴力の対象にもなった。1937年11月8日、中井は京都府警により検挙される。

思惟と言葉のあいだを凝視し、問いを確保すること。それはファノンが、「方法は、植物学者や数学者にくれてやろう。方法が吸収される一点があるのだ。私はこの一点に身をおきたいと思う」と述べたことでもある[25]。この一点は、言葉が停止し、既存の知的作業が停止する場所だ。いいかえればそれは、思惟が言葉において台無しになる点であり、次の思考は、すなわち遅れて参加する知は、この一点に身おき続けることから始まる。ファノンにとって学知は、類的同一性により区分された世界における自らの位置を真理の名において追認し補強してく作業としてあった。学知は区分された世界を反復しているのである。そしてそれはファノンだけの問題ではない。

「新たな言葉の姿」に向かうのに、なぜ思惟は中断されなければならないのか。それは言葉の停止を新たな状況に向けて開いていく際に、障壁となる研究行為自体にかかわる。すなわちここでいう障壁とは、言葉にできないということを言葉で説明する研究者の薄っぺらさであり、あるいは言語の外部をただ研究という名目で言語的に説明してしまう気持ち悪さであり、あるいは無意識を設定して見事に説明を加える研究者の傲慢さである。そこには、いかに正しく説明できるかをめぐって争うくだらなさがある。だがそれだけではない。こうした説明の傲慢さを批判することが、過度に理論的であるという言葉において粗雑にかつ一挙的になされる時、そこには別の傲慢さも登場するだろう。すなわち理屈ではない生の現場を私は知っているというわけだ。そこに運動現場ということばをいれてもいいかもしれない。

両者は理論と現場という対立を演出しながら、障壁を作り上げる。すなわちどちらにも共通しているのは「言葉の外部を私は知っている」ということだ。また両者の知は、あの「知っています」とファノンに告げた尋問者の知識と極めて似ている。またさらにそこに浮き上がるのは、理論であれ現場であれ、その知っていることをめぐってどちらが正しいかを争う風景であり、何が価値ある研究かの序列を争う姿でもある。もしこのような風景や姿が討議ということなら、言葉の停止は状況の新たな構成に向かわず、饒舌さを争う言葉のさや当てとなり果てるであろう。それは、よく見る光景だ。

共に考えるということは、言葉の停止から始まるべき状況の再構成を中断させるこのような議論ではない。いいかえれば李珍景さんのいう新しい存在論が「存在」の言葉を獲得するには、また討議の中で審議性が確保され続けるには、思惟と言葉の間において、まずは「存在者」である私が台無しになり続けることが重要になるのだ。そしてこの一点に、すなわち「方法が吸収される一点」に身を置き続けることにより、遅れて参加する知を求める祈りのようなファノンの言葉が浮かび上がる。「おお、私の身体よ、いつまでも私を、問い続ける人間たらしめよ!」[26]。

 

Ⅲ代表する

言葉の新たな始まりは、問答無用の暴力がせり上がってくる事態だ。かかる問答無用の暴力に曝されている受動的状況を、始まりの地点としたのである。臆病者とはかかる受動性を体現した存在であり、私たちはみな臆病者である。だがしかし、他方で世界は「二つにたちきられた世界だ」[27]。〇〇ではないという回避の弁明を強固に続ける者と、「二グロだ」という名指しとともに身体拘束をうける者がそこにはいる。「他者は身ぶりや態度や眼差しで私を着色する」。ファノンの記述は、この両者の間において遂行されるが、次第に前者から後者に移行し、そのプロセスの中で言葉は中断すると同時に「身構え」ていくのだ。確かに回避の努力とその破綻は、連続したプロセスだ。またその破綻は、新たな言葉の始まりとも重なっている。だがそれにもかかわらず既存の〇〇や□□は、戒厳状態の中で、回避を続ける者と身構える者として「たち切られる」のだ。確かにすべては臆病者である。またファノンが感知したように回避は無効となるのであり、また身構える者たちが目指すのは、□□になることではない。しかし、依然として世界はたち切られている。

それはやはり暴力の問題である。あるいは敵対性をどう考えるのかということでもある。「身構える」ということは、「あらゆる攻撃に反駁すべく身構えている」のである[28]。だが同時にファノンはそこに新しい言葉の始まりを見出すのだ。「新たな人間のもたらす固有のリズムを、新たな言語を、新たな人間性を導きいれる」のだ[29]。

また間違われるかもしれないという暴力への怖れは、類的同一性からの離脱ではなく他者への恐怖としても登場するだろう。それはジジェックが「恐れ(fear)と恐怖(terror)とのあいだの選択」[30]とよぶものだ。あるいはそれは李珍景さんが「共感的反感」と「反感的共感」と述べたことかもしれない[31]。だからジジェックは、「われわれは、安全を必死に求めるのではなく、反対に最後まで進むことによって、つまり、われわれが失うのを恐れているもののつまらなさを受け入れることによって、この恐れを打破できる」と述べるのだ[32]。怖れから恐怖を受け入れていくことへ、あるいは「反感的共感」へ。だがその困難さは、すぐさま了解できるだろう。たち切られた世界の中で、暴力に曝される怖れの中で、いかにして他者と出会うことができるのか。だからこそ類的同一性において構成された世界からの離脱は、この類的同一性を意味する「存在者」の名詞的範疇と共に考えなければならないのである。

ここに代表性が問題になる。あえていえば、「存在者」からの離脱の可能性だけでは、不十分なのである。問題は、名詞的「存在者」においていかに動詞的思考を確保するのかということだ。ところで中井の「委員会の論理」には審議性の他にもう一つ重要なことが述べられている。それは技術的な目的性ということであり、その延長線上において語られる代表性だ。討議の要点は審議性とともに、代表制において語られているのだ。それは、討議による集団を、構成というある目的性においても設定するというのだ。そこでは代表性は不断に構成するというプロセスに置かれており、さらにこのプロセスは計画された道筋ではなく、絶えず新たな展開に向けて開かれ続けている。いわば「技術的時間はいずれの瞬間もが出発点」なのだ。中井はそれを「原生産的現在性」とよぶ[33]。

それは、外部性を抱え込みながら、無理にでも構成し続けるということであり、かかる意味での目的性なのだ。また中井はそれを、生産とも述べている。あえていえば労働力と生産手段において構成される労働過程が、計画された目的に沿うのではなく、たえず労働と道具との関係を更新させ別の可能性を醸成させていることを、中井は念頭に置いているのかもしれない[34]。いいかえれば、資本により価値過程として統括された労働過程が、不断に別の目的性を潜ませていることを、外部性に曝されながら構成されつづける代表性として述べたのだ[35]。そしてこの外部性を保ち続けることが審議性、すなわち討議なのだ。それはとりあえず二枚舌のようにも見えるが[36]、それでいいのだ。こうして、「委員会の論理は、一つの回帰的でありながら無限進展の過程として自らを図式化する」のである[37]。

私たちがこれから議論しようとしている動詞的思考は、存在者において構成された世界にこの審議性をささみこんでいくことなのかもしれない[38]。そしてそれは代表性の排棄というより、それを「無限進展の過程として自らを図式化する」という構成的なプロセスに置き続けることであり、ここにおいてたち切られた「存在者」の世界の内部で、「存在」の別の世界の可能性は確保されるのではないだろうか。そしてこの審議性とともに構成的な代表性を生産し続けるいとなみが、共に考えるということなのだ。そこには思惟の失敗と集団的思考の始まりが常に存在している。あらゆる空間に審議性のある議論を創出しよう。そしてあらゆる現実を、いつも新たなことが始まる原生産的現在性の時間の中に引き込もう。それが火曜会なのかもしれない。火曜会は増殖する。そして連累(concatenation)しなければならない[39]。

 

 

[1]ジュディス・バトラーは、検閲という領域に二つの文脈を見ようとしている。一つは、発話の是非を判定する検閲制度であり、今一つは発話主体として認めるかどうかの検閲である。また後者には規範がかかわっており、前者についてあえていえば、検閲制度という法的な文脈がかかわっている。すなわち法に基づいた法廷内で是非が問われる検閲と、発話主体の存在可能性自体を問題にする検閲が存在するというのだ。そして、後者は前者の前提としてあり、この前提としての検閲により発話可能性が否定される事態を、「予めの排除」(foreclosure)とよんでいる。ジュディス・バトラー『触発する言葉』(竹村和子訳、岩波書店、2004年)210頁。かかる排除においては、発話は、話しているのに発話とは認められず、ただの身体動作となるのだ。それはいわば検閲制度の外であり、法廷の外でもあるだろう。そして検閲が、かかる法外への放逐として登場する時、「発話可能性が予め排除されているときに主体が感じる、危険にさらされているという感覚」が身体に帯電するのだ(同、216頁)。

[2]ところでバトラーは「予めの排除」を、ジャン・ラプランシュとJ・B・ポンタリスの『精神分析用語辞典』(村上仁監訳、みすず書房、1977年)における「排除」を参照しながら注釈を加えている。ラプランシュとポンタリスは、この「排除」をフロイトの棄却(verwerfung)に対してラカンが、「無意識に組み込まれない」「外部」とした点を強調している。バトラーそれを受けて、次のように説明を加える。「『外部』は、所与の象徴界の境界を画していく限界であり、外部性であって、もしも象徴界の中に導入されれば、象徴界の完全さや首尾一貫性は破壊されるものである。言い換えれば、外部に置かれ、象徴界から拒絶されているものは、それを排除することによって、まさに象徴界を纏め上げているのである。」(バトラー『触発する言葉』274頁)。すなわち「予めの排除」は前提として存在する主体による行動ではなく、ある種の「構造がもたらす反復効果」(同215頁)なのであり、主体はその結果として登場するのだ。ここで、ラカン的な構造ではなく状況とのべたのは、この反復に新たな主体の可能性を見ようとしているからだ。動かし難い構造でもなく、その構造と結果的に結託した個人あるいはその足し算としての集団や階層でもなく、動態的状況と新たな主体。ガタリなら機械状の展開と呼ぶかもしれない。

[3]この線形的な停止とディメンジョンの異なる状況的始まりの重なりを、をやや苦し紛れに「言葉の滞留」とよんだことがある。「言葉の滞留と始まり―戒厳状態の時間―」(光州市朝鮮大学校での講演 2015年8月13日)。

[4]いまこの光景に置いて重要なのは、軍事的暴力が目に見えるということだ。グローバルなミリタリズムと新自由主義がかさなりあった光景かもしれない。それは恒常的に遂行される破壊を商品需要に変えていく事態でもある。そこでは一切の社会的なるものが、商品化されることになる。言い換えれば社会的なるものは政治と結びつくのではなく、軍事と資本において構成されるのだ。それは、ナオミ・クラインなら「災害便乗型資本主義」(disaster capitalism)というかもしれないが、端的にいってそれは軍産複合体により作り出された光景だ。そこでは国家はその「複合体」を維持する制度的な媒介者になり、また法はかかる複合体の維持ということに基軸を置くことになる。さらに政治家は、オリンピックに歓喜し、毎日被曝しつづける労働者の傍らで、真赤な舌を押し隠しながら「完全にコントロールしている」といってはばからない者たちにより遂行される。この者たちは、その真赤な舌を押し隠しながら、オリンピックのためには共謀罪は仕方がないといい、新たなセキュリティー産業の顧客になるだろう。それは政治ではない。またこの軍産複合体において政治は主権が構成する政治空間ではない。資本と軍事が構成するボーダーをめぐって展開するのだ。メッツァードラとネイルソンはそれを、主権を国境に囲われた内部性において考えるのではなく、内部の手前にとどめておく「留置(detention)」と、いつでも強制的に捨て去ることができるという「廃棄性(deportability)」においてとらえようとしている(Sandro Mezzadra &Brett Neilson, Border as Method, Duke U.P., 2013, pp.142-157.)。それはここでいう戒厳状態ということでもあるだろう。そして重要な問いは、社会はいかなる言葉において、あるいは知において政治になるのだろうかということだ。少なくともその知と言葉は、主権において構成される政治を前提にした良心的な知識人のそれではない。

[5]フランツ・ファノン『黒い皮膚・白い仮面』海老坂武・加藤晴久訳、みすず書房、1970年、77頁。

[6]それを物象化という概念で語ろうとする人もいるだろう。あるいは、商品語に人間の言葉が呑み込まれた事態なのかもしれない。ここでは資本の問題として解析するのではなく、やはり言葉の再開としてこだわりたい。資本と国家あるいは暴力の問題を、範疇的に区分するのではなく、言葉の問題として引き付けたいのだ。私は崎山政毅と井上康の『資本論』にかかわる価値形態論の読みを、依然として言葉へのこだわりとして読んだ。崎山・井上「商品語の<場>は人間語の世界とどのように異なっているのか(1-4)」(『立命館文学』632、633、635、638号、2013年~2014年)。とりわけ言葉の問題に向かう最後の(4)が、私にとって重要だ。

[7]「すべての発話は伝達に失敗する」のだ。酒井直樹『日本思想という問題』岩波書店、1997年、16頁。

[8]李珍景『不穏なるものたちの存在論』影本剛訳、インパクト出版会、2015年。

[9]同、第二章参照。

[10]ファノン『黒い皮膚・白い仮面』(前掲)、79頁。

[11]ファノン『地に呪われたる者』鈴木道彦・浦野衣子訳、みすず書房、1969年、67頁。

[12]李珍景『不穏なるものたちの存在論』のおもに第二章を参照。

[13]同、54頁。

[14]ファノン『黒い皮膚・白い仮面』25頁。

[15] Judith Butler, Giving an Account of Oneself, p136. ここでバトラーが説明するという行為を伝達する(communicate)とせずに語りかける(address)という動詞を用いたことに注意したい。バトラーはこの動詞において、「私」の説明行為が類的同一性において区分された世界における伝達や翻訳ではなく、こうした区分された世界自体を問う営みであり、こうした世界においては場所を持たない「どこか」に向かうプロセスであることを示そうとしている。またそれは酒井直樹がいうようにそれは翻訳という行為にもかかわる。翻訳はまずは類的同一性を生み出し、同時に前提として追認する。しかし、この類的同一性に区分された世界に翻訳者の居場所はない。まさしく存在として翻訳者がいるのだ。したがって翻訳者の発話は、台無しになった私自身をどこか別の場所へと送り届けようとする(address myself elsewhere)構えなのだ。いいかえれば総ての発話は、かかる意味での翻訳者の発話に他ならない。

[16]この文章を最も的確に評価したものとして鶴見俊輔「戦後からの評価」(中井正一『美と集団の論理』久野収編、中高公論社、1962年)がある。また、桑原武夫編『日本の名著』(中央公論社 1962年)も参照。

[17]中井正一『中井正一評論集』岩波書店、1995年、44頁。

[18]酒井直樹『日本思想という問題』(前掲)13頁。

[19]竹村和子の『彼女は何を見ているのか』(作品社、2012年)に所収されている2006年の文章「ローラ・マルヴィへの応答」において、視ることにおいて別の身体への変態可能性を述べた竹村さんは、かかる可能性を含意する視ることを穿視とよんだ上で、「穿視する観客」から「穿視する行為者」への転轍を夢見る。竹村さんにとって読むことと視ることを近接させることは、行為の問題であった。この点を、「再演」と「引用」の重なりとして論じたことがある。冨山一郎「視ていたのは誰なのか」(http://wan.or.jp/book/?p=8128)。討議に滞留する言葉は視えるのであり、色をなすのだ。

[20]中井正一『美と集団の論理』(前掲)165頁。

[21]この討議において翻訳者は、居場所のない翻訳者ではない。

[22]中井正一『美と集団の論理』(前掲)206頁。

[23]討議は連累しなければならない。『土曜日』という新聞やダンスパーティーはそのことを示している。

[24]『土曜日』にある記事の表題。中井正一『美と集団の論理』(前掲)206頁。

[25]ファノン『黒い皮膚・白い仮面』22頁。

[26]同、143頁。

[27]ファノン『地に呪われたる者』24頁。

[28]同、67頁。

[29]同、24頁。

[30]スラヴォイ・ジジェク『大義を忘れるな』(中山徹/鈴木英明訳)青土社、二〇一〇年、649頁。

[31]李珍景『不穏なるものたちの存在論』25頁。

[32]ジジェク『大義を忘れるな』649頁。

[33]中井正一『評論集』53頁。ソルニットなら「変わる可能性のある現在(a transformative present)」と呼ぶかもしれない。Rebecca Solnit, A Paradise Built in Hell, Penguin Group, 2009,p.203.あるいは2月のスユノモでの講義に登場した柚鎮さんのいう議論中毒とよんだ時間。

[34]したがってこの中井の議論において確保されているのは、マルクスの『経済学批判要綱』の「機械における断章」(固定資本と社会の生産諸力の発展)において記されている「一般的知性(general intellect)」ともいえるのかもしれない。またこの「一般的知性」にかかわってヴィルノが「非国家的な公的領域―すなわち<general intellect>を自らの中心とするような政治的共同体―の創設」(傍点―原文)とのべたことも、中井の構成され続ける代表性を考える上で重要である。パオロ・ヴィルノ『マルチチュードの文法』廣瀬純訳、月曜社、2004年、125-131頁。

[35]それは、どこにも居場所のないルンペンプロレタリアートをめぐる政治でもある。冨山一郎『流着の思想』(インパクト出版会、2013年)213-234頁を参照。

[36]酒井は、翻訳者の発話をこう述べる。酒井直樹『日本思想という問題』(前掲)23頁。お・四じんさんが報告で述べた、詩を声に出して読む時に生じる主体の重なりあるいは身体の帯電でもあるのだろう。

[37]中井正一『評論集』71頁。

[38]小田実は、自らのべ平連での活動を検討しながら、中井の「委員会の論理」を、「前衛」と「ぴいぷる」の間にはさみこもうとした。ここで小田がいう「ぴいぷる」は、外部性でもあるだろう。「前衛」は「ぴいぷる」という外部を、一気につかみ取ろうとするのだ。そして小田は「前衛」がだめだとか必要ないというのではなく、「前衛」と「ぴいぷる」の両者の間に「委員会の論理」がはさみこもうとする。そこでは「前衛」の依拠する代表性は、「ぴいぷる」の外部性に曝されながら、たえず構成され続けることになる。また審議性の中で「前衛」の言葉もまた集団的思考となりつづけることになる。小田実『「共生」への原理』(筑摩書房、1978年)の第5章と6章を参照。そして問題は中井のいう討議が、この「ぴいぷる」にどのように曝され続けるのかということである。小田はそこで「委員会の論理」を集会あるいはデモにおける「訴える人」とその訴えを受け止める「道行く人」の互換性において考えようとしている。かかる点は、中井が新聞『土曜日』について「一方的な説教」ではなく、「すべての読者が執筆者になること」と述べていることとも関係するだろう(『美と集団の論理』207頁)。だが小田の議論においては、討議において決定的な要点である、思惟が問いになるということ、が見えにくい。どこかで集会やデモの中心で語りかけている知識人や文化人の姿が見えるのだ。それはやはり「委員会の論理」ではない。討議が外部にさらされるということを考えるには、<話すー聴く>ということと<読むー書く>ということが、どのように一連の運動としてあり得るのかということを考える必要があるのかもしれない。またそれは、声の届く範囲ということだけではなく、ビラやパンフレットあるいは新聞といった、読むことと書くことを繋げる活字媒体にもかかわるのかもしれない。あるいは同様のことを松下竜一は、「通信」と述べている。

[39]繋がっていく際、既存の秩序を反復することと、その秩序が、今生じている繋がりの中で別物に変わることが、同居している。ビフォは繋がるという行為における前者への傾向が「何ものかであれ」(Be)という秩序的要請であるとした上で、後者への展開を「連累せよ」(Concatenate)と表現している(フランコ・ベラルティ『プレカリアートの詩』櫻田和也訳、河出書房新社、2009年、216頁)。この連累は、既にある集団への帰属ではなく、新たな集団性の生産なのだろう。そして討議の連累は、規模の拡大ではなく、このような集団性の拡張としてある。そこには、なされた討議が別の討議とどのように関係していけるのだろうかという問いがあるだろう。討議は身体的身ぶりを伴いまた討議記録も伝達ではない。それは中井の『土曜日』あるいはダンスパーティーにもかかわるだろう。そこでは<話すー聴く>ということと<書くー読む>ということがどのように連なっていくのかということが重要になる。すなわちある討議が一度複数の身体において思惟として引き取られ、それぞれの思惟が言葉たちになり、それがすぐさま現前の討議に向かうだけではなく、書き言葉として送り届けられ別の討議の中で審議されていくような連累だ。それが、討議が増殖し、集団的思考になるという運動ではないだろうか。「思惟―言葉(話す)―討議(聴く)―思惟s―言葉s(書く)―討議s(読む)」なのだ。またそこでは討議は、聴くことに軸がある討議空間と読むことに軸がある精読会の二重構えになるのかもしれない。だが討議s(読む)には、お・よんじんさんの報告「臆病者はいかなる手段で不穏な存在になるか」(2015年8月26日)で述べられたような、声に出して読むということも含まれるだろう。あるいは討議(聴く)には、当然ならが読むことも存在する。あるいは竹村和子さんがいう読むことと視ることの近似。したがって討議空間と精読会は、実は連続していると考えたほうがよい。そして討議と討議の連累において一つの要点は、この一連の運動に「思惟s―言葉s(書く)」が確保されていることだ。この領域を、松下竜一にならって、やはり通信と呼んでみたい。討議において始まる思惟sは、通信としても書かれなければならない。遅れて参加する知は、書き言葉としても確保されなければならないのだ。あるいは、書き言葉として送り届けられる通信がある種の身体性を持つには、中井たちがおこなったようなダンスパーティーのような、討議とは異なる書き手と読み手が出会う集まりが、あってもいいのかもしれない。『土曜日』が「一方的な説教」ではなく、「すべての読者が執筆者になること」であるとは、このダンスパーティーと共にあるのかもしれない。それはまた小田実的にいえば、集会とデモにおける「訴える人」とそれを聞いている「道行く人」の重なりなのかもしれない。さらにそれは松下竜一においても同様だったのではないのだろうか。