国際日本学研究会

近代日本において、“日本”や“日本人”そして“日本文化”がどのように構築され、意味づけられ、解釈され、表象され、再生産されてきたのか、日本をめぐる学問・研究がどのように形成・流布されていったのかといった、“文化のプラクティス”をめぐる研究を目指す。学問分野や所属、国籍など問わず、広く日本学や日本文化の研究を志す人の参加を呼びかけている。活動の詳細は、機関誌『Cultures/Critiques』やウェブサイト「イシバシ評論」(http://blog.livedoor.jp/kunimitsu1950/)を参照。
http://blog.livedoor.jp/kunimitsu1950/

『文化/批評』[Cultures/Critiques]第1号~9号電子公開のお知らせ。

国際日本学研究会の会誌『文化/批評』[Cultures/Critiques]第1号~9号が、電子公開されました!

 

大阪大学のリポジトリにこっそり、いやふつうのルートで入れていただきました。検索画面で「文化/批評」と入れてもらえれば記事が一覧で出ます。もちろん著者名・論文名でもヒットします。ただ、どうもまだ登録されていない論考も存在しているようで、状況を確認しているところです。

https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/?lang=undefined

※諸事情で2年ほど刊行が止まってしまっていますが、編集再開にむけて営為準備中です。

 

第1号(2009年3月)

創刊の辞  [文化/批評]編集委員会

 

<論文>

五十嵐 惠邦「ジョー&飛雄馬:闘争時代のヒーロー達」

ムズラックル・ハリト「桂枝雀の英語落語:RAKUGOの発見をめぐって」

成 恵珍「祭りを支える女性たち:「十日戎」祭りにおける福娘をめぐって」

竹原 明理「「生人形」という言葉をめぐって」

エベンシュヴァンガ・ヨーク「鳥山石燕の妖怪変化図録『画図百鬼夜行』:その背景と内容」

西村 好子「森鷗外「我百首」論:津和野派国学と乙女峠事件を巡って」

川口 葉子「戦時下のキリスト教をめぐって:『福音新報』と「戦争責任告白」から」

崔 恩珠「「民族」の中の女性、その限界、あるいは可能性:民族教会の愛と和解を中心にして」

兵頭 晶子「<繋がり>を断たれた自己を病むということ:心理療法の前哨」

戸田 弘子「「加持祈祷」という身心<治療>の近代:中村古峡の「精神療法」再考」

増子 美緒「オシラサマ信仰における地域的展開の諸相:近代北海道を事例として」

新里 喜宣「沖縄のユタの宗教観における現代的変容」

石山 祥子「民俗芸能は「旅」をする:黒川能下座・パリ公演をめぐる諸相」

川村 邦光「亡霊と生き残り:弔い論へ向けて」

<書評>

日高 由貴「紡ぎだされることばによせて:マイク・モラスキー『戦後日本のジャズ文化:映画・文学・アングラ』(青土社、2005年)」

竹原 明理「香西豊子『流通する人体:献体・献血・臓器提供の歴史』(勁草書房、2007年)」

 

第2号(2010年7月)

<論文>

井濱 葉月「病いと聖化の近代:神谷美恵子をめぐって」

中務 のぞみ「障害者とアート:アウトサイダー・アートを中心に」

永岡 崇「マヨネーズと両義性」

鎌倉 祥太郎「津村喬における「日常性」批判の射程:その背景と内容」

日高 庭鳥「うたのなかの「神さま」:歌うこと、あるいは物語を見出すこと」

<書評>

五十嵐 惠邦「「あの時代」の反乱は我々に何を教えるのか:小熊英二著『1968』上・下を読む」

冨山 一郎「悲しみと怒り、そして浄化:土屋健治『カルティニの風景』から」

 

第3号(2011年8月)

<論文>

張 懐文「歌仔戯再考:≪台湾我的母親≫から見る「代表的台湾文化」の揺らぎ」

竹原 明理「1920~30年代における生人形と「人形芸術」をめぐって:「創造性」の再発見と「伝統」からの脱却」

三浦 詩織「テキスト化する伝承:ムカシコとストーリーテリングの語りから」

黛 友明「門付芸受容の一断面:群馬県利根郡川場村門前の春駒」

山口 良太「複製技術時代の霊」

増子 美緒「樺太犬の発見:1930年代後半の日本領期樺太を対象として」

竹原 直道「疱瘡神のパロディとしての豆腐小僧」

 

第4号(2012年10月)

<論文>

茂木 謙之介「アジア・太平洋戦争期新聞メディアにおける皇族表象 : 『朝日新聞』の図像を中心に」

小野 絢子「民芸運動の中の女性」

布山 美慕「読書の非インタラクティブな行為の可能性 : 我を忘れる読書」

パイエ 由美子「合気道の源流をめぐる言説について」

染川 清美「あるディアスポラの知識人による台湾独立運動 : 張継昭(Andy Chang)と「台北俳句会」の事例をもとにして」

宋 秀環「わしが何者か : 台湾アミ族老人のアイデンティティ転換過程」

<書評>

林 葉子「山崎明子/黒田加奈子/池川玲子/新保淳乃/千葉慶『ひとはなぜ乳房を求めるのか : 危機の時代のジェンダー表象』

 

第5号(2013年12月)

<論文>

高橋 侑里「ポスト9.11に想起される日系アメリカ人の記憶 : 四世タッド・ナカムラのドキュメンタリー映画をめぐって」

石山 祥子「〈能を舞う農民〉の発見 : 黒川能をめぐる真壁仁の思想と実践」

ガラシーノ ファクンド「他者表象における自己規定と暴力の所在 : Around the World with General Grantにおける天皇表象から」

中山 良子「不純異性交遊で補導される女学生の登場 : 『乙女の性典』と『少年の補導』」

大道 晴香「表象の消費と霊場恐山の変容 : 『東奥日報』『デーリー東北』の「恐山大祭」関連記事を手掛かりとして」

湯 天軼「そのたびごとに、始まりの地平 : 中国における日本サブカルチャー受容の現象学的研究序説」

黛 友明「「『Cultures/Critiques』冬季増刊号を読む」のこと」

川村 邦光「反原発の思想へ向けて」

<書評>

澤田 正太郎「子安宣邦『日本人は中国をどう語ってきたか』」

 

第6号(2014年12月)

<論文>

小路 万紀子「現代日本の排外主義と批判の再検討 : 「在日特権を許さない市民の会」活動参加者の語りから」

鳥居 大嗣「作られる『ゴジラ』の物語 : 1970年代~80年代の怪獣ファンダムの勃興と挫折を中心に」

猪岡 叶英「近代沖縄における長寿者の位相 : 明治30年代の「養老式」と風俗改良運動をめぐって」

安里 陽子「パインブームからとらえなおす境界 : 米軍占領期の沖縄・石垣島から描く沖縄戦後史」

番匠 健一「『家族』から『遥かなる呼び声』へ : 山田洋次監督作品における引揚げ経験ともう一つの「戦後」の可能性」

村山 由美「日本のキリスト教という語り : 虚構から内なる他者へ」

 

第7号(2016年3月)

<論文>

古山 皓大「死と再認識の「装置」 : 明治から現代の喪服を対象として」

鄭 卉芸「「内台融合」の「和声」 : 真杉静枝「南方の言葉」が語る異声関係」

今井 雅之「農業近代化の時代における知のあり方 : 秋田県八郎潟の戦後開拓地を事例に」

大道 晴香「霊場恐山の近代化 : 大正期の「観光化」をめぐって」

遠藤 理一「リカバー・ジャパン/ディスカバー・ジャパン : 野田宇太郎の文学散歩と占領期の「風景」」

<書評>

佐藤 壮広「架神恭介 辰巳一世『完全教祖マニュアル』」

 

第8号(2017年3月)

<論文>

内間 安朗「竹富島における戦争の諸相 : 古見節子への聞き取りと『追想集』を中心に」

熊 華磊「地域社会における桜の花見の展開のあり方 : 鹿児島県伊佐市の近隣二集落における花見の展開プロセスに着目して」

中西 美穂「参加型〈裁縫〉アートの一事例 : 「アジアをつなぐ」展参加作品《HOUSE OF COMFORT》のワークショップを中心に」

前田 勇樹「「琉球処分」と天然痘 : 沖縄の近世・近代転換期における病と社会」

湯 天軼「「二次元世界」の活動空間 : 中国における日本サブカルチャーの受容空間「動漫論壇」をめぐって」

鎌倉 祥太郎「津村喬と『月刊焼酎通信』 : 1980年代におけるミニコミの想像力」

兵頭 晶子「「生きている」ということを取り戻す : 『プシコ ナウティカ』と『千と千尋の神隠し』から」

 

第9号(2018年9月)

<論文>

MIZIRAKLI HALIT「落語と死 : 桂枝雀の死への関心を手掛かりに」

沈 恬恬「歴史の法 : 日本における司法通訳の現状についての一考察」

姜 文姫「1950年代における炭鉱記録としての映画『にあんちゃん』の日韓比較」

君島 朋幸「李良枝『除籍謄本』論」

岡本 直美「1950年代の沖縄における軍用地接収と生活補償 : 伊江島の強制接収から「乞食」宣言まで」

竹内 理恵「実践を問い続ける場の構築 : 自閉症教育に関わる実践記録の文体分析を通して」

西川 和樹「料理家、東佐与子 : パラノイアと呼ばれた料理家」