火曜会

火曜会は、言葉が帯びる身体性を押し隠すのではなく、それを多焦点的に押し広げることこそが研究行為ではないか考えています。また研究分野の境界は、分野の前提を再度議論する中で、連結器になるとも考えています。

火曜会通信(59)ー「私」にとっての三線の来歴

 

 

「私」にとっての三線の来歴

栗山新也

 

はじめに私の愛用する三線の来歴を紹介したい。

大学に入学して間もないころ、師匠が三線を買いにつれていってくれた。師匠が向かったのは私が想像していたような三線店ではなく、個人宅であった。その個人宅の一室には数十丁の三線が並んでおり、師匠と家主とが相談して私の三線が決定された。私が人前で演奏するたびに師匠はこの三線の音色を称賛する。

この三線はとても良く鳴るし、棹の形状もきれいだが、それよりも師匠との関係が刻み込まれている点において、私にとってかけがえのない意味をもっている。この三線より良く鳴り、形状がきれいな三線はあるが、なぜか買う気にはならない。

 

三線の歴史は、まずもって技術の系譜や歴史として語ることができる。この観点でみると、中国―沖縄―日本といった三絃の伝播のように、三線はある人間集団には還元できない歴史のひろがりをもつ。また三線を製作、演奏、継承…してきた沖縄の人々の営みを「琉球/沖縄文化」として位置づけ、それに基づいて歴史を整理することもできる。この観点では、琉球王府時代に製作された名のある三線を基準に「名器」が定義される。従来、このような技術史・文化史的な観点から三線の歴史が語られてきた。

 

しかし、私の調査から浮かび上がってきたのは、所有者たちがきわめて個人的な経験や人間関係に基づいて三線に意味付与をしていく姿であった。三線を前に来歴を語る所有者の話に耳を傾けると、三線は個人的なエピソードや思い出、過去の所有者との付き合いなどにおいて意味づけられ、語られる。「私」にとって大切な来歴が刻み込まれた三線は、「私」にとってかけがえのない意味をもっている。私が所有している三線ももちろんそうである。

このような三線を前に所有者の口々から語られる「私」にとっての三線の意味や来歴は、技術史・文化史的な歴史の語りからこぼれおちてきたものだろう。今後も三線の所有者とともに三線を弾きながら、あるいはアルゼンチンワイン!を飲みながら、ひろくあつめていきたい。そして、その豊かな来歴を「歴史」とよびたい。