国際日本学研究会

近代日本において、“日本”や“日本人”そして“日本文化”がどのように構築され、意味づけられ、解釈され、表象され、再生産されてきたのか、日本をめぐる学問・研究がどのように形成・流布されていったのかといった、“文化のプラクティス”をめぐる研究を目指す。学問分野や所属、国籍など問わず、広く日本学や日本文化の研究を志す人の参加を呼びかけている。活動の詳細は、機関誌『Cultures/Critiques』やウェブサイト「イシバシ評論」(http://blog.livedoor.jp/kunimitsu1950/)を参照。
http://blog.livedoor.jp/kunimitsu1950/

大須コスプレパレード@大須商店街から郡上おどりまで

ファクンド・ガラシーノ(事務局)

 

世界コスプレサミット(WCS2014・大須コスプレパレード@大須商店街

 

8月3日(日),第8回学術大会のオマケ・イベントと銘打って,「世界コスプレサミット2014」(WCS2014)の一環として,大須商店街で行なわれた大須コスプレパレードに行ってみた。コスプレ界の天下一武道会とも称すべきこのイベントに実際足を運べるのかと,胸に期待を膨らませながら地下鉄伏見駅に再集結した国際日本学研究会一味が一心大須を目指した。

しかし,そもそも世界コスプレサミットとは何ぞや。それは,マンガ・アニメ・ゲームなどの日本製ポップ・カルチャーを媒介にした,世界各国のコスプレイヤーやファンたちの交流の場として,2003年にテレビ愛知の主催で生まれたコスプレ・イベントのことである。年々に世界各国からの参加者が増え,2012年にはついに20カ国を突破した。そしてこの波に乗っかるように,日本国外務省やら同国土交通省やら名古屋市やら中部国際空港やらが徐々に罷り出て,後援者となるなり,実行委員会に加わるなりした。言うまでもなく,中央省庁が主催側に回ることには,海外への日本ポップ・カルチャーの積極的な発信やその人気に対する状況認識を内外に広める企図,およびポップ・カルチャーを観光資源化する動きがあることは見逃せない。今回は残念ながらこれらの問題に深入りできないが,その代わり現地で見聞したこと,そして名古屋から帰宅して考えたことを報告したい。

さて,地下鉄大須駅付近まで来ました!地下鉄の出口が見えてきたところ,雰囲気が一変した。思い思いのコスプレに身を固めた善男善女,頭髪七色の若衆と娘たち,皆カメラを手に激写するのはお兄さんお姉さんの晴姿。出店はないが,ヤンキー坐りの輪があちこちに広がるコンビニの大繁盛。さて大須観音様の御境内に入ってみれば百花繚乱,コスプレ仲間和気藹々と撮影会も大盛り上がり,老若男女の見物客もコスプレ談義に意見百出,まさに観音様の御縁日もかくならんかという盛況である。時間は午前11時すぎ,コスプレパレードに向けて参加者が列に並び始めるのであった。

研究会一味が再結集を誓って,いくつかの手に分かれた上で,大須商店街付近を気の赴くままにぶらついた。商店街を歩いてみれば,これもコスプレかどうか判然としないような出で立ちの人物にしばしば出くわし,どんどん楽しくなる。円満の笑顔を浮かべる異性装した中年男性の仲間連れやそれぞれのこだわりを反映した男女の個性的な衣装などがイベントの内容とそれが広げられる場の空間を拡張したり,同時にその境界を曖昧にさせていることに気づく。そもそも,コスプレ界の覇者を決める大会が昨日2日に済まされているから,今日は一般参加のパレードということもあろうか,出場ルールに縛られない格好で遊べるのではないだろうか。

商店街の方でも軽食や飲み物を提供する店,古着屋と本格コスプレ衣装を売る店などが活気を見せる。そしていよいよパレードの時間が始まる。コスプレのモチーフがまちまちだが,個人的には『進撃の巨人』や『東方Project』シリーズ,『VOCALOID』系やスポーツ漫画のものが取り分け記憶に残った。その他は『BLEACH』や『ナルト』,『ガンダム』シリーズ,『戦国BASARA』などのコスプレも見たが,参加者の傾向のような者は今一読み出せなかったのは甚だ遺憾である。

パレード開始とともに見物客の動きが色々と規制されて,一気に動きづらくなる。商店街内の両壁に沿って見物客が立たされなんかして,まもなく通るであろうパレードに道を開けるわけだが,規制されたのは歩行者の方だけということを明記しよう。車輌の交通規制が行なわれなかったため,パレードの参加者が交差点ごとに足止めを余儀なくされ,青信号まで待って一気に駆けつけなければならなかった。そのため,せっかく大人数が集ったのに,信号のリズムに刻まれた参加者の波がちまちま訪れるような雰囲気になったのは少し残念に思った。名古屋市がどういった形で後援をしているのか具体的に知らないが,市政の名前を出すくらいなら,せめてパレードの時間中は交通を止めてくれというのが筆者の正直な意見である。さらに,先頭にアニソンやゲームソングなどを演奏する楽隊もあったが,音楽がずっと遠くまで聞こえるわけでは当然ないから,パレードという言葉から想像される一定の統一感のようなものはかけていた。

とはいえ,このパレードが一般参加を呼びかけているからこそ,その無統一感のなかには,多いに評価できるものも確実にある。そもそも,世界のコスプレ・チャンピオンを決める大会の出場ルールとしては,「日本製のマンガ、アニメ、ゲーム、特撮のコスプレであること」に加えて,「同人作品、アンソロジー作品、マンガ・アニメ・ゲームの実写化作品」は不可とされている。世界各国からのコスプレイヤー代表が集結する「世界中の若者を虜にする日本の『マンガ』『アニメ』」という共通項を媒介に「世界中のコスプレイヤーを通して新しい国際交流を創造する」文脈において,「日本」ポップ・カルチャーの正当性をめぐっての公式見解がこういったルールのなかでで透けて見えるだろう。

そこで,一般参加が醸し出す祝祭空間と混沌のなかにおいて,そしてさらには一般参加のコスプレパレードなんぞとは無関係に,とにかくそのあたりをうろつく営みには,固定化されようとしている「日本」ポップ・カルチャーの内実と境界を揺るがす何らか可能性があるのではないか,と筆者が思う。というのは,期待を超える独創的なものがなかに幾つかあったからである。たとえば,(決して多くはなかったとはいえ)ディズニーや『スター・ウォーズ』のキャラクターという明らかに「日本」製とはいえない作品をモチーフにした者や,または声優の杉田智和に扮した者,軍隊特殊部隊まがいの「自宅警備隊N.E.E.T」の一小隊,クール・ビーズなシャツ・ネクタイ姿に頭だけが『魔法少女まどか☆マギカ』のキュゥべえとなっている「セールスマン・キュゥべえ」とでも言えそうな人物など。彼ら彼女らは上記のルールとは別次元でコスプレという媒介で自由に遊んでいたように思える。

確かに,ルールから完全に開放されているとは言い切るつもりはないし,違うところで新たな縛りが創られているのかもしれない。しかし,国際的な広がりを持った場において「日本製」のポップ・カルチャーという境界を敷き,その基準に依拠してコスプレを価値化していく公式的な動きがある一方,そういった境界を揺るがすかもしれない実践が同じサミットの枠内で,あるいはその周辺・外側がら行なわれていることにぜひ注目したい。世界コスプレサミットがこれからもますます成長していくだろうから,言い切るような結論は極力避けた方がいいように思う。ただし,「日本・日本文化」がどのように構築され受容されるのかといった問題意識を共有する国際日本学研究会としても興味深いイベントであったことは間違いないのではないだろうか。

パレードを心が行くまで,そしてお腹が減るまで眺めた一味は食べ物を探して名古屋名物・台湾ラーメンの店に入った。物語が新たな章に入る・・・

 

 

http://www.worldcosplaysummit.jp/about/

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%82%B3%E3%82%B9%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%B5%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%88#cite_note-1

 

郡上おどり@郡上八幡

 

台湾ラーメンが思いの他辛かった。台湾とは言いながら名古屋名物であることに驚きながら,地下鉄で熱田神宮を目指す。一通り見学を終えた後,冷たい飲み物を求めて駅ビルの喫茶店にたどり着いた。冷房や飲み物からやっと力を取り戻したのか,喫茶店を出たら,一味の一部は帰路につき,今もう一部は濃尾の平地に別れを告げ,北へ北へ,もう山を登り始めたのである。目指すは,噂に聞く郡上八幡。時恰も,郡上おどりシーズンがお盆の最高潮を前にして,一日とまた一日,盛り上がっていく折柄である。一旦高速道路に乗れば八幡町まで後もう一歩だけ。ただ気がかりなのは,道中で襲い掛かった豪雨である。めっちゃ降っている。このままでは踊りの夕べが流れるのではないかと,不安のなかでゆっくり土砂降りの八幡町を進んだ。

しかし宿泊先に着いてみれば,ほっとするようなお知らせを聞いた。何と,女将さんに依れば,注意報が出ない限り,雨ときても何ときても郡上おどりが中止されないのである。よかった。それにしても,雨が少しマシになってきた。これならば郡上おどりに参加できそうである。そもそも郡上おどりといわれるものは,郡上八幡(現・岐阜県郡上市八幡町)で行なわれる盆踊りの一種である。とは言っても,お盆の時期だけではなく,八幡町の神社やお寺の縁日,あるいは死者や祖先の供養などの縁日だけではなく,町内のイベントといった折にも開催され,7月中旬から9月まで続ける。こういった郡上おどりがこの地域の主要な観光資源に発展して,毎年大勢の観光客を引き付けている。

言うまでもないが,我々一味も観光客の一部に入る。踊る前に英気を養おうと,山,川と上品な町家が目に付く八幡の街を巡りながら,ふとそば屋に招かれた。外にあまり人がなく,観光客っぽい人と言えば我々一味しかいない。まあ,明日は月曜日から,当たり前か。そばは格別うまかったし,壁に貼ってあった古文書や古地図の類にも関心を惹き付けられた。このようにして,踊りの時間はゆっくり近づいてくる。食べ終われば,いったん宿へ戻り,宴会となる。酒を酌み交わす間,雨が降っては止み,止んではまた降り始め,今日踊ろうと思えば濡れるのは必定であると,眼鏡を納めて頭に手ぬぐいを被り,いよいよ会場へ。下駄のカランコロンは雨音に打ち消されている(女将さんによれば,浴衣がなくとも,下駄だけはいておけば楽しめる,と)。

今日の踊りは「およし祭」と銘打って,八幡城の石垣の人柱になったと伝えられているおよしの霊を弔う意味合いを持っているという(偶然,およしの仏様が祭られていた祠は,一味が泊まった宿の敷地内にあった)。最初に「古調かわさき」でウオーミング・アップしてから,郡上おどりの大ヒット「かわさき」の優雅な囃子が響き渡り,手を打ち下駄を鳴らせ,どんどん踊っていく。郡上八幡を訪れるに先立って,長年ここでフィールドワークを続けた社会学者の論文を読んでみれば,郡上おどりが観光資源化されるのに連れて種目の振り付けが一定の型に整理されたことを知った。道理で,初郡上おどりである一味でも,周囲の手取り足取りを真似たら,すぐ踊れるようになる。もっとも,振り付けの画一化が地元住民のおどり離れをも引き起こしたことを忘れてはならない。個人的には複雑な気持ちだが,恥ずかしながら今回では郡上おどりと八幡町に関わるこういった問題を論じるだけの体験と容易をしてこなかったので,踊った感想を伝えるのに止まり,ご容赦を願いたい。

種目はさらに滑稽な節回しの「げんげんばらばら」や,郡上で一番盛り上がる「春駒」へと突破していく。にわか踊り子の我々が意外にも「踊れる…踊れるぞ!!」と益々調子を上げながら囃子の屋形櫓をくるくる。周りに地元住民と思しき人々が多く,観光客がいたとしてもさほど目立たなかった。そのためかどうかは知らないが,「甚句」ではどっこいどっこいと相撲さん気分になり,「猫の子」で掌を丸めて,鳴り物が入らない種目でも熱気は一向にも冷めない。そしてこうしていると,お時間ときて,名残惜しいながらもお開きとなった。何たって,明日は月曜日ですからね。

前述の社会学者の論文によれば,郡上おどりを運営する保存会に対する八幡町住民からの批判が強いらしく,また観光化された踊りを横目で見る者も多いという。それなら,ここで踊っているのは我々のように観光客か,それとも保存会関係者か,それとも「観光化」された踊りでも楽しめる住民なのか。残念ながら一回だけでは踊りをめぐる町の状況が中々読めなかった。また,今のそれとは異なった,地元住民が再び踊りたくなるような「昔おどりの夕べ」が開催されることもあり,おどりをめぐる状況が複雑である。

翌日,八幡町をぶらぶらした後,再び高速道路に乗って,今度は美濃市にある小倉山善光寺に立ち寄った。そこでは,日露戦争の際にこの地域周辺の戦没者の生前の写真を元にして,木造の「英霊人形」を作り,境内の「英霊堂」におさめて,戦没者を追悼している。日露戦争を期に,帝国化していく日本の戦死者の追悼が盛んになって行くことはよく指摘されていることではあるが,そういった流れが地域社会でどう受け止められたかを考えるための重要なきっかけであった。また,人形一体ごとに顔が違うことも重要だろう。日露戦争前後,写真撮影技術の発達と普及度,そしてそれが例えば軍隊入隊や出陣という,近代国家が創った新たな人生儀礼の文脈に組み込まれている背景がここから浮かぶ。出陣や部隊などの記念写真が遺影と化して,それが「英霊人形」の姿へ結晶されるが,これらを通して,死者に対する想像力の変化も窺うことができるだろう。

以上のように,日本製ポップ・カルチャーの広がりを町中に流し込むコプスプレ・サミット,観光化されているとはいえ死者を弔う意味合いをも持つ踊り,そして戦死者がローカルな文脈で追悼された顔と名前を持つ木像の「英霊人形」を歩きわたって,国際日本学研究会のサイド・イベントが終わりを告げた。

 

参考文献:

 

足立重和「地域づくりに働く盆踊りのリアリティ―岐阜県郡上市八幡町の郡上おどりの事例から―」フォーラム現代社会学,第3号,関西社会学会,2004年5月

「地域社会における語りとリアリティ―郡上八幡という場所をとらえるための試論―」先端社会研究,第3号,関西学院大学大学院社会学研究科21世紀COEプログラム「人類の幸福に資する社会調査」の研究,2005年12月

樋口浩造,弓谷 葵「資料紹介:小倉山善光寺所蔵『日露戦役野戦第九師団戦歴』」,愛知県立大学文学部論集第57号,2009年3月